楢山節考
親を捨てるか、子を捨てられるか。

1983年 カラー ビスタサイズ 131min 東映
製作 友田二郎 企画 日下部五朗 監督、脚本 今村昌平 原作 深沢七郎 撮影 栃沢正夫
美術 芳野尹孝 音楽 池辺晋一郎  録音 紅谷愃一 照明 岩木保夫 編集 岡安肇
出演 緒形拳、坂本スミ子、あき竹城、倉崎青児、高田順子、嶋守薫、左とん平、辰巳柳太郎
深水三章、横山あきお、志村幸江、岡本正巳、清川虹子、江藤漢、常田富士男、小林稔侍
三木のり平、ケーシー高峰、倍賞美津子、殿山泰司、樋浦勉、小沢昭一


 日本人の心の深淵に潜む人間性を鋭くバイタリティあふれるタッチで描き、数々の名作、話題作を発表してきた今村昌平監督が、東映と今村プロダクション提携作品として製作したこの作品は、人間の永遠のテーマである「生」と「死」、「親」と「子」の人間関係の本質を追求した「魂」のドラマである。原作は、昭和31年中央公論新人賞を受賞した深沢七郎の名作で、信州の山深い寒村を舞台に、七十歳を目前にした老女が、土地のならわしに従い雪の降る日、息子に背負われて楢山に捨てられに行く—死を目前にした人間の生き方を土俗的な哀切の中に描いた鬼気迫る作品である。昭和33年に木下恵介監督が映画化して大ヒットした。
 「原作が発表された時から映画化することを考えていた」という今村監督は、執念の作品の製作に関して際して、同じ深沢作品の「東北の神武たち」を組み込み、80年代の『楢山節考』にふさわしく重厚な作品として甦らせている。「『楢山節考』は単なる幻想物語であってはならない。戦後の風潮である疑似ヒューマニズムをあえて否定する立場をとり、徹底したリアリズムで、厳しい労働とセックスを孫文に描く」とその抱負を語る。自然と人間のより深い関わりと、式が織りなす優しさと厳しさによりリアル感を出すため、長野県北安曇郡小谷村の山間の廃村にオープンセットを組み、一年間にわたって大ロケーションを敢行した。撮影の栃沢正夫が四季の美しさを余すこと無く捉えている。
 出演は『復讐するは我にあり』で今村監督と絶妙のコンビを組んだ緒形拳が主役の辰平に扮して、親を捨てなければならない子の苦しみと悲しみを演じ、実力派ナンバーワンの貫禄を見せる。またヒロインおりんには舞台に歌に大活躍のベテラン坂本スミ子が扮し、久々の映画出演しかも初の老け役に取組んでいる。更に三木のり平、左とん平、小沢昭一、ケーシー高峰、辰巳龍太郎、あき竹城、倍賞美津子など、いかにも今村監督好みの芸達者が顔をそろえて、強烈な演技を競い合う。1983年のカンヌ国際映画祭に出品してグランプリを受賞した。(パンフレットより一部抜粋)


 おりんは元気に働いていたが今年楢山まいりを迎えようとしていた。楢山まいりとは七十歳を迎えた冬には皆、楢山へ行くのが貧しい村の未来を守る為の掟であり、山の神を敬う村人の最高の信心であった。山へ行くことは死を意味し、おりんの夫、利平も母親の楢山まいりの年を迎え、その心労に負け行方不明となったのである。春。向う村からの使の塩屋が辰平の後添が居ると言って来た。おりんはこれで安心して楢山へ行けると喜ぶ。辰平にはけさ吉、とめ吉、ユキの三人の子供とクサレと村人に嫌われる利助と言う弟がいた。それがおりんの家・根っ子の全家族である。夏、楢山祭りの日、向う村から玉やんが嫁に来た。おりんは玉やんを気に入り、祭りの御馳走を振舞う。そして悩みの、年齢と相反した丈夫な歯を物置の石臼に打ちつけて割った。夜、犬のシロに夜這いをかけた利助は、自分が死んだら、村のヤッコ達を一晩ずつ娘のおえいの花婿にさせるという新屋敷の父っつあんの遺言を聞く。早秋、根っ子の家にけさ吉の嫁として、腹の大きくなった雨屋の松やんが混っていた。ある夜、目覚めたおりんは芋を持って出て行く松やんを見た。辰平はもどって来た松やんを崖から落そうとしたが腹の子を思いやめる。数日後、闇夜に「捕山様に謝るぞ!」の声がした。雨屋の父つっあんが焼松の家に豆かすを盗みに入って捕まったのである。食料を盗むことは村の重罪であった。二代続いて楢山へ謝った雨屋は、泥棒の血統として見なされ、次の日の夜、男達に縄で縛られ生き埋めにされた。その中におりんに言われ雨屋にもどっていた松やんも居た。新屋敷の父っつあんが死に、おえいは遺言を実行していたが利助だけはぬかした。飼馬のハルマツに当り散らす利助を見かね、おりんはおかぬ婆さんに身替りをたのむ。晩秋、おりんは明日山へ行くと告げ、その夜山へ行く為の儀式が始まった。夜が更けて、しぶる辰平を責め立てておりんは楢山まいりの途についた。裏山を登り七谷を越えて楢山へ向う。楢山の頂上は白骨と黒いカラスの禿げ山だ。辰平は七谷の所で、銭屋の忠やんが又やんを谷へ蹴落すのを見て茫然と立ちつくす、気が付くと雪が舞っていた。辰平は猛然と山を登り「おっ母あ、雪が降ってきたよう! 運がいいなあ、山へ行く日に」と言った。おりんは黙って頷くのだった。


 おりんを背負い黙々と険しい楢山の道無き道を行く辰平。お山参りの作法として必ず守らねばならぬ「お山へ行ったら物を言わぬこと」と、昔からの言い伝えに則り、岩場を登り生爪を剥がしたり、足を滑らせながらも沈黙を続ける辰平を今村昌平監督は丁寧に捉え続ける。そして、二人の前に広がる真白な人骨が散乱する捨て場。背負われる母が無言で息子に、ここで下ろせ…と指示をする。息子は言われる通りに母を下ろして持ってきた握り飯を差し出す。言葉を交わさないからこそ訣別の悲しさが胸に突き刺さる。母役の坂本スミ子と息子役の緒形拳の品のある素晴らしい演技。一度は山を下りかけた息子が、雪が降ってきて捨て場に戻ると、さっきまで散らばっていた骨が雪で見えなくなってしまっている。その雪の中に合掌して静かに死を待つ母の姿が…栃沢正夫カメラマンの格調高く幽玄な映像美に思わず鳥肌が立つ。
 昭和58年のカンヌ国際映画祭において、下馬評で有力視されていた大島渚監督作『戦場のメリークリスマス』を押さえて、グランプリを受賞した『楢山節考』は、息子が実の母を山に捨てる話である。山奥の集落では人間の営みが自然と密接していた時代。その年の収穫によって冬を越せるかどうか…という食料事情の村では、子供が一人生まれると70歳を過ぎた老人は食いぶち確保のため近くの「お山」に捨てられるという掟を守る村民たち。小さな集落において、こうした人口調節が全体の自給自足バランスを保つためには必要な行為だった。盗みを働いた家の者たちを村人全員で「楢山様に謝るぞ!」と、子供たちを含む一族を生き埋めにしてしまう行為も村を守るために必要な事だったりする。姥捨の民話をもとにした深沢七郎の原作を今村昌平監督は、人々の暮らしと山に生息する動物たちの姿を織り交ぜながら映像化している。今村監督は公開時におけるキネマ旬報のインタビューで、「(現代の)老人ホームのありようは、人生の終幕を飾るのにふさわしいのか(中略)おりんの死と生を追求することによって、私は人生の意味の究極を知りたい」と語っていたが正に言い得て妙だと思った。
 『楢山節考』は、昭和33年に木下恵介監督によって映画化されているが、まるで昔噺のような語り口で、セットを組み、幻想的なイメージにすることで非現実的な世界観を打ち出していた。そんな木下監督の表現手法に「なんであの山村を描くのにセットでやらなけりゃならないのか」と、疑問を抱いていた今村監督は、いつかオールロケーションでやりたいと思ったという。(だから、筆者にとっては木下監督版と今村監督版の『楢山節考』は、全くの別物なのである)リアルに描かれる人々の営み…おりんは、お山に捨てられる前に息子の嫁にヤマベや山菜の場所を教えたりする。印象的なのは、ようやく冬を越して春が訪れようとしている頃、緒形拳が裸足で雪が溶け始めた畑の土をグチャグチャと足で踏みつけて、新しい土を育てている場面だ。今ではトラクターで出来るであろう作業を昔の人々は繰り返していたのだ。また今村監督は、作意的に山の動物や昆虫のカットを挿入する。テレンス・マリックも『シン・レッド・ライン』で同じように戦場の中の野生動物たちの映像を挿入する事で、争う人間のカオスを浮き彫りにしていた。しかし、今村監督は違う…山間部に生きる人間たちは、ネズミを丸呑みする蛇や交尾が終わった雄を食らうカマキリと、自然界という大きなカオスの中では、何ら変わらないのだ…と強調するユーモア感覚に改めて脱帽。

「お山参りは辛うござんすが、ご苦労さんでござんす」姥捨の前日に行われる村人たちの儀式。この言葉を皮切りにお山へ行く時の作法が口伝てされるのだ。




販売元:東映ビデオ
メーカー品番: DUTD-02100 ディスク枚数:1枚(DVD1枚)
通常価格 2,358円 (税込)

昭和33年(1958)
盗まれた欲情

西銀座駅前
果しなき欲望

昭和34年(1959)
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昭和35年(1960)
豚と軍艦

昭和38年(1963)
にっぽん昆虫記

昭和39年(1964)
赤い殺意

昭和41年(1966)
「エロ事師たち」より
 人類学入門

昭和42年(1967)
人間蒸発

昭和43年(1968)
神々の深き欲望

昭和45年(1970)
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活

昭和54年(1979)
復讐するは我にあり

昭和56年(1981)
ええじゃないか

昭和58年(1983)
楢山節考

昭和62年(1987)
女衒 ZEGEN

平成1年(1989)
黒い雨

平成9年(1997)
うなぎ

平成10年(1998)
カンゾー先生

平成13年(2001)
赤い橋の下のぬるい水

平成14年(2002)
11'09"01/セプテンバー11




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