昭和三十年代後半、松竹から日活へ移籍して社会派から無国籍アクション、恋愛ドラマまで何でもこなしプログラムピクチャーの名手として活躍していた西河克己監督。『青い山脈』や『若い人』を代表とする数多くの青春映画を手掛け吉永小百合を筆頭に和泉雅子や舟木和夫など「日活グリーンライン」と呼ばれる新人スター達を次々と生み出し、後のアイドル映画の基礎を築いた。西河監督が描く青春映画に登場する若者は、同じ日活でも石原裕次郎主演の太陽族とも違う、社会的メッセージ性が強い松竹大船調の庶民派とも異なる…強いて言うならば、青春謳歌型の純愛ものと言った方が理解し易いかも知れない。戦後の日本映画界を支えてきた西河監督が手掛けた作品は六十八本…今回は山口百恵主演作を中心に紹介して後日改めて西河克己監督特集を組みたいと思う。

 昭和四十六年、日活がロマンポルノ製作に路線変更を発表する直前の昭和四十四年に退社してテレビ界に移った西河監督に新人アイドル主演作のオファーが来たのはそれから五年後の昭和四十九年八月。それは日活時代より旧知のホリ企画副社長の笹井英男から山口百恵を主演に映画を作りたいという内容だった。そこにはレコードの売り上げが伸び悩む彼女に歌手よりも役者をやらせてみよう…というホリプロの思惑があったようだ。既に東宝配給という流れが決まった中で要求されたのは学園ドラマ…まぁ日活時代における西河監督が得意とするジャンルから考えると青春学園ドラマをホリプロが提示したのは理解出来なくもない。ところが西河監督は同世代の若者の中では彼女が埋没してしまうだろうとこの案に異を唱えた。女優としての実力が未知数の山口百恵でも何とかこなせるであろう役…そしてアイドルとして多忙を極め準備期間を取れない制約の中で候補として挙がったのが『伊豆の踊子』の薫だった。かつて吉永小百合主演で作った同作をセルフリメイクする形となった事に対して西河監督は「前作の反省の上に立ってより良い改訂版を作る事が出来るかも…という腹づもりがあった」という言葉通り、それはラストの衝撃的なストップモーションという形(監督は不本意だったらしいが)で表れる。結果、数多く作られた『伊豆の踊子』のなかでも本作は最も原作の根底に流れていた旅芸人の本質が描かれていた。西河監督が手掛けた山口百恵の主演作は全てリメイクものだったが、松竹から日活へ移籍後の初監督作品『生きとし生けるもの』も戦前に五所平之助監督が製作したリメイク。その後『帰郷』『何処へ』『四つの恋の物語』等、次々とリメイクを手掛け「リメイクの帝王」と呼ばれていた。西河監督は単純にリメイクするのではなく監督のオリジナリティをどこかにさり気なく入れるのが上手かった。

 『伊豆の踊子』ヒットの熱もさめやらぬ内に西河監督は再び百恵・友和による文芸もの『潮騒』のリメイクに着手。原作者・三島由紀夫の描きたかったものを忠実に撮ろうとしていた本作は島に根付く因習やしきたりをベースに置きつつ、そこに暮らす若者の純真さを見事に表現した秀作となっていた。よほど西河組と山口百恵の相性が良かったのか、本作の撮影時にハワイでCM撮影していた彼女は帰国後休む間もなくロケ地である神島に直行したというエピソードがある。その時、彼女は西河監督に「映画が好きなんです。スタッフは始めから終わりまで完全に同じ人たちで全員で私の事を考えてくれる。とても充実した気持ちで仕事が出来る…そういう現場の雰囲気が好きなんです」と語っていたそうだ。(ワイズ出版刊「西河克己映画修業」より)映画女優として彼女の演技が飛躍したのは、続く『絶唱』だった。身分が違う男との愛を貫いたヒロイン小雪が死の淵で戦争に行った男の帰りを待つ演技は鳥肌ものだった。また、冒頭の薄暗い山間部を行く人力車を捉えるロングショットや雄壮な山々を背景にした主人公のラブシーンを円形移動で見せるカメラワーク等、西河監督の真髄を見る事が出来るのも本作の特長だ。続く、山口百恵初の現代劇となる青春ドラマ『エデンの海』も西河監督のセルフリメイクであるが相手役が南條豊に代わった事でファンからはそっぽを向かれてしまう。また、オリジナルから二十年以上も経過した時代が若者の倫理観に変化をもたらし、センセーショナルだったはずの内容に無理が生じてしまったのは仕方ない。その点は西河監督も「やはり昔の倫理観を扱うのは一番危険」と述べてはいるが…しかし、分かり易いシチュエーションと『青い山脈』を彷彿させる牧歌的な学園ドラマを(百恵ちゃんの失禁場面にショックを覚えつつ)それはそれで結構、楽しめたのだが。

 西河監督は新人女優の良いところや適性をいち早く見抜く達人だったようで、デビューしたばかりの吉永小百合、和泉雅子、松原智恵子から素晴らしい表情を引き出しスターダムに押し上げてきた。山口百恵に関して言えば『潮騒』の焚き火の場面は勿論だが『絶唱』で木挽き歌を歌うローアングルから捉えたせつな気な表情も良かった。なかでも六回目のリメイクとなる『春琴抄』は西河監督版のヒロインが一番良かったのではなかろうか。佐助の懐に冷えた手を入れて温めている場面で見せる彼女の色気にドキドキしたのは私だけではあるまい。続く『霧の旗』で無実の罪で獄死した兄の無念を晴らすため復讐の鬼と化した主人公が思いを馳せるジャーナリストからの手紙を破いて決意を固める場面で彼女をアップで捉えた角度をよくぞ見つけ出した!と感動した。思うに、女優としての山口百恵は、この『霧の旗』で頂点を迎えたのではなかろうか?「スターは素質のある新人さえいれば監督の腕次第でいくらでも作り出せる」という松竹時代に城戸四郎から教えられた西河監督が最後に育て上げたスター女優は、この三年後、芸能界を引退…そして伝説となる。また三浦友和は平成二十二年四月六日、肺炎のため急逝した西川監督(享年九十一歳)への思いを「あの時、監督が僕を選んでくれなかったら俳優人生も大きく変わっていたし、彼女との結婚にもつながらなかった」と、綴っている。そして、西河監督作品を一言で形容すると“格調”(キネマ旬報2010年6月下旬号―追悼 西河克己監督より)とも述べていたが、まさに“格調”という表現が西河監督作品にシックリくる。古典や名作を作る時も、単なる古いだけの懐古趣味ではない、カットのひとつひとつに新しい何かが存在しており、自然と画(え)は輝きを増していく。観客席に座っていても、スクリーンに投影された映像の向こうにファインダーを熱心に覗く西河監督の姿が浮かんでくるのだ。自らをお金と名誉を一緒に欲しがる映画会社と、有り得ない勝手な夢を欲しがる観客の両方を満足させなくてはならない「御用作家」と呼び、最後までその姿勢を貫き通した。だからといって両者に媚びてはいけない…如何にもという体裁は観客にだって分かるものだ。西河監督は自作の中にこだわり(自身はスタンドプレイと称す)を持ち続けたからこそ“格調”が伴っているのだろう。


西河 克己(にしかわ かつみ 1918年7月1日-2010年4月6日)KATSUMI NISHIKAWA
鳥取県八頭郡智頭町出身
 1936年に私立高輪中学を卒業後、日本大学芸術科に進学。小説家を志していたが1939年に松竹大船撮影所に監督助手として入社。それから1年後には戦争に応召し、東南アジア、中国に転戦する。1946年に復員してから松竹に復職し、原研吉、渋谷実、中村登に師事して52年に助監督待遇のまま『伊豆の艶歌師』で監督デビューを果たす。54年、日活の製作再開と同時に監督契約を結び、2年後に『生きとし生けるもの』を発表する。元々は松竹大船調メロドラマで慣れていたために日活の無国籍アクションでは本来の持ち味を活かしきれず『俺の故郷は大西部』という怪作も手掛けていた。しかし、吉永小百合や和泉雅子、舟木一夫といった日活グリーンラインと呼ばれるニューフェイスの登場によって西河監督の本領を発揮。62年にリメイクした『若い人』を筆頭に『青い山脈』『伊豆の踊子』『エデンの海』などの青春映画で手堅い演出を見せて新人スターの売り出しに貢献する。しかし、69年に手掛けた『年上の女』を最後に、従来の路線と方向性が変わってきた日活を離れテレビ界に活動の場を移す。映画界に復帰したのが74年、山口百恵主演第一作『伊豆の踊子』からでリメイクものを中心に見事な職人芸を披露して「リメイクの神様」と呼ばれていた。


【参考文献】
西河克己映画修行

425頁 20.8 x 15.4cm ワイズ出版
西河克己、権藤晋【著】
3,975円(税別)

【主な監督作】

昭和27年(1952)
伊豆の艶歌師

昭和28年(1953)
嫁の立場

昭和30年(1955)
生きとし生けるもの

昭和31年(1956)
牛乳屋フランキー
しあわせはどこに
東京の人
赤ちゃん特急

昭和32年(1957)
永遠に答えず
孤独の人

昭和33年(1958)
明日を賭ける男
美しい庵主さん
永遠に答えず(完結篇)

昭和34年(1959)
無言の乱斗
風のある道
若い傾斜
絞首台の下
不道徳教育講座

昭和35年(1960)
竜巻小僧
疾風小僧
若い突風
素っ飛び小僧
六三制愚連隊
俺の故郷は大西部

昭和36年(1961)
草を刈る娘
追跡
闘いつづける男
有難や節 あゝ有難や有難や

昭和37年(1962)
若い人
星の瞳をもつ男
赤い蕾と白い花
青年の椅子
気まぐれ渡世

昭和38年(1963)
エデンの海
伊豆の踊子
雨の中に消えて
青い山脈

昭和39年(1964)
帰郷
何処へ

昭和40年(1965)
四つの恋の物語
悲しき別れの歌

昭和41年(1966)
白鳥
絶唱
友を送る歌
哀愁の夜

昭和42年(1967)
夕笛
陽のあたる坂道
北国の旅情

昭和43年(1968)
ザ・スパイダースのバリ島珍道中
残雪

昭和44年(1969)
夜の牝 年上の女
夜の牝 花と蝶

昭和27年(1952)
としごろ

昭和27年(1952)
としごろ

昭和27年(1952)
としごろ

昭和49年(1974)
伊豆の踊子

昭和50年(1975)
潮騒
絶唱

昭和52年(1976)
エデンの海
どんぐりッ子
春琴抄

昭和52年(1977)
恋人岬
霧の旗

昭和53年(1978)
お嫁にゆきます

昭和55年(1980)
花街の母

昭和59年(1984)
生徒諸君!
チーちゃんごめんね

平成1年(1989)
マイフェニックス

平成4年(1992)
一杯のかけそば

平成23年(2011)
スパルタの海




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