横浜みなとみらいにあったショートフィルム専門のミニシアター「ブリリア ショートショート シアター 」のオンラインシアター内にあるコラムマガジンで、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』に関する「その世界観に人々がやっと追いついてきた」という寄稿を興味深く読んだ。ファッションの切り口で、現在の視点でファッションクリエイター菅原敬太氏が細かく分析していた。当時の配給会社は、香港・台湾映画を中心としたアジア映画に力を入れていた新鋭のプレノンアッシュ。パンフレットにも力を入れており、インタビューや対談などの情報量は群を抜いていた。本作のヒットを皮切りにカーウァイ監督作品が立て続けに大ヒットを記録すると、青山の閑静な住宅地に本社とアジア映画雑貨の専門店「CINE CITY HONG KONG」を設立して、ミニシアターブームに拍車をかけた。

映画は2部構成になっており、1960年代に建設された古い多国籍ビル「重慶マンション」内にある飲食店をハブとして二人の刑事の恋愛模様をスタイリッシュな映像と国際色豊かなポップチューンで描かれる。何より、前半を担当する撮影監督アンドリュー・ラウと後半を担当するクリストファー・ドイルによるカメラワークから生まれる独特の世界観に引き込まれる。冒頭に出てくる狭い雑居ビルの通路を歩く金髪&サングラスの怪しげなブリジット・リン演じる女。そして中国語タイトル「重慶森林」がバーンと表示される。観賞後、パンフレットを熟読して原題の意味が理解できたのだが、映画の舞台となる「重慶マンション」に漂う空気感の中で繰り広げられる恋愛模様を猥雑でデカダンスな映像とセンシティブな内容が新鮮だった。

パンフレットによると、「重慶マンション」は観光客が多く訪れる場所にある雑居ビルでありながら、不法滞在している多国籍な人間も居住しているため不用心に撮影する余所者には厳しい。下層階には土産物、雑貨、両替商、屋台などがひしめきあっており、その様相は上野のアメ横や今はなき秋葉原デパートの空気感に似ている。そのため許可を取らずにビル内ではゲリラ的に撮影を行い、終わり次第とっとと撤収する。照明も全て現地の光を利用するのみ…まるで昔の日本映画のような撮影だったという。そのおかげで完成した映像は生々しさと幻想的な雰囲気が混ざり合った不思議な世界観が生まれていた。

多くの人かき分けて犯人を追う金城武演じる刑事は、恋人から別れを告げられて意気消沈しているところ、バーで出逢ったドラックディーラーの女性と恋に落ちる。彼は別れた恋人が好きだったパイナップルの缶詰を毎日食べ続ける。彼には彼なりのルールみたいなものがあって、食べるのは自分の誕生日に賞味期限切れとなる缶詰だけ。誕生日が近くなると市内の食料品店を探し回るのだが、店員は賞味期限が近い缶詰なんて処分品に回しているので不審がる。その理由は最後まで明かされないのだが、何かにすがらないとやり切れない焦燥感が行動から伝わってくる。そんな彼が犯罪者とも知らずホテルで共にした彼女の靴を「美人にはきれいな靴が似合う」と、自分のネクタイで拭いて、そっと出て行くシーンが印象に残る。

全く関係性のない二つのドラマを前半から後半に移行するギミックも上手い。前半の主人公が行きつけのドリンクスタンド「ミッドナイト・エクスプレス」の店主が独り者の彼に言う「新しく入ったいい子を紹介するよ」と。ベリーショート店員の横顔をチラッと見た彼は「男は嫌いだ」と呟く。そこから後半の主人公トニー・レオン演じる警官633号へとバトンが渡す展開が洒落ている。彼が男と勘違いしたのはフェイ・ウォン演じる女の子。ちょっとぶっきらぼうな態度で、店主に文句を言われてもいつも大音量でママス&パパスの「カリフォルニア・ドリーミング」を流すのがキュートだ。そして後半は彼女が警官633号に恋をする物語となる。

この映画を観たのはミニシアターブームに熱がおびてきた1995年で、映画館はその中心にあった「銀座テアトル西友」だった。シネラマ上映館として『2001年宇宙の旅』などの大作を上映していた「テアトル東京」の跡地に設立されたテアトル系列のホテル内にあったミニシアターである。渋谷系のミニシアターと異なり、銀座のミニシアターに来る観客は年齢層が渋谷よりも高い。上質なアートやファッション、インテリアを重視する観客が多かった。香港で頭角を表してきた若手映画作家を日本に紹介してきたプレノンアッシュが、油の乗っていた時代の作品である。次々と、新しい才能を発掘したこの時代におけるプレノンアッシュの功績は大きい。それだけに、2013年に予定されていた日中合作の大作『一九〇五』の中止に端を発し破産してしまったのは残念でならない。