昭和30年『夫婦善哉』以来、豊田四郎監督、森繁久彌のトリオで数多くの東宝文芸作品に出演してきた女優・淡島千景。森繁とは幾度となく夫婦を演じ、『夫婦善哉』に至っては映画だけではなく舞台まで―息のあった軽妙な掛け合いを見せてくれた。また、淡島が主役を張る時は森繁が脇に回って良きサポート役になるなど…仕事面でも本当の夫婦のようであった。そのイメージが我々観客にも浸透しているからだろうか…何故か、森繁の映画に淡島が登場すると、ホッとする時がよくある。東宝喜劇の中の森繁は、いつもどこか危なっかしく、観ている側が、ハラハラする役回りが多い。その中で、淡島は映画の中の良心的な存在であり、彼女がその場を上手く、まとめてくれるであろうと観客は期待するわけである。映画の中で男たちがどんなに情けなくあろうとも、彼女はいつも凛としている。金を騙し取られようとも、余所に女をこさえようとも常に真っ直ぐ前を向いて歩いていく。宝塚歌劇で培った姿が、彼女の役柄に合うのだ。そんな彼女が、時たまその表情が少女のようにクシャクシャになって笑って甘えるシーンがある。愛する男が帰って来るのに気づいた時、本当に嬉しそうにササッと身繕いをして出迎える。男にとって、こんなに魅力的な面をいくつも持っている女性は数少ない。
 淡島千景の代表作と言えば、森繁同様に『夫婦善哉』であるのに異論はあるまい。本作で彼女が演じる蝶子は、森繁演じる日本映画史上稀に見るダメ男を裏切られても裏切られても面倒を見る理想的な女性だ。見方によっては馬鹿が付くくらいにダメ男に尽くす女性を淡島千景という女優は、堂々とした風格を持って演じてしまうのが素晴らしい。『夫婦善哉』は、当初、松竹の専属だった彼女にとって、トントン拍子に決まったものではなかった。いくら宝塚出身と言えども5社協定の中では簡単に余所の会社の映画には出ることは出来なかったのだ。それまでお嬢さん役やお姫様役が多かった彼女にとって本作は大阪のやとな芸者役…何が何でも是非やりたいと願い、ゴタゴタを覚悟で出演のオファーを受けたのである。しかし、いざ撮影が始まってみると淡島以外は全て関西人で彼女一人が東京っ子…共演の浪花千栄子から大阪弁を教えてもらうなど方言にかなり苦労したらしい。彼女は当時を振り返って後日、こう語っている。「松竹からたった一人で会社の看板を背負って東宝に来ているから“あれが松竹の淡島か、あれぐらいだったら、こちらにいくらでもいるぞ”って言われたくないので気負っていましたね…」そんな淡島をフォローしてくれたのが森繁だった。芝居の途中でアドリブを連発する森繁は、淡島との絡みのシーンでは一切アドリブを出さなかったという。「もし、森繁さんがアドリブを言われたら、私は大阪弁でどう答えていいか分からなかったでしょう」と、言いつつも撮影本番となると一変して「もうちょっとで森繁さんをあやうく殺すところだったんです」という。その時の事について森繁は…「僕が酔っ払って帰ってくるシーンで淡島さんがカーッとなって水の張った大きな桶に僕の頭を何度も突っ込むんだけど、あの人カメラが回ると手加減を忘れるから水を何度も飲んだ」と語っている。この映画では淡島が森繁を叩くシーンがいくつもあるのだが、やはり手加減なしで強烈にぶったたくから目眩がするくらいにこたえたそうだ。この迫真の演技から名作が誕生したわけである。
 勿論、本来は松竹の専属であるから小津安二郎や中村登監督作にも代表作は多く、主役ではないがメロドラマの名作として名高い『君の名は』三部作では、岸恵子演じるヒロインに優しく手助けをしてあげる料亭の娘役を好演。持ち前の気っぷの良い姉御肌が役柄にピッタリハマり、恋愛映画のヒロインよりも女性映画の主人公をメインにこなすようになる。今井正監督『にごりえ』や中村登監督『女の一生』等の女性映画が続く。一方の東宝作品で彼女が主演の女性映画として忘れられないのが、女手ひとつで興行の世界で成功した実在の人物を演じた再び豊田監督作品『花のれん』だ。またも、浪花女を演じた本作は、正に彼女らしい作品であり、吉本興業創設者である実在の人物の半生を迫真の演技で熱演していた。しばらく豊田監督で森繁との夫婦役が続いた淡島はコメディリリーフ的な役割もこなし“駅前シリーズ”を始め、『珍品堂主人』や『台所太平記』『新夫婦善哉』などで森繁と絶妙の掛け合いを披露。設定が異なるだけの“駅前シリーズ”においても、本人は飽きる事なく毎回、顔を合わせる森繁をいつも「次は、どんな男になって現れるのか楽しみにしていた」という
淡島。常に新鮮な感覚でお互いに演じていたのが長寿シリーズとして続けられた原因だろう。他にも、森繁と共に共演者として忘れてはならないのが加藤大介―千葉泰樹監督『大番』四部作は、日本映画屈指の名作と言っても過言ではなかろう。彼女は待合いの女中役で加藤演じる主人公・ギューちゃんを励ます姿が力強く、森繁と双璧を成す名コンビぶりを見せてくれた。宝塚から松竹へ移り、また東宝へと自分の信念の赴くままに行動を起こす淡島千景は、役も地のまま…常に気丈で芯の強い女性なのだ。
 そして、もう一人、彼女の持つ「女の内に秘めたしたたかさを表現する才能」を気に入って数多くの作品で起用したのが、名匠・成瀬巳喜男監督だ。やはり、自立したマダムの役が多く、中でも印象に強く残るのは『女が階段を上がる時』の体を張って自分のバーを守るマダムである。成瀬監督作品では、高峰秀子と対局を成す役が多かったように思える。こちらは、欲と言うよりも野心家と表現した方が良いかも知れない。昭和30年、次第に社会へ女性が進出し始め、淡路恵子が演じるような女性像を世の女性たちは、求めていたのだ。考えてみると『セックス・アンド・ザ・シティ』に出てくるような女性たちの考え方を既に40年前に先取りし、確立していたのだ。


淡島 千景(あわしま ちかげ)CHIKAGE AWASHIMA 本名:中川慶子
大正13年2月24日。東京都荏原郡生まれ。
日本橋に家を持ち、羅紗地の輸入業を営んでいた家族の三男三女の三女。3歳の時、松竹スター栗島すみ子の師匠である日本舞踊・水木流の門下となる。小学校5年の時に開場したばかりの東京宝塚劇場で宝塚少女歌劇を観た事から5年後に歌劇学校の試験を受け、681名の受験生から62名の合格者に選ばれる。芸名は百人一首の源兼昌の「淡路島かよふ 千鳥のなく声に いく夜ね覚めぬ 須磨の関守」から。宝塚歌劇団出身で在籍時は娘役スターとして活躍した。 昭和14年から25年まで宝塚歌劇団に所属。久慈あさみを同期に在団中は優れた美貌の娘役トップスターとして戦時中・戦後と宝塚歌劇を支え、月組で久慈あさみ、南悠子と同期トリオを結成。2人の男役から愛される娘役スターとして人気を得る。手塚治虫の漫画『リボンの騎士』のサファイア王女は、宝塚時代に2〜3度男役をやった彼女をモデルにした、と大ファンだった手塚治虫本人が生前語っている。しかし、娘役の寿命の短さを感じていた事から『ヴギウギ・ホテル』『アレキサンドリアの舞姫』出演中に辞表を提出。松竹の専属となっていた月岡夢路に映画界入りを誘われて退団後は映画界に転向、『てんやわんや』でデビューし、、第1回ブルーリボン賞演技賞を受賞。テンポの早い演技と小気味よい台詞に加えて、159cm、48kgの小柄な身体で、日本の女優にはなかったスマートな姿はアメリカ映画から抜け出してきた様な印象を与えた。渋谷実監督の『本日休診』や木下恵介監督の『カルメン純情す』、小津安二郎監督の「麦秋』を経て、宝塚退団後初めて東宝に招かれて『夫婦善哉』に出演。蝶子の演技が高く評価されて、第6回ブルーリボン賞主演女優賞。その際に、クビ扱いとされていた宝塚に撤回を願い出て、晴れて和解する事となった。その後、何度も東宝に招かれ、駅前シリーズなどに出演するほか、総合女優として舞台やテレビでも現在まで息の長い活躍を続けている。昭和30年に菊池寛賞、63年に紫綬褒章、平成7年に勲四等宝冠章、平成16年に牧野省三賞、平成17年にNHK放送文化賞に輝くなど日本映画の全盛期を支えた銀幕のスターの一人といっても過言ではない。また、日本俳優連合名誉副理事長として、長年俳優の権利向上などにも力を尽くしている。
主な受賞歴
1950年:第1回ブルーリボン賞・主演女優賞 『てんやわんや』
1955年:第6回ブルーリボン賞・主演女優賞 『夫婦善哉』
1956年:第4回菊池寛賞
1958年:第13回毎日映画コンクール・主演女優賞 『蛍火』『暖簾』
1988年:紫綬褒章
1995年:勲四等宝冠章
2004年:牧野省三賞
2005年:第56回日本放送協会(NHK)放送文化賞
(Wikipediaより一部抜粋)

【主な出演作】

昭和25年(1950)
てんやわんや
奥様に御用心

昭和26年(1951)
自由学校
麦秋

昭和27年(1952)
本日休診
波  松竹大船
お茶漬の味
カルメン純情す

昭和28年(1953)
やつさもつさ
岸壁
君の名は
にごりえ

昭和29年(1954)
真実一路
陽は沈まず
お景ちゃんの
 チャッカリ夫人
忠臣蔵
 花の巻、雪の巻

昭和30年(1955)
女の一生
心に花の咲く日まで
修禅寺物語
夫婦善哉
君美しく

昭和31年(1956)
ウッカリ夫人と
 チャッカリ夫人
早春
残菊物語
桂春団治

昭和32年(1957)
踊子
大番
女の肌
裸の町
続大番 風雲編
夕凪
鳴門秘帖
気違い部落
続々大番 怒濤篇

昭和33年(1958)
負ケラレセン
 勝マデハ
忠臣蔵
大番 完結篇
喜劇 駅前旅館
鰯雲
日蓮と蒙古大襲来
人間の条件

昭和34年(1959)
花のれん
貸間あり
暗夜行路
歌麿をめぐる五人の女
雪之丞変化

昭和35年(1960)
珍品堂主人

昭和36年(1961)
東京夜話
妻として女として
好人好日
喜劇 駅前団地
喜劇 駅前弁当

昭和37年(1962)
喜劇 駅前温泉
王将
河のほとりで
喜劇 駅前飯店

昭和38年(1963)
喜劇 とんかつ一代
無法松の一生
台所太平記
喜劇 駅前茶釜
新・夫婦善哉

昭和39年(1964)
喜劇 陽気な未亡人
喜劇 駅前怪談
路傍の石

昭和40年(1965)
喜劇 駅前天神
喜劇 駅前金融

昭和41年(1966)
喜劇 駅前学園

昭和42年(1967)
喜劇 駅前百年

昭和43年(1968)
大奥絵巻

昭和58年(1983)
この子を残して
生きてはみたけれど 小津安二郎物語

昭和61年(1986)
化身

平成11年(1999)
故郷

平成13年(2001)
シベリア超特急2




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