伊豆の踊子
花のような微笑みと豊かな髪、青く澄んだ黒い瞳の少女、それが踊子だった
1974年 カラー ビスタサイズ 82min 東宝
製作 堀威夫、笹井英男 監督 西河克己 脚本 若杉光夫 撮影 萩原憲治 原作 川端康成
美術 佐谷晃能 音楽 高田弘 照明 高島正博 録音 木村瑛二 編集 鈴木晄
出演 山口百恵、三浦友和、中山仁、佐藤友美、一の宮あつ子、四方正美、石川さゆり、宗方奈美
田中里代子、有崎由見子、江戸家猫八、三遊亭小円遊、青空はるお、鈴木ヒロミツ、宇野重吉
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昭和四十八年“としごろ”でデビューしたアイドル山口百恵の映画初主演作品。川端康成原作『伊豆の踊子』の六度目の映画化で一高生と旅芸人の踊子との心のふれあいを描いた青春映画。監督は『青い山脈』『若い人』など日活青春映画の名作を数多く手掛け吉永小百合をスターに押し上げ、また『伊豆の踊子』も今回が二度目となる西河克己がメガホンを取る。脚本は『娘たちは風にむかって』の若杉光夫、撮影は『妹』の萩原憲治がそれぞれ担当。大正末期、旧制一高生と伊豆をめぐる旅芸人一座との交流と主人公・薫の淡い恋心を描いている。相手役となる書生・川島を演じるのは一般公募10000人の中から一度は落選するも西河監督の強い要望によって再選された三浦友和。共演は中山仁、佐藤友美、一の宮あつ子が旅芸人一座に扮し、原作には無い主人公の幼なじみで悲劇的な運命を辿る少女をデビュー間もない石川さゆりが演じている。
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大正の末、天城に向かう山道を行く一高生・川島(三浦友和)は、旅芸人の一行に出会った。一行は栄吉(中山仁)とその妻・千代子、千代子(佐藤友美)の母親ののぶ(一の宮あつ子)、雇い娘の百合子、そして太鼓を背負った古風な髪型のよく似合う美しい少女かおる(山口百恵)の五人で、彼らは三味線や太鼓、そして唄や踊りで温泉場の料理屋や旅館の客を相手につつましい生計をたてていた。川島が下田まで一行と旅をする内にかおるは仄かな想いを寄せ始めていた。湯ケ野について踊子と五目並べに興じていたある日、栄吉と風呂に入っていた川島は、向かいの共同風呂に入っていた踊子が裸のまま立ち上り、こちらに手を振るのを見てその無邪気な子供らしさに思わず頬笑んだ。踊子は、道中、生まれ故郷の甲府のことや、今住んでいる大島のことを川島に話して聞かせた。下田に着いて、明日は川島が東京へ帰るという日、川島との活動見物を楽しみにしていた踊子は、二人の仲を案じたのぶに止められて涙を呑んだ。翌朝、川島が栄吉に送られて乗船場に近づくと、海辺に踊子の姿があった。つかの間の別れを告げ、川島の乗ったはしけが遠ざかり、大きく曲って岬のかげに隠れると踊子は岬の突端へ走り。思いきり手を振る。彼女に気づいた川島も甲板の上から手を振るのだが、かおるの姿は小さくなっり、やがて消えていくのだった。
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時に映画は思いがけない奇跡を生み出す事がある。汚れを知らない(あぁ…この表現は正に彼女のためにある)無垢な笑顔で両手に持った四ツ竹を鳴らしながら旅館の玄関先で踊る山口百恵のアップから映画は始まる。彼女を画面の中央に置いて後方左右にシンメトリーに座員たちを配置する素晴らしい画面構成。カメラはゆっくりとズームアウトしていき彼女の全身を映し出す。記念すべき映画主演第一作のオープニングを飾るに相応しい登場シーンに名匠・西河克己監督のセンスが光る。昭和四十年代に入って各社のスタジオシステムが崩壊してからというもの今ひとつ観客を呼べるスターの不在に低迷していた日本映画界において山口百恵の登場はある種の転換期を迎える予兆だったと言っても過言ではない。まず注目すべきは、本作は彼女が所属するホリプロと東宝の提携作品である事。既に映画会社が自社のスターを抱え込まなくなった時代において新しい映画製作システム(ブロックブッキングも含めて)の先駆けとなった。(以降、角川書店が薬師丸ひろ子や原田知世を送り出す事となる)当初、ホリプロから新人アイドルの山口百恵を売り出すための映画を作りたいと学園ものの草案を提示された時に西河監督は難色を示したという。理由について「似たような女の子がたくさん出る学園ものだと目立たないから損だ」と述べている。(ワイズ出版刊:西河克己映画修業より)そして、東宝側が提案してきたのが西河監督も吉永小百合で過去に作っていた『伊豆の踊子』のリメイクである。演技力が未知数の彼女でも受け身の芝居が多いかおる役ならば…という事で相手役の書生に新人の三浦友和を配して撮影が開始。ところが公開するや予想以上の大ヒットとなったのだから何が起こるか分からないのが映画の醍醐味と言えよう。敢えて推測するならば、まだ演技未経験の彼女だったからこそ十六歳のうら若き主人公かおるの心境にシンクロ出来たのではないだろうか?素人っぽさ丸出しの視点の定まらなさはお客の前で自信なさげに完成されていない未熟な踊りを披露するかおるそのものだった。
本作で六回目のリメイクとなる本作だが西河監督は川端康成の原作を忠実になぞるだけではなく当時の旅芸人に対する世間の蔑んだ目…差別を色濃く描く事で主人公の儚さを強調している。かおるが書生に憧れを抱くもそこにはヒエラルキーが存在しており、道中を共にしても宿泊する旅館は同じとはいかない。“乞食・旅芸人は村を通るべからず”という立て札を見て当たり前のように迂回しようとする座員たちの様子から差別は日常茶飯事である事が推測される。「今日は書生さんと一緒だから大目に見てもらおう」と座長が言うと「わー今日は遠回りしないでイイんだ」と無邪気に喜ぶ彼女の笑顔と次の場面で村人たちに頭を下げながら歩く一座のギャップに胸を締めつけられる。西河監督は本作で旅芸人たちの陰の部分に焦点を当てて踊り子の行く末に待つ悲劇的な香りを匂わせる。だからこそ、かおると書生が波止場で別れる場面をラストにするのではなく、原作には無かった酒宴の席で刺青をした酔っ払いに絡まれる薫のストップモーションで幕を閉じる。山口百恵の持つ陰の部分を西河監督は早々に見抜いたのだろうか…このラストショットがあればこそ今日の百恵伝説が誕生したのだと思えてならない。
「イイ人ばかり何百人いたって、どうしょうも無いことが世の中には多いもんね」書生と旅芸人の身分の違いを説く場面での女芸人のセリフ。
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ビデオ、DVD共に廃盤後、未発売 |
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