恍惚の人
哀しく、おかしく…美しく…笑いと感動で描く愛の光彩。

1973年 モノクロ スタンダード 102min 芸苑社
製作 佐藤一郎、市川喜一 監督 豊田四郎 脚本 松山善三 原作 有吉佐和子 撮影 岡崎宏三
音楽 佐藤勝 美術 小島基司 録音 原島俊男 照明 榊原庸介 編集 山地早智子 助監督 鈴木一男
出演 森繁久彌、高峰秀子、田村高廣、乙羽信子、篠ヒロコ、伊藤高、市川泉、中村伸郎、杉葉子
吉田日出子、神保共子、野村昭子、浦辺粂子、若宮大祐、大久保正信


 発売以来、“恍惚ブーム”を巻き起こし、数多くの話題を賑わした有吉佐和子原作の同名ベストセラー小説の映画化。息子も孫も顔をしかめてそっぽを向くボケた84歳の老人と嫁との温かい心のふれ合いを日常茶飯事の中でとらえる。哀しく、可笑しく、美しい人間讃歌を謳い上げた愛と衝撃のドラマを松山善三が見事に脚色、シナリオのシーン1からページ順を追って撮影されている。監督は前年に紫喪賞を受賞した『地獄門』の名匠・豊田四郎。撮影は『喜劇 泥棒大家族 天下を取る』の岡崎宏三が担当し、家の中で起こる衝撃的な出来事をスリリングに捉えている。出演は長年豊田監督とコンビを組んできたベテラン森繁久彌が60歳前にして84歳の老人を熱演。クライマックスの嵐の撮影時には前身びしょ濡れになりながらも役に挑んだという。また撮影の1時間前からメーキャップを始め、ゼラチンでシワを作り、ニカワでシミを入れるなど入念な特殊メイクを毎回施していた。共演には、豊田監督とは『雁』以来で、森繁とは初顔合わせとなる高峰秀子を迎え、乙羽信子、田村高廣などベテラン陣が脇を固めている。制作プロダクションである芸苑社は佐藤一郎と市川喜一が作った社内独立プロで、今回の製作費は、両プロデューサーと脚本の松山、豊田監督、そして主演の森繁と高峰はノーギャラで、ヒットした分配当を得るという共同責任で作られている。


 立花家は、84歳の茂造(森繁久彌)、その息子夫婦の信利(田村高廣)と昭子(高峰秀子)、子供の敏(市川泉)が同居していた。茂造は老妻が死んで以来、ますます老衰が激しくなり、他家へ嫁がせた自分の娘の京子(乙羽信子)の顔さえ見忘れていた。それどころか、息子の信利の顔も忘れ、暴漢と錯覚して騒ぎ出す始末。突然家をとび出したり、夜中に何度も昭子を起こしたりする日が何日か続いた。昭子は彼女が務めている法律事務所の藤枝弁護士に相談するが、茂造の場合は、老人性うつ病といって老人の精神病で、茂造を隔離するには精神病院しかないと教えられた。昭子に絶望感がひろがった。ある雨の日、道端で向い側の塀の中からのぞいている泰山木の花の白さに見入っている茂造を見た昭子は胸を衝かれた。茂造には美醜の感覚は失われていない、と昭子は思った。その夜、昭子がちょっと眼を離している間に茂造が湯船の中で溺れかかり、急性肺炎を起した。だが、奇跡的にも回復、昭子の心にわだかまっていた“過失”という文字が完全に拭いとられた。そして、今日からは生かせるだけ生かしてやろう……それは自分がやることだ、と堅い決意をするのだった。病み抜けた茂造の老化は著しくなった。そんな時、学生結婚の山岸とエミ(篠ヒロコ)が離れに引っ越してきた。茂造は今では昭子の名さえ忘れ“モシモシ”と呼びかけるが、何故かエミにはひどくなつき、エミも色々と茂造の世話をしてくれるようになった。しかし、茂造の奇怪な行動は止まなかった。便所に閉じ篭ってしまったこと、畳一面に排泄物をこすりつけたこと……。ある日、昭子が買い物で留守中、雨合羽の集金人に驚いた茂造は恐怖のあまり、弾けるように外へ飛び出した。血相を変えて茂造を捜す昭子の胸に、迷子になり母の姿をみつけた少年のような茂造がとび込んできた。それから二日後、木の葉の散るように茂造は死んだ。昭子の脳裏に茂造の姿が浮かんでは消え、消えては浮かんだ……頬に一粒の涙がこぼれ落ちた。


 痴呆症をテーマにおいた本作は、豊田四郎監督が手掛けてきた今までの作風とは明らかに異なっている。ベストセラーとなった有吉佐和子の同名小説は老人問題に真っ向から取り組んでおり、当時としてはかなりショッキングな内容であった。それを心筋梗塞で倒れて意識不明の重体に陥った豊田監督が取り上げた事に大きな意味がある。人間はいつかは死ぬ…その最後をどのように迎えるのか?なんて事は健常時には思いもしないだろう。生死をさ迷った豊田監督だからこそ、人生の終焉を迎える老人の姿を自分になぞらえて描きあげる事ができたのだ。全編を覆い尽くす緊張感には死を身近に感じた者だけが出せる凄まじい迫力のようなものがあった。今でこそ、痴呆症やアルツハイマーといった病に対して幅広く認知され受け入れ体制も整ってきているが昭和40年代は、症状の深刻度によっては受け入れてくれる施設が無かったというのが実状だった(本作でも実際に入所を拒否されるシーンがある)。当時、59歳の森繁久彌は84歳の役に挑んでいる。いつもの軽快なセリフは全て封印して言葉にならない言葉を発したり、意味不明な行動をとったりする痴呆症の老人を正に体当たりの演技で演じている。本作で見せる森繁は今まで演じてきたどの役にも当てはまらない…いや、俳優って凄いなぁと感じたのは、この年齢になっても役の上で新境地を開拓出来るところだ。夜中に大声を出して、排泄物を障子に塗りたくるシーンが取り沙汰されるが、むしろ若いカップルが抱き合う様子をまるで自分がその年齢に戻ったかのような優しい眼差しで見つめるシーンにこそ、“老い”に対する残酷さを感じる。
 全編をモノクロで、しかも珍しくスタンダードサイズでの岡崎宏三によるカメラは、時にはドキュメンタリーのようでもあり、奇声を発し暴れまわる森繁に接近するカメラワークは息苦しさを感じる。殆どが舞台となる立花家での室内撮影であるため、この撮影技法は観客を引き込む効果的なものであった。離れに住む森繁演じる茂造老人と高峰秀子演じる嫁が住む母家をカメラが何度も移動するのだが、カメラは観客の目となり、我々は常に高峰の視線で森繁と対峙するわけだ。おかげでこうした環境におかれた家族の心境や大変さの一片は理解できたのではなかろうか。高峰演じる舅の世話をする嫁は、献身的に面倒を見る聖女のようには描かれておらず、ずっとイビられてきたことを根に持っている。誰かに代わって欲しいと思いつつ、自分が面倒を見るしかないと諦めた様子の出し方…さすが、高峰秀子は上手い!夜中に名前を呼ばれて起き上がった時に舌打ちをして苦虫を噛んだような表情を見せるシーンだけでも彼女の素晴らしさがよく分かる。ラスト近くのクライマックスシーンでは土砂降りの雨の中、放浪する森繁と必死に探し回る高峰が交互に映し出される。このカット割りが実に良く出来ており、虚ろな目の森繁に対して、必死の形相の高峰の対比が否応なしに緊張感を高める。木の下で力尽きて座り込んでいる森繁を見つけた高峰が抱き締めるところで緊張感が一転して感動に変わる。カメラワークだけではなく編集も本作では重要なポイントとなったようだ。このシーンについて後に森繁は「その後の人生で身体的に辛い事があると、この映画を思い出してしまう」と、トラウマとなった…と語っているほど過酷な撮影だったようだ。

「昭子さん…月がきれいですね」小便を我慢出来ずにひたすら嫁を呼び続けた茂造老人が庭で用を足した時に見た月…彼の目にも美しいものは美しく映った瞬間だ。


レーベル: 東宝(株) 販売元: 東宝(株)
メーカー品番:TDV-15323D ディスク枚数:1枚(DVD1枚)
通常価格 4,725円 (税込)

昭和22年(1947)
女優

昭和25年(1950)
腰抜け二刀流

昭和26年(1951)
有頂天時代
海賊船

昭和27年(1952)
上海帰りのリル
浮雲日記
チャッカリ夫人と
 ウッカリ夫人
続三等重役

昭和28年(1953)
次郎長三国志 第二部
 次郎長初旅
凸凹太閤記
もぐら横丁
次郎長三国志 第三部
 次郎長と石松
次郎長三国志 第四部
 勢揃い清水港
坊っちゃん
次郎長三国志 第五部
 殴込み甲州路
次郎長三国志 第六部
 旅がらす次郎長一家  

昭和29年(1954)
次郎長三国志 第七部
 初祝い清水港
坊ちゃん社員
次郎長三国志 第八部
 海道一の暴れん坊

魔子恐るべし

昭和30年(1955)
スラバヤ殿下
警察日記
次郎長遊侠伝
 秋葉の火祭り
森繁のやりくり社員
夫婦善哉
人生とんぼ返り

昭和31年(1956)
へそくり社長
森繁の新婚旅行
花嫁会議
神阪四郎の犯罪
森繁よ何処へ行く
はりきり社長
猫と庄造と
 二人のをんな

昭和32年(1957)
雨情
雪国
山鳩
裸の町
気違い部落

昭和33年(1958)
社長三代記
続社長三代記
暖簾
駅前旅館
白蛇伝
野良猫
人生劇場 青春篇

昭和34年(1959)
社長太平記
グラマ島の誘惑
花のれん
続・社長太平記
狐と狸
新・三等重役

昭和35年(1960)
珍品堂主人
路傍の石
サラリーマン忠臣蔵
地の涯に生きるもの

昭和36年(1961)
社長道中記
喜劇 駅前団地
小早川家の秋
喜劇 駅前弁当

昭和37年(1962)
サラリーマン清水港
如何なる星の下に
社長洋行記
喜劇 駅前温泉
喜劇 駅前飯店

昭和38年(1963)
社長漫遊記
喜劇 とんかつ一代
社長外遊記
台所太平記
喜劇 駅前茶釜

昭和39年(1964)
新・夫婦善哉
社長紳士録
われ一粒の麦なれど

昭和40年(1965)
社長忍法帖
喜劇 駅前金融
大冒険

昭和41年(1966)
社長行状記
喜劇 駅前漫画

昭和42年(1967)
社長千一夜
喜劇 駅前百年

昭和43年(1968)
社長繁盛記
喜劇 駅前開運

昭和45年(1970)
社長学ABC

昭和46年(1971)
男はつらいよ 純情篇

昭和47年(1972)
座頭市御用旅

昭和48年(1973)
恍惚の人

昭和56年(1981)
連合艦隊

昭和57年(1982)
海峡

昭和58年(1983)
小説吉田学校

平成16年(2004)
死に花




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