1990年代は、興行形態がシネマコンプレックス(シネコン)とミニシアターの二極化された時代だ。1993年4月に神奈川県海老名市にオープンした『ワーナー・マイカル・シネマズ』が初上陸して以来、ひとつの商業施設に5スクリーン以上の上映設備を有するシネコンは瞬く間に全国に広がって行った。外資系のシネコンが地方に出展することは既存館を有する映画会社から反感を買い、地元の映画館を守るため新作映画を配給しない地域もあった。一方で、1961年に設立されたATG日本アート・シアター・ギルドの上映館『アートシアター新宿文化(後の新宿文化シネマ)』が1962年にオープンしてから、1974年に『岩波ホール』がオープンして、1976年にはフランス映画社が全国東宝系の映画館でBOWシリーズとしてフェリーニやベルイマンの作品を上映するようになった。それまでは、良質なヨーロッパ映画やインディーズ映画は、アンダーグラウンドで全国の若者たちが、自治体が運営する公民館や、時には喫茶店などを借りて自主上映会を行っていた。こうしたメジャー系のロードショー館では掛かることの無い映画を上映する映画館を単館とかミニシアターと呼ぶようになったのは、1981年に新宿ミラノ会館にオープンした『シネマスクエアとうきゅう』からだ。この年を境にセゾン系列が興行界に参入して1983年にファッショナブルなロビーで『シネヴィヴァン六本木』をオープン。以降、1980年代には渋谷に『ユーロスペース』『シネセゾン渋谷』『シネマライズ』『ル・シネマ』が次々とオープンして、渋谷はミニシアターの聖地と呼ばれ大ブームを巻き起こした。配給会社もミニシアターで上映する作品のパブリシティにも力を入れており、それまでのパンフレットの概念を覆す企画定形外のユニークなものが登場。また読み物として充分納得出来る豊富な資料を掲載して映画館独自のスタイルでパンフレットを進化させていった。
※記載の年代は日本公開年。製作年はタイトル横に表記されています。


 


■テルマ&ルイーズ (1991年アメリカ)


■ザ・プレイヤー (1992年アメリカ)


■さらば、わが愛 覇王別姫 (1993年香港)


■KIDS (1995年アメリカ)
■恋する惑星 (1994年香港)


■八月のクリスマス (1998年韓国)