山口百恵とコンビを組んで“百友(ももとも)映画”なるジャンルを確立した三浦友和。実生活でも善きパートナーとなった二人の結婚報道に正直言って最初は「これって映画の番宣?」とさえ思ったほど、まるで映画を地で行くようなゴールデンコンビの結末に感動してしまった。彼の映画デビュー作『伊豆の踊子』は周知の通り、山口百恵の相手役に抜擢され大ヒットを記録し、無名の新人が一夜にしてスターダムに上り詰めた。それは、ミュージシャンを目指していた彼が親交の厚かったRCサクセションがプロデビューした姿を見て、自分の進むべき方向を見失っていた頃。RCのマネージャー(偶然だが百恵の所属するホリプロというのが運命を感じる)から掛けられた「他に何かやってみたら?」の一言がキッカケとなって俳優への道を模索し始めた矢先の事である。当初、東宝サイドは映画の宣言と話題作りから役と同じ現役東大生を起用しようとしていたが西河克己監督がCMで山口百恵と共演していた友和を強く推薦。最後には当時の松岡副社長まで説得に出て来たが、頑として譲らない西河監督に東宝も折れて、まぁ一度は使ってみよう…という事に。ところが、いざフタを開けてみると公開するやいなやファンレターが殺到。慌てて友和と専属契約を結んだ東宝は二人をコンビとして十二本もの作品を製作する事となる。『伊豆の踊子』で演じた書生は、世間の汚い部分に触れた事などなさそうな青年。その端正な顔立ちに反して、世間を余りにも知らぬ無知による残酷な行為(旅館の二階から世話になった旅芸人の座長に紙にくるんだお金を放り投げる)で見せる邪気の無い笑顔は新人とは思えない見事なものだった。ところが意外な事に本作に出演後も「俳優業は自分にとって人生の目的ではなかった(中略)嫌なら辞めればいい」と思っていたという。そんな彼の気持ちに変化が訪れたのは『伊豆の踊子』の一般試写会の時だった。観客の熱気や反応を肌で感じ、そこで初めて「いい俳優になりたい」と、俳優としての自覚が生まれたという。(小学館刊『相性』三浦友和著より)

 その思いのまま次回作『潮騒』で演じた島の青年漁師は西河監督曰わく「彼の本質が現れており友和の代表作になった」と評価する。有名な焚き火を越える緊迫感の溢れる場面は勿論だが、何気ない生活臭さを感じさせる演技は確かに素晴らしかった。しかし、演じるにあたって最も難しかったのは『絶唱』の園田順吉役ではなかったろうか?ヒロイン小雪が非現実な存在であるため物語自体も、どこか幽玄的な雰囲気が漂っており、西河監督からは「この芝居は新派の主役になって見栄を切るつもりでやらないと出来ない」と敢えて注文をつけたというのも納得出来る。確かに普通の演技では、あのような非現実的な雰囲気が漂う世界観にはならなかったであろう。その後も文芸もののリメイクが続く中、オッ!と目を引いたのが新宿を根城とするヤクザと良家の令嬢との禁断の愛を描いた『泥だらけの純情』だ。今までの好青年から一変してやさぐれたイメージは実に新鮮だった。ちょうどその頃、彼は文芸路線の「清く正しく美しい」という自身のイメージに苛立ちを感じており、『春琴抄』あたりから「文芸ものはもう嫌だ」と上申するようになる。とは言うものの本人の意志に反して、コンビ作で最も上手いなぁ…と感心したのは正に『春琴抄』だった。封建的なお嬢様・春琴に仕える若き奉公人・佐助を脚本を読んで「この世の中でこういう男が一番嫌いだ」と言っていたらしいが、皮肉な事に本作の友和は完全に主役の百恵を食う程の素晴らしい名演技を披露した。感情の機微を抑えて従順に春琴に尽くす奉公人の純愛を見事に演じ切っており、筆者は本作を間違いなく彼の代表作だと思っている。次作『霧の旗』では原作にはない新聞記者という役でストーリーテラー的な役回りを熱演。復讐に燃える桐子を思い止まらせようと雨の中での激しいラブシーンは圧巻であった。本作を最後に西河監督は離れてしまうが、友和が俳優として今日あるのは西河監督の主張があったからこそ。平成二十二年に西河監督が逝去された時「僕の原点を作ってくれた恩人」と追悼の意を表していた。

 コンビを組んで五年目に差し掛かった頃。ある映画雑誌の対談で大林宣彦監督作『ふりむけば愛』の評論に対して憤りを露わにしていたのをよく覚えている。それまでリメイクものばかりだった二人の主演作で初のオリジナル脚本もの。サンフランシスコで出会った百恵と恋に落ちる現地に住む青年を演じて、小椋佳ばりのギターの弾き語りで美声を披露(一度はミュージシャンを目指していた片鱗が見える)しており、それまでの重厚な文芸ものと一線を画していてユニークな作品だった。友和の怒りは「あんな愛のかたちがあるわけがない」という批評に対してだった。それまでの文芸作品からオリジナル脚本の『ふりむけば愛』『ホワイトラブ』で新境地に挑もうとしていただけに無責任な評論に怒りを感じたのは理解出来る。「何を言われても夢は大事にしたい。夢に対してヒッチャキになっているスタッフ、出演者に出会えて良かった。(中略)これが原動力になって三十代四十代と映画に携われる気がする」と続ける言葉が今後の俳優・三浦友和を予言していたようで興味深い。

 当時の友和は百恵との共演作以外にも東宝の併映作品に出演。特に『青い山脈』や『陽のあたる坂道』、『あいつと私』といった日活青春映画のリメイク作品が続き、映画の本数だけで見るとデビューから百恵引退作『古都』までの七年間に24本もの作品に出演(その殆どが主演級)しているのは驚く。若大将シリーズ等のドル箱作品とドル箱スターが不在となった東宝が新たなスター三浦友和をそのまま温存するはずもなく可能な限り使い回した…という感じは否めない。既にスターシステムが崩壊したとは言え、まだ当時の映画会社にはその気質は残っていたのだろうか?ともかく友和の露出は半端なかったという印象が強く残っている。珍しいところでは森谷司郎監督による登山中の尋常小学校の生徒が遭難した実際の山岳事故を描いた『聖職の碑』で友和が演じた引率教員役が光っていた。端正な顔立ちの正統派二枚目だからだろうか二十代はオーソドックスな内容の作品が似合っていたように思える。山口百恵引退作『古都』では百恵をサポートする脇役に徹しており、飛び抜けてどう…という印象は無いが、出ている事による安心感を観客に与える俳優に成長したのはさすがである。結婚後、三十歳を迎えてから純情青春路線を脱却して『獣たちの熱い眠り』や『天国の駅』『アウトレイジ』といったダーティーな役から『台風クラブ』『死にゆく妻との旅路』『三丁目の夕日』等の幅広い役に挑み今や日本映画界になくてはならない実力派となった。あまりのフィルモグラフィーの多さに、とても紹介しきれないので今回は山口百恵とのコンビ時代に限定して、近日“三浦友和特集”にて紹介する事をお約束させていただく。


三浦 友和(みうら ともかず 本名:三浦稔 1952年1月28日-)TOMOKAZU MIURA
山梨県塩山市(現・甲州市)出身
 小学生の時に一家で東京都立川市へ転居。歌手の忌野清志郎と同級生だった都立日野高校を卒業後、日本電子工学院へ入学し、アルバイトをしながら音楽活動していたところをスカウトされて、1972年のTBS“シークレット部隊”で俳優デビューする。以後も“刑事くん”、“じゃがいも”などのドラマにコンスタントに出演していたが、転機が訪れたのは1974年『伊豆の踊子』だった。初主演となる山口百恵の相手役を公募していた時に、西河克己監督が以前、彼女と共演していたCMを見て会社の反対を押し切って抜擢した。以降、百恵?友和のコンビ映画は東宝のドル箱シリーズになり、80年の市川崑監督『古都』まで12本が製作された。また、テレビドラマでもTBSの“赤い疑惑”、“赤い衝撃”で二人は共演し、お茶の間でも人気を広げていった。東宝は山口百恵との共演作以外でも『阿寒に果つ』『青い山脈』『陽のあたる坂道』で主役に起用し青春スターとして売り出しに成功する。80年11月に山口百恵と結婚し、彼女の芸能界引退によって、ゴールデンコンビの作品は終了。映画では村川透監督『獣たちの熱い眠り』でダーティなヒーローを演じ、テレビでは“西部警察PART2”でアクションを披露するなど、青春スターからの脱皮を図る。以後、舛田利雄監督『大日本帝国』、森谷司郎監督『海峡』、『さよならジュピター』と、大作が続いたが、俳優として広がりを見せたのは85年の相米慎二監督『台風クラブ』で演じた酔っぱらいの無責任な中学生教師役だった。それまでにない人間臭さを感じさせ報知映画賞、ヨコハマ映画祭の助演男優賞を受賞する。99年には諏訪敦彦監督『M/OTHER』で、監督や共演者とディスカッションしながらダイアローグを考えていくという実験的な撮影現場を経験。カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞し、自身も報知映画賞主演男優賞、さらには毎日映画コンクールの脚本賞にも監督らとともに輝いている。以降、山崎貴監督『ALWAYS/三丁目の夕日』のような人の良い人物から三木聡監督『転々』で演じたクセのある借金取り、若松節朗監督『沈まぬ太陽』の出世欲に駆られたビジネスマンなどを巧みに演じ分け、人生の年輪を感じさせる演技派俳優として映画、テレビドラマに欠かせない存在となった。


【参考文献】
相性

192頁 18.8 x 12.8cm 小学館
三浦友和【著】
1,470円(税別)

【主な出演作】

昭和49年(1974)
伊豆の踊子

昭和50年(1975)
潮騒
陽のあたる坂道
絶唱
青い山脈
阿寒に果つ

昭和52年(1976)
風立ちぬ
春琴抄
あいつと私
星と嵐

昭和52年(1977)
泥だらけの純情
青年の樹
姿三四郎
霧の旗

昭和53年(1978)
ふりむけば愛
炎の舞
残照
聖職の碑

昭和54年(1979)
遠い明日
ホワイトラブ
黄金のパートナー
天使を誘惑

昭和55年(1980)
古都

昭和56年(1981)
獣たちの熱い眠り

昭和57年(1982)
海峡
大日本帝国

昭和59年(1984)
天国の駅
さよならジュピター

昭和60年(1985)
台風クラブ

昭和61年(1986)
彼のオートバイ、彼女の島

昭和62年(1987)
フリーター
いとしのエリー

昭和63年(1988)
日本殉情伝
 おかしなふたり
 ものくるほしきひとびとの群
ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー
・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・
マリリンに逢いたい

平成1年(1989)
226
悲しきヒットマン

平成2年(1990)
流転の海
遥かなる甲子園
東京上空いらっしゃいませ

平成3年(1991)
江戸城大乱
無能の人
風の国

平成4年(1992)
私を抱いてそしてキスして

平成5年(1993)
空がこんなに青いわけがない

平成6年(1994)
RAMPO 奥山監督版
超能力者
 未知への旅人
青空に一番近い場所

平成9年(1997)
傷だらけの天使
渇きの街

平成10年(1998)
フリージア極道の墓場
あ、春

平成11年(1999)
M/OTHER

平成12年(2000)
マヌケ先生
しあわせ家族計画

平成13年(2001)
柔らかな頬
Quartet
不確かなメロディー

平成14年(2002)
なごり雪
 あるいは、五十歳の悲歌

平成15年(2003)
夢追いかけて
 Touch a Dream
 浜名湖発 学び座
棒たおし!

平成16年(2004)
茶の味
のんきな姉さん
SURVIVE STYLE 5+

平成17年(2005)
ALWAYS 三丁目の夕日

平成18年(2006)
天使の卵
出口のない海

平成19年(2007)
ALWAYS 続・三丁目の夕日
Mayu ココロの星
22才の別れ Lycoris
 葉見ず花見ず物語
遠くの空に消えた
松ヶ根乱射事件
転々

平成20年(2008)
空へ 救いの翼
 RESCUE WINGS
陰日向に咲く

平成21年(2009)
沈まぬ太陽
ヘブンズ・ドア

平成22年(2010)
アウトレイジ
食堂かたつむり

平成23年(2011)
RAILWAYS
 愛を伝えられない大人たちへ
死にゆく妻との旅路

平成24年(2012)
アウトレイジ
 ビヨンド
おかえり、はやぶさ
ALWAYS 三丁目の夕日'64

平成25年(2013)
ストロベリーナイト




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