小沢昭一の笑いは人間の奥底に潜む感情を露にする事から生まれる凄みのようなものがある。言い換えれば、心の底から笑えるタイプの演技をする男ではない。だから苦手な出演作も正直言ってある。もう10年くらい前になるだろうか…東中野にあるミニシアターのポレポレ東中野で、「小沢昭一 僕の映画史」という小沢昭一が選んだ自らの出演作を10本程セレクトした特集上映が開催された。実は、その時に観た作品の殆どが映画館で観るのが初めてで、未だにDVD化されていないものも結構あった。その中に映画デビュー間もない頃の小沢が準主役を務めた2作のコメディー、中平康監督の対立する牛乳店が顧客獲得のためにサービス合戦を展開する『牛乳屋フランキー』(小沢はライバル店に寝返った配達員)と、春原政久監督の新米水兵たちの訓練生活をユーモラスに描いた『フランキー・ブーちゃんのあゝ軍艦旗』(小沢は新兵を怒鳴りつける厳しい鬼教官)が入っていたのが嬉しかった。昭和の伝説的バイプレイヤーとして200本以上の作品に出ており、「二本立に両方出ていて、その前にやる予告編にも二本出ている事があった…これは恥ずべき事だな」と、以前、キネマ旬報に掲載された小沢栄太郎と殿山泰司との「座談会・映画界を斜めに見れば」で、語っていたのを読んで、あるあると納得したのを思い出す。ここでは、本人がセレクトされた印象に残る作品に、今村昌平監督と川島雄三監督の作品が多い事から、小沢昭一にとって、この二人の天才の存在が如何に大きかったかが理解出来る。

 今村昌平とは、二人が映画の世界に入る前…早稲田大学の学生劇場という劇団で出会ってからの付き合いという。卒業後(厳密には今村は在学中から)は、小沢は演劇を続けながら映画俳優として川島監督の作品に出演していた。時期が前後するが、松竹時代に今村が川島監督の助監督に付いていた事から、その後日活に移った今村が監督として一本立ちした最初の作品『盗まれた欲情』で、小心者でセコい地主の息子役に抜擢されている。村に旅役者がやって来たと村を上げて盛り上がる中で、テント小屋を建てる土地の利用料で渋るケチくさい演技なんて最高だった。小沢が気に入っていたのは、村の女の子を拐おうとした若い衆を追い掛けて、挙句に泥だらけになるシーンで、今村監督のイーリング・コメディ的なギャグのセンスを自身も高く評価していた。

 まず、ポレポレ東中野で行われた「小沢昭一 僕の映画史」で上映された今村昌平監督作品の中でも私が最も好きな映画である『「エロ事師たち」より 人類学入門』を映画館で再見出来たのはありがたかった。今村監督が描く男たちは冴えない人生の不適格者が多い。戦後、高度経済成長期の波に乗り損なってしまい底辺でコソコソと生きる男たち。本作で小沢昭一が演じるズブやんという男もそんなエロ写真やブルーフィルムを撮っては、潜りで上映会を催して販売をしているような、高度経済成長期に浮き足立つ日本の陰で生計を立てている男だ。ポータブル8ミリカメラを3台並べて野外セックスシーンを撮る冒頭シーンの面白さ。彼からエロ商品を買っている大学出のサラリーマンに対して「ワシの商売は奴らに生き甲斐を与えたる…言うたら人助けや。社会事業みたいなもんや」と嘯く。大企業の役員たちに官能小説を売りさばいたり、違法の強精剤を売ったり…当時のヒエラルキー社会において、インテリたちを嘲笑うこの強かさが、何とも滑稽だった。このズブやんという小者を嬉々として演じる小沢…今村監督からは「校長先生みたいな感じで行こうよ」という、女衒やポン引きみたいな如何にもな感じではなく…という要望があり、そのおかげで一遍にイメージが湧いてきたそうだ。その反面、浅草出身のコメディアンだからミスキャストだったのでは?という批評もあったが、関西弁はともかく、この大阪の下町特有のイカサマ師っぽさは小沢の真骨頂だったと思うのだが。

 先日、神保町にある神保町シネマで上映された「今村昌平を支えた職人魂—生誕100年 キャメラマン・姫田眞左久の仕事」特集で、ありがたいことに、その時に観逃してしまった『「経営学入門」より ネオン太平記』(昭43)を、ようやく観る事が出来た(現在はDVDでも観る事が可能)。磯田敏夫が書いた「企業防衛」を原作とした『「エロ事師たち」より 人類学入門』(昭41)に続く入門シリーズ第二弾で、今村昌平が磯見忠彦と共に脚本を手掛けている昭和43年に公開された磯見忠彦監督の風俗喜劇で、これが実に面白かった。大阪・千日前のキャバレーを舞台に、そこで生きる人間たちの奮闘を描いており、ラストの謝恩大運動会でビキニ姿のホステスたちが実際に大阪の街を走るシーンが圧巻だった。小沢昭一は、そんなキャバレーの支配人を演じている。この男、競争相手に勝つために、ホステスにハッパをかけたり、宥めたり賺したり、そのクセ双子のホステスに手を出してしまう脇の甘さを持つ…小沢は、そんな好色な小物ぶりを披露する。こういった演技が出来るのはこの男を置いて他にいない。ちなみに、本作が製作される2年前、小沢昭一は内外タイムスに連載されていた「人類学入門ーお遊びと芸と」で、大劇サロンという大阪のキャバレー支配人・七堂敏夫氏と対談されていていたが、実はこの七堂氏こそが、本作の原作者・磯田敏夫その人だった。ほぼ自伝的小説の映画化だけに、後に自分が演じる事になる本人に会っていた事になる。

 もう一本、今村昌平が大西信行と共に脚本を手掛けた西村昭五郎の初監督作品となった『競輪上人行状記』の小沢昭一は、間違いなく彼の映画人生において最高傑作であった。小沢が演じるのは、宝寺院という寺の次男・春道。寺が嫌いで飛び出して教師をしていたが、寺を継いだ兄の死によって再び戻る事になる。何年も離れていた春道は、犬の葬式を引受けては、その肉を飲食店に横流ししているため犬寺と呼ばれる寺の窮状に愕然とする。所詮は寺なんて金儲けのためにやっているのだろう?…と、屁理屈をこねて何もしない口先だけの理想論者は、たまたま買った競輪で大穴が当たったところから、少しずつ歯車が狂い始める。決定打となったのは、戻る理由のひとつにあった密かに恋心を抱いていた兄嫁(南田洋子の漂うエロスが秀逸)の子供の父親が義父…つまり自分の父の腹借り子だったと告げられた事だった。再び、競輪場通いを始めるここからの小沢の演技が凄い。かつては良い高校教師として慕われていた男が、こんなに墜ちてしまうものなのか?春道という男の弱さを見事に引き出す小沢の緩急自在の演技に一瞬たりとも目を話す事が出来ない。ノミ屋から借金のカタに寺を奪われた春道が、最後に全財産を賭けて挑むレースの場面がイイ。『果しなき欲望』で共演した渡辺美佐子が演じるギャンブル依存症の女と7レースに全ての運を託す緊迫感…ギリギリ崖っ淵に立たされた人間の心情とはこういうものかと、正に手に汗を握るという表現そのもののシーンとなった。自分とは違う人物の言動を自分の地でやっているように見せるむずかしさについて、「俳優の仕事は台詞を覚えるより、どう台詞を言うか、どう台詞で人間を表現するか?が重要」と語っているが、正に上記の3作品で演じた真っ当な表社会で生きていない男たちは、どこまでが演技でどこからが地なのか分からないくらいリアルだった。本人曰く「まだ、真から地で演じらなくて、ノタウチまわっているのですよ」と謙遜されていたが。

 そして、小沢昭一を語るのに、もう一人欠かすことが出来ない人物が川島雄三監督。今村監督が同士とするならば、川島監督は恩人といったところか。コミカルな演技と陰のある笑いの両軸を使い分けていた小沢には、重喜劇を得意とする二人の監督の感性がピッタリ合っていたのは間違いない。ただし、今村監督に比べて人生の悲喜劇をライトな笑いで描くのを得意としていた川島監督は、小沢に対してデフォルメされた奇人の演技を求めていたようだ。小沢自身もそういった役どころが気に入っていたようで、名画ベスト5に挙げていた1位に『貸間あり』、2位に『しとやかな獣』と川島監督作品を上位に選んでいる事からも想像出来る。珍しく大映で製作した『しとやかな獣』では、ピノサクという片言の日本語を話すスペイン人の歌手(実は日本人)に扮し、僅かな出番ながら確実に笑いを取っていた(こういうスラップスティック調の笑いは今村監督の映画には無い)。小沢は、「ハメて書いてもらったやつは自分ではあまり面白くない。ハメ方に二通りあって、上っ面だけのハメ方と、本当にこの役者を悩ませて何か出してやろうというハメ方があって、後者の方が役者には嬉しい」と言っていたが、川島監督は正に後者のタイプ。ピノサクにしても『貸間あり』で演じた他力本願の大学受験を替え玉で画策する受験生にしても、川島監督は小沢のやりたいように演じさせて楽しんでいたように思えてならない。小沢は「映画のためにレッスンするとか準備するとか勉強するとかってのはイヤなんだ。台本もらってからバタバタするのは恥ずかしい」と、演技についてこう述べていた。

 最後に…小沢昭一は自身のセレクトには入れていなかったのだが、『男はつらいよ 寅次郎紙風船』で演じた常三郎という寅次郎のテキ屋仲間の役も忘れられない。意外とシリーズでは、あまりテキ屋という商売人の人物背景を深く掘り下げる事が少ないのだが、本作では病にふせて余命僅かの常三郎が、「自分が死んだら女房をもらってくれ」と寅次郎に頼むシーンがあるのだが、ここで見せる小沢の凄味ある演技は圧巻。女房に隠れてタバコに火をつける仕草や、寅次郎を見据える目つき等…カタギとは違うヤクザな世界に生きて来た男の末路が垣間見えるダークな一面に思わず鳥肌が立った。


小沢 昭一(おざわ しょういち、1929年4月6日 - 2012年12月10日 )SHOICHI OZAWA
東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現在の京王線代田橋付近)出身
  旧制麻布中学の同級に大西信行、加藤武、フランキー堺、仲谷昇など多くの友人を得て、学徒動員先でも天狗連として、落語を披露し合っていた。入り浸っていた寄席で出会った演芸評論家であり作家の正岡容の弟子となる。昭和27年に早稲田大学在学中に俳優座養成所の二期生となり、卒業後の昭和26年に俳優座公演で初舞台を踏む。以降は、舞台、ラジオ、テレビなどで幅広く活躍し、数々の演技賞を受賞。早稲田の同窓である今村昌平監督の紹介で昭和29年に映画デビューを果たし、今村が日活に移籍したのをきっかけに日活と専属契約をした。ここで、小沢の心酔することになる川島雄三監督と出会う。『愛のお荷物』や『洲崎パラダイス赤信号』そして『幕末太陽傳』で、脇役ながらその存在感を示し、今村の『エロ事師たちより 人類学入門』で主役を務め、昭和41年の「キネマ旬報」主演俳優賞、「毎日映画コンクール」男優主演賞など多数の賞を獲得した。プログラムピクチャーにも多数出演して、個性派のバイプレイヤーとして、200本以上の映画に出演した。
 一方、民衆芸能の研究にも力をそそぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズの製作により芸術選奨ほか受賞。著作活動も、近著「ものがたり芸能と社会」(新潮学芸賞)「話にさく花」「句あれば楽あり」「むかし噺うきよ噺」「放浪芸雑録」「流行歌・昭和のこころ」など数多く出版。ラジオでは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」、また昭和57年には「俳優が小沢一人」という劇団「しゃぼん玉座」を主宰して全国的に公演を18年間続けて660回を数えた。
 平成6年度春の叙勲で「紫綬褒章」受章。平成12年「紀伊国屋演劇賞個人賞」「読売演劇大賞優秀男優賞」。平成13年度春の叙勲で「勲四等旭日小綬章」を受章した。平成24年頃から体調を崩し、退院後も自宅で療養を続け、11月16日放送回の『小沢昭一の小沢昭一的こころ』を自宅で録音したというメッセージを寄せ、復帰に意欲を見せていたが、これが生涯最後の仕事となり、平成24年12月10日、前立腺がんのため、東京都内の自宅で死去した。12月14日に行われた本葬開場の千日谷会堂は、生前、死を覚悟した小沢がたまたま車で通りかかった際に「ここだな…」とつぶやき、心に決めた場所だったという。
(Wikipediaより一部抜粋)


【参考文献】
人類学入門 お遊びと芸と

334頁 19 x 13.4cm 晶文社
小沢昭一【著】


【参考文献】
慕いつづけたひとの名は

395頁 18.8 x 13.6cm 晶文社
小沢昭一【著】
2,592円(税込)

主な出演作

昭和29年(1954)
勲章

昭和30年(1955)
あした来る人
愛のお荷物

昭和31年(1956)
ある夜ふたたび
わが町
牛乳屋フランキー
洲崎パラダイス赤信号

昭和32年(1957)
フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗
フランキー・ブーチャンの続あゝ軍艦旗 女護が島奮戦記
童貞先生行状記
幕末太陽傳

昭和33年(1958)
盗まれた欲情
西銀座駅前
果しなき欲望
紅の翼

昭和34年(1959)
にあんちゃん
貸間あり
網走番外地

昭和35年(1960)
地図のない町
東京の暴れん坊
武器なき斗い

昭和36年(1961)
お父ちゃんは大学生
どじょっこの歌
大当り百発百中
豚と軍艦
あいつと私

昭和37年(1962)
しとやかな獣
キューポラのある街
雁の寺
喜劇にっぽんのお婆あちゃん
若い人
週末屋繁昌記

昭和38年(1963)
煙の王様
競輪上人行状記
若い東京の屋根の下
台所太平記
非行少女
夜の勲章

昭和39年(1964)
くノ一化粧
くノ一忍法
越後つついし親不知
甘い汗
仇討
赤い殺意
続拝啓天皇陛下様
馬鹿が戦車でやって来る

昭和40年(1965)
いろ
悦楽
黒い猫
春婦傅
清作の妻
鉄砲犬
馬鹿と鋏

昭和41年(1966)
“エロ事師たち”より
 人類学入門
あこがれ
おはなはん
悪童
横堀川
脅迫 おどし
三匹の狸

昭和42年(1967)
あゝ同期の桜
喜劇 駅前学園
喜劇 急行列車
喜劇 団体列車
早射ち犬
続・何処へ
男なら振りむくな
痴人の愛

昭和43年(1968)
“経営学入門”より
 ネオン太平記
サラリーマン悪党術
スクラップ集団
喜劇 爬虫類
社長繁盛記
吹けば飛ぶよな男だが
狙撃
続社長繁盛記
肉弾
日本一の裏切り男

昭和44年(1969)
喜劇 深夜族
橋のない川
私が棄てた女
社長えんま帖
続社長えんま帖
娘ざかり

昭和45年(1970)
社長学ABC
続社長学ABC
無頼漢

昭和46年(1971)
冠婚葬祭入門 新婚心得の巻
喜劇 いじわる大障害

昭和47年(1972)
サマー・ソルジャー
一条さゆり 濡れた欲情
喜劇 女売り出します

昭和49年(1974)
喜劇 だましの仁義
実録桐かおる にっぽん一のレスビアン

昭和50年(1975)
喜劇 女の泣きどころ
青春の門

昭和52年(1977)
ボクサー

昭和53年(1978)
冬の華

昭和56年(1981)
ええじゃないか
男はつらいよ 寅次郎紙風船

昭和58年(1983)
楢山節考

平成1年(1989)
黒い雨
砂の上のロビンソン

平成9年(1997)
うなぎ

平成10年(1998)
カンゾー先生

平成13年(2001)
かあちゃん

平成19年(2007)
釣りバカ日誌18 ハマちゃんスーさん瀬戸の約束




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