如何なる星の下に
人生航路の運命を負うて、此の星の下に生きる人々―歓びが、哀しみが、夜空の星のようにはかなくまたたく女の性!

1962年 カラー 東宝スコープ 117min 東京映画
製作 佐藤一郎、金原文雄 監督 豊田四郎 脚本 八住利雄 原作 高見順 撮影 岡崎宏三
音楽 平岡精二 美術 伊藤憙朔 録音 長岡憲治 整音 西尾昇 照明 榊原庸介
出演 山本富士子、池内淳子、大空真弓、加東大介、三益愛子、池部良、森繁久彌、乙羽信子、植木等
淡路恵子、北あけみ、西村晃、山茶花究、若宮忠三郎


 昭和17年、浅草を舞台に描いた高見順の同名原作を現代の東京で新旧の対称をはっきり見せていた佃島・明石町の築地川周辺に舞台を移し変えて、豊田監督と永年コンビを組んでいる『愛情の系譜』の八住利雄が脚色、『明日ある限り』を撮り終えたばかりだった豊田四郎が監督した三人姉妹の物語。撮影もまた豊田監督とコンビを組んでいる名匠・岡崎宏三。出演者には大映の専属女優『暗夜行路』『墨東綺譚』に次いで三度目の東京映画出演を果たした山本富士子。おなじみ東宝のドル箱喜劇俳優のベテラン森繁久彌が初顔合わせをする他、豊田監督作品常連の池内淳子、大空真弓が姉妹役で好演。『暗夜行路』で好評だった池部良が再び豊田監督と再び顔を合わせている。また、舞台となる佃島のおでん屋の店主に名優・加東大介と三益愛子が共演し物語に笑いと深みを加えている。更にクレージーキャッツとして当時まだ売り出したばかりの植木等がキーパーソンとなる売れっ子歌手として出演を果たしている。豊田監督は、本作で森繁と山本富士子に要求したのは「一度離婚した後で再会した男女の味わう虚無感」だと語っている。


 江戸の名残りを漂わす下町の一角に、おでん屋惣太郎がある。おでん屋の亭主惣太郎(加東大介)は、以前は鳴らした曲芸師だったが、今は傷痍軍人で酒と麻雀に明け暮れている。そんな惣太郎でも、惚れて養子にした女房のおまき(三益愛子)は亭主に弱い。この二人の間に美しい三人姉妹がある。長女の美佐子(山本富士子)は結婚に破れて家を手伝っている。彼女は、初めての男但馬(森繁久彌)の印象を捨て切れずにいたが、いつしか店に通って来る倉橋(池部良)に淡い思いを寄せ始めた。次女の玲子(池内淳子)は歌手志望、同じ歌手の大屋五郎(植木等)に惚れているが思いのままにならない。やがて妹の三女雅子(大空真弓)と大屋との関係を知って愕然とする。三女の雅子は若い踊り子で、倉橋は美佐子の妹とも知らず雅子の出る劇場へと通いつめる。そんなある日美佐子の前に何年ぶりに別れた夫の但馬が現れ、彼は言葉巧みに美佐子に借金を申し出る。まだ但馬に未練のある美佐子は嘘だと知りつつもお金を貸してやるのだった。こんな小さな町の小さな家にもつぎつぎと事件が起こった。金にがめつい雅子は、そのがめつさ故に香港へ売られ、父の惣太郎は卒中で倒れたのだ。美佐子は、こんな小さな家にさえも押し寄せてくる人間の運命を感じないわけにはいかなかった。「誰が可哀そうって、人間は皆んな可哀そうよ、人間皆んなが可哀そうなのよ」とすすり泣く美佐子には、倉田のなぐさめの言葉も耳に入らないかのようであった。


 豊田四郎が描く街は、いつも俳優に並ぶ重要な主役として存在する。どこかの街…ではなく街の名前をしっかりと出す事で物語の信憑性が格段にアップするのだ。本作の舞台となるのは銀座に程近い佃島。この佃島という土地が実に良い。築地を隅田川の対岸に臨み、隅田川に面した幾つもの水門と運河が横に流れており、今でも入り江には屋形船が何隻も停泊している。本作は、そこで小料理屋(懐かしいおでん屋)を営む山本富士子演じる娘・美佐子を主人公とした彼女を取り巻く人間たちの群像劇である。高見順の長編小説を八住利雄は、見事に脚色を施して、映画としての新しい作品に仕上げている。時代も戦時中から現代に置き換えるだけでなく、主人公も店に出入りする客の男から店の娘…と、思い切った大幅な変更を行っている。視点を変えた事によって映像化すると散漫になる可能性のある物語に、一本芯が通ったわけである。元々監督の豊田四郎は群像劇は得意な分野であるが、もうひとつ女性映画も繊細なタッチで描く事で定評がある。豊田監督にしてみると本作は両方の得意分野の合わせ技となるわけだ。
 主人公・美佐子を取り巻く様々な人間模様…とりわけ映画では、男と家族関係に焦点が当てられている。傷痍軍人で恩給を貰い仕事もせずに酒と麻雀に明け暮れる父親を加藤大介が好演。相変わらずの芸達者ぶりを見せてくれるが、その加藤以上に強烈なインパクトを残すのが、母親を演じた三益愛子。日頃はせっせと店を切り盛りしているが一旦、酒が入ると暴れ出す酒乱の母を演じ、ラスト近くでは、お客の前でキレて暴れまくった挙げ句に手足を縛られてしまう。娘を次々と失い、不甲斐ない亭主の寝顔を見て感情が爆発したそのシーン…可笑しさの中に母である以前の女としての悲しさが入り混じった名シーンに仕上がっていた。また、主人公と関わる男たちの中で、さすが上手い!と思ったのは森繁久彌演じる彼女を捨てて出て行った挙げ句、金を借りに現れるしょうもない前夫。足を引きずりながらホテルに彼女を呼び出し、情けない泣き言を並べ立てる姿は、森繁の演技力を存分に堪能出来る。
 では、肝心の山本富士子はどうか?と言うと彼女を介して様々な人間が描かれているため飛び抜けて目立つような印象が無かったのは事実。しかし、この控え目な演技こそが、本作のような群像劇には必要で観客は彼女と同じ客観的な視点で登場人物たちをじっくり観察できるわけだ。つまり、彼女が劇中で表す怒りや悲しみは観客と限りなく同じである。豊田監督は、数多くの群像劇を作り続け、主役を脇役とする術を身に付けたに違いない。二人の妹を失い、店に通っていた劇団員も死んでしまい、前夫にまで裏切られた彼女が、運命の皮肉にむせび泣く姿は忘れられないエンディングであった。

「誰が可哀そうって人間は皆んな可哀そうよ。可哀そうだから、人間は皆んなこの星の下から抜け出そうとしなきゃだめよ」主人公を演じる山本富士子が振り絞るように吐く心の叫びだ。


ビデオ、DVD共に廃盤後、未発売
昭和22年(1947)
女優

昭和25年(1950)
腰抜け二刀流

昭和26年(1951)
有頂天時代
海賊船

昭和27年(1952)
上海帰りのリル
浮雲日記
チャッカリ夫人と
 ウッカリ夫人
続三等重役

昭和28年(1953)
次郎長三国志 第二部
 次郎長初旅
凸凹太閤記
もぐら横丁
次郎長三国志 第三部
 次郎長と石松
次郎長三国志 第四部
 勢揃い清水港
坊っちゃん
次郎長三国志 第五部
 殴込み甲州路
次郎長三国志 第六部
 旅がらす次郎長一家  

昭和29年(1954)
次郎長三国志 第七部
 初祝い清水港
坊ちゃん社員
次郎長三国志 第八部
 海道一の暴れん坊

魔子恐るべし

昭和30年(1955)
スラバヤ殿下
警察日記
次郎長遊侠伝
 秋葉の火祭り
森繁のやりくり社員
夫婦善哉
人生とんぼ返り

昭和31年(1956)
へそくり社長
森繁の新婚旅行
花嫁会議
神阪四郎の犯罪
森繁よ何処へ行く
はりきり社長
猫と庄造と
 二人のをんな

昭和32年(1957)
雨情
雪国
山鳩
裸の町
気違い部落

昭和33年(1958)
社長三代記
続社長三代記
暖簾
駅前旅館
白蛇伝
野良猫
人生劇場 青春篇

昭和34年(1959)
社長太平記
グラマ島の誘惑
花のれん
続・社長太平記
狐と狸
新・三等重役

昭和35年(1960)
珍品堂主人
路傍の石
サラリーマン忠臣蔵
地の涯に生きるもの

昭和36年(1961)
社長道中記
喜劇 駅前団地
小早川家の秋
喜劇 駅前弁当

昭和37年(1962)
サラリーマン清水港
如何なる星の下に
社長洋行記
喜劇 駅前温泉
喜劇 駅前飯店

昭和38年(1963)
社長漫遊記
喜劇 とんかつ一代
社長外遊記
台所太平記
喜劇 駅前茶釜

昭和39年(1964)
新・夫婦善哉
社長紳士録
われ一粒の麦なれど

昭和40年(1965)
社長忍法帖
喜劇 駅前金融
大冒険

昭和41年(1966)
社長行状記
喜劇 駅前漫画

昭和42年(1967)
社長千一夜
喜劇 駅前百年

昭和43年(1968)
社長繁盛記
喜劇 駅前開運

昭和45年(1970)
社長学ABC

昭和46年(1971)
男はつらいよ 純情篇

昭和47年(1972)
座頭市御用旅

昭和48年(1973)
恍惚の人

昭和56年(1981)
連合艦隊

昭和57年(1982)
海峡

昭和58年(1983)
小説吉田学校

平成16年(2004)
死に花




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