森繁久彌の映画…というと二人の女優が思い出される。一人は、『夫婦善哉』で夫婦を演じて依頼、ダメな男の良き伴侶として甲斐甲斐しい女性の役で森繁に寄り添い続けてきた淡島千景。もう一人は、続編となる『新夫婦善哉』で、対象的に森繁演じる弱い男の隙間に付け入ろうとする魔性の女性・淡路恵子だ。淡島が勝手な男性の理想とする女性であるとするならば、淡路は言わば現実的な価値観で生きる女性だ。淡路恵子が、映画の世界に入る際に、憧れていた先輩―淡島千景の名字から“淡”という字を貰い、全く対照的な役柄で数多くの作品で共演を果たしたのも、淡路の強い思いの表れではなかろうか…。役柄の生き方としては、淡路恵子の方が、がぜんカッコ良く、森繁を色仕掛けで誘って失敗すると手のひらを返したように冷たくあしらい、ねちっこく付きまとう事はせずに、次の獲物(馬鹿な男共)を物色する。東宝喜劇の中でお色気部門を担当している割にはサバサバした性格故にある意味、一番男っぽい役どころだ。色白の肌に切れ長の目、スラリとした体型は和服も洋服もよく似合う。駅前シリーズでは、和服姿の料亭の女将だったり、芸者上がりのOLに扮して、時には森繁、時にはフランキー堺をあの手この手で誘惑する。豊田四郎監督が、そういった役に彼女を起用する事が多く、一番初めに森繁と共演した『新夫婦善哉』では、主人公の柳吉を見事に誘惑して千葉の田舎まで駆け落ちの末、全てを剥ぎ取って、放り出してしまう。普通なら憎まれ役なのだが、彼女が演じると怒りよりも鮮やかな手口とクールな雰囲気に圧倒されて「お見事」と拍手を送りたくなるのだ。彼女が映画の中で誘惑するのは男だけとは限らない。『台所太平記』では、同僚の女中さんを誘惑するバイセクシャルの女中役をこなし、ゾッとするような魅力を見せてくれた。社長シリーズを手掛けたプロデューサー藤本真澄は彼女を「喜劇の重要なテーマである色と欲を実に上手く表現できる女優」と褒め称えた(キネマ旬報社刊「日本映画人名辞典」参照)。喜劇ではないが、豊田監督の『四谷怪談』でも色と欲のために伊右衛門に斬られてしまう乳母役を妖艶に演じており、ある意味、欲に溺れた人間の方がお岩の怨霊よりも怖かった。
 そして、もう一人、彼女の持つ「女の内に秘めたしたたかさを表現する才能」を気に入って数多くの作品で起用したのが、名匠・成瀬巳喜男監督だ。やはり、自立したマダムの役が多く、中でも印象に強く残るのは『女が階段を上がる時』の体を張って自分のバーを守るマダムである。成瀬監督作品では、高峰秀子と対局を成す役が多かったように思える。こちらは、欲と言うよりも野心家と表現した方が良いかも知れない。昭和30年、次第に社会へ女性が進出し始め、淡路恵子が演じるような女性像を世の女性たちは、求めていたのだ。考えてみると『セックス・アンド・ザ・シティ』に出てくるような女性たちの考え方を既に40年前に先取りし、確立していたのだ。
 こうして、映画界で成功を収めた彼女だが、本来「映画よりも歌劇」と公言して、デビュー作黒澤明監督作『野良犬』の高評価にも関わらず次回作の出演オファーにも首を縦に振ろうとはしなかった事から彼女の信念の強さがうかがえる。だからこそ、一度、やると決めたら、半端なく取り組む姿は彼女の役とどうしてもだぶってしまう。松竹歌劇団を退団後日劇ダンシングチーム入りを密かに企む強かさも、彼女の演じた役に酷似しているではないか。松竹との契約が切れた途端、再契約をせずに東京映画に籍を移したのは、松竹が作るメロドラマに自分の居場所は無いと判断したからだ。松竹の恋愛ドラマは、現実味が伴わず、すれ違いとお涙頂戴を主としていたのに対し、東宝は、しっかりと女性を描く事に長けていた。これが、彼女の思い描く舞台にピッタリと当てはまった。
 こうした我が道を往く女性を演じてきた淡路恵子は、年齢を重ねる毎にファンキーなムードを兼ね備えたカッコいいお母さん…そして、おばあさんを数多く演じるようになる。特に『男はつらいよ知床慕情』では、三船敏郎演じる意固地な男やもめの世話をしながら慕っているスナックのママさん(やっぱり、このひとは飲み屋が似合うんだな〜)を好演。森繁久彌の名曲にオマージュを捧げた作品に彼女を起用したのも心憎いキャスティングだったが、無骨な三船と気っぷの良い淡路の共演から生まれる絶妙な間と雰囲気がシリーズ屈指の名作にまで高めたのは言うまでもない。また『プリティーウーマン』では、80歳を過ぎていながら堂々主役を務めている。お婆ちゃんたちが、お芝居を披露するまでを描いたシニアパワーに溢れた映画で、淡路恵子の女優人生をオーバーラップさせるような役どころであった。この映画で舞台に立つおばあちゃんのようにデビューから一貫して、自分の道を自らの手で切り開いて来た彼女の背中は常にピンと伸び、いつでも顔は真っ正面を向いていた。彼女は女優として生きる決意をした時、二枚目路線を嫌い「バラエティーに富んだ脇役で一生やっていく」と公言。若い頃は主役を張ることなく徹底して脇役を極め、時には主役以上の強烈なインパクト与えてくれた淡路恵子。全ての年齢において共通しているのは、彼女の生き方が反映されたどの役も皆カッコイイ!というところだ。


淡路 恵子(あわじ けいこ)KEIKO AWAJI 本名:井田綾子 1933年7月17日。東京市生まれ。
東京都立第八女子高等学校(現・東京都立八潮高等学校)を中退して、1948年に松竹歌劇団の養成所である松竹音楽舞踊学校に入学。1949年、入団前の学校生の時に黒澤明監督に抜擢され、本名の井田綾子で、新東宝映画『野良犬』に映画デビュー。1950年、松竹歌劇団に入団。草笛光子、深草笙子と組んでスリーパールズにも抜擢され、歌に踊りに大活躍した。宝塚歌劇の娘役スター淡島千景に憧れて、芸名を淡路にしたという。淡島のことは「お姉ちゃん」と慕っており、舞台「毒薬と老嬢」などで共演している。1953年からは多くの松竹映画に出演。主演したメロドラマ『この世の花』は、続編、続々編と大ヒットした為、完結編まで全10部作となった。1955年にはマーク・ロブスン監督に見出され、パラマウント映画『トコリの橋』にミッキー・ルーニーと共演。1957年に出演した『太夫さんより・女体は哀しく』と『下町』の演技でブルーリボン賞の助演女優賞を受賞。1960年代には東宝の駅前シリーズや社長シリーズのレギュラー出演など数多くの映画に出演した。テレビドラマでは、1961年にNHKの伝説的大ヒット・オールスタードラマ『若い季節』に女社長役で主演。1963年に越路吹雪、岸田今日子、横山道代との四姉妹役で出演した日本テレビ『男嫌い』は数々の流行語を生み出す話題作になった。
20歳のときにフィリピン人歌手ビンボー・ダナオ(Bimbo Danao)と結婚し長男・次男を出産。二児の母となるが1965年に離婚(ダナオは1967年に腺肉腫で死去)。 1966年に中村錦之助(後に萬屋錦之介と改名)と再婚し女優業を引退、三男・四男を出産した。しかし、萬屋の個人事務所である中村プロが莫大な負債を抱え倒産。筋無力症で倒れた萬屋を献身的に看病するが、甲にしきとの不倫問題などで1987年に離婚。女優業に復帰し『男はつらいよ』シリーズに出演するなど精力的に活動を再開した。
(Wikipediaより一部抜粋)



【参考文献】
親父の涙万屋錦之介―淡路恵子特別インタビュー

227頁 19.2 x 13.2cm 集英社
島 英津夫【著】
1,470円(税込)


【主な出演作】

昭和24年(1949)
野良犬

昭和28年(1953)
夏子の冒険
まごころ
姉妹
君の名は

昭和29年(1954)
蛮から社員
求婚三人娘
若旦那武勇伝

昭和30年(1955)
この世の花
哀愁日記
渡り鳥いつ帰る
トコリの橋

昭和31年(1956)
女の足あと
森繁よ何処へ行く
現代の欲望

昭和32年(1957)
おしゃべり社長
忘却の花びら
裸の町
月と接吻
太夫さんより
 女体は哀しく
下町

昭和33年(1958)
愛情の都
続社長三代記
弥次喜多道中記
喜劇 駅前旅館

昭和34年(1959)
社長太平記
グラマ島の誘惑
続・社長太平記
男性飼育法
歌麿をめぐる五人の女

昭和35年(1960)
女が階段を上る時
珍品堂主人
第三波止場の決闘
娘・妻・母
切られ与三郎
墨東綺譚
姉さん女房

昭和36年(1961)
社長道中記
妻として女として
続社長道中記
喜劇 駅前団地
喜劇 駅前弁当

昭和37年(1962)
女の座
如何なる星の下に
しのび逢い
喜劇 駅前温泉
私と私
喜劇 駅前飯店

昭和38年(1963)
社長漫遊記
続社長漫遊記
クレージー作戦
 先手必勝
台所太平記
喜劇 駅前茶釜
日本一の色男
新・夫婦善哉
クレージー作戦
 くたばれ!無責任

昭和39年(1964)
喜劇 駅前女将
無責任遊侠伝
兵隊やくざ
喜劇 駅前金融
四谷怪談

昭和40年(1965)
狸の大将
喜劇 駅前大学
花と龍

昭和41年(1966)
続花と龍
 洞海湾の決斗
喜劇 駅前弁天
喜劇 駅前漫画

昭和42年(1967)
父子草

昭和62年(1987)
男はつらいよ
 知床慕情

昭和63年(1988)
ダウンタウン・ヒーローズ

平成1年(1989)
男はつらいよ
 寅次郎心の旅路

平成15年(2003)
ぷりてぃ・ウーマン




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