日本で大ヒットを記録して韓流ブームを巻き起こした『シュリ』の前年に、新宿の老舗ミニシアター「シネマスクエアとうきゅう」でひっそりと公開された韓国映画『八月のクリスマス』は、いつまでも自分の引出しに大切にしまっておきたい映画のひとつとなった。まさに韓流ブーム前夜に初めて出逢った韓国映画が、本作であった事に感謝したい至極の逸品だ。主人公のハン・ソッキュは『シュリ』の主役でもあり、人の良さそうなお兄さんという風貌で、決してイケメンでは無いところに好感が持てる。だから韓国でも人気があるのだろうか?

ハン・ソッキュ演じる青年はソウルで小さな写真館を営んでおり、毎日同じように仕事と家事をこなしている。写真を引取に来た女性客の写真映りに対する文句に笑顔で付き合い、好きなクラスメイトの写真を引き伸ばしたいという子供たちのリクエストにも応えてやる。そんな平凡な日々を楽しそうに過ごす姿からこの仕事が好きなんだ…という事がよく分かる。青年は頻繁に薬を飲む。やがて重大な病に罹っている事が主人公のモノローグから分かってくる。だからと言って仰々しいお涙頂戴の演出はされていない。劇中一度だけ親友と飲んだ帰り「実は俺は死ぬんだ」と冗談めかして言うだけだ。

そんな青年の写真館に交通取締りの女の子が駐車違反の写真を現像してもらうため出入りするようになる。その子を演じるのがシム・ウナ。制服のネクタイ姿と笑顔が可愛く素敵な女の子だ。彼女は青年を「おじさん」と呼び(それほどの年齢差ではないのだが…)現像の依頼が無い日でも余程居心地が良いのか頻繁に訪れるようになる。間も無く死を迎える青年と生命力に溢れる女の子…決して大きな出来事が描かれるわけではなく、二人が交わす取り留めのない会話を紡ぎながら少しずつ距離を縮めていく過程を丁寧に描く。二人のデートの場所はもっぱら閉店後の写真館でスルメを肴にビールを飲むだけ。そんな二人が遊園地で一日デートをする場面がある。新鮮だったのはデートの終わりに銭湯によって帰るところだ。デートの締めに銭湯を入れるのは韓国では当たり前なのだろうか?

まるで一遍の詩のように二人の日常を切り取る監督のホ・ジノは本作が長編デビュー作であるというから驚く。全てのシークエンスから無駄を削ぎ落として97分という尺にまとめ上げた見事な力量には感服せずにはいられない。主軸である二人のドラマ以外にも写真館を訪れる人々の姿…中でも家族写真を撮りに来た老女が後から再び来店して「あれ、私の葬式用の写真だったのよ」と撮り直しをお願いするシーンなど実に丁寧に作り込まれている。何よりこの写真館の佇まいとロケーションが良い。ソウル近郊の閑静な住宅地と近所に商店街があって店の前には広い道路と一本の大きな木が立つ。金色に輝く夏の陽射しと木漏れ日のコントラスト。女の子は現像が仕上がるまでその木にもたれて待ち、青年は彼女にそっとアイスキャンディを差し出す。こうした全てのシーンにそっと寄り添うチョ・ソンウの音楽に、口角が緩み目頭が熱くなる。

ある日、写真館は閉じたまま青年は女の子の前から姿を消してしまう。自分が不治の病であることを彼女に告げぬまま時間が過ぎて行く。その時間の経過を彼女目線で描いているのが上手い。何度も閉じている店の前を訪れては暗い店に手紙を差し込んで帰る日々。彼女に好意を持っている同僚に誘われて仲間とお別れ会をしても焦燥感だけが積もり、とうとう夜中に写真館のガラスを石を投げて割ってしまう。台詞を一切使わずに女の子の一連の行動だけで時間の推移と両者の感情を表現してしまうのは見事だ。そして、ラスト近く…本作が遺作となった撮影監督ユ・ヨンギルによる退院した青年が遠くの喫茶店から働く彼女を見つめるカット。窓ガラスの向こうの彼女に、そっと手をかざす青年の手…鳥肌級の美しさだ。