日本映画が低迷を迎える中、1970年代後半に大ブームを巻き起こした出版業界の異端児と自ら公言する角川映画を皮切りに、1980年代に入るとテレビや音楽業界からの映画界参入がますます本格化する。アミューズやサンリオ、テレビ業界からは日本テレビやフジテレビなどが制作に名を連ねる事で、製作委員会方式の礎を築いたのがこの時代だ。1970年代前半まで僅かに残っていた各映画会社でスターを抱えるスタジオシステムとプログラムピクチュアによるプロックブッキングが(完全にとは言えないが)崩壊して映画館が自由に作品を選べるようになったフリープッキングが少しずつ日本にも浸透する兆しが見えてきたのもこの時代である。長年、日本映画界に息づいて来た構造に見切りをつけるキッカケとなったのは、角川映画による『セーラー服と機関銃』(1981年)から始まる薬師丸ひろ子ブームと、フジテレビ・学研が共同で製作に名を連ねる『南極物語』(1983年)の全国拡大ロングランヒットである事は間違いない。そして、一時代を築いて役目を果たしたかのように、『テアトル東京』『有楽座』『日比谷映画劇場』の大劇場が閉館して、このあたりから徐々にパンフレットからチェーン劇場の館名が消えていった。
※記載の年代は日本公開年。製作年はタイトル横に表記されています。


 


■テス(1979年フランス)
■オール・ザット・ジャズ(1979年アメリカ)
■シャイニング(1980年イギリス)


■ブルース・ブラザーズ(1980年アメリカ)


■ワン・フロム・ザ・ハート(1982年アメリカ)


■評決(1982年アメリカ)


■ミツバチのささやき(1973年スペイン)
■キリング・フィールド(1985年イギリス)
■デューン 砂の惑星(1984年アメリカ)


■バグダッド・カフェ(1987年西ドイツ)