ポール・ニューマンの主演作で好きなものを3作挙げるとするならば『動く標的』『アパッチ砦ブロンクス』そして『評決』である。私はこの3作品を負け犬の美学と呼んでいる。そうだ、偶然にもそのどれもがダメな男たちばかりなのだ。『評決』の主人公フランクは落ち目でアルコール依存の弁護士。毎日新聞の死亡欄をチェックしては交通事故死の葬儀に出向き、知り合いのふりをして営業する日々を過ごす(遺族の息子に見透かされて葬儀場から叩き出されるシーンが切ない)。冒頭、映画が始まって僅か数分足らずで、主人公の状況を観客に分からせてしまうシドニー・ルメット監督の綿密に計算され尽くした演出テクニックに感服する。行きつけのバーでピンボールゲームに興じて、硬くなったドーナツを泡が消えたビールで流し込む。そんな侘しいフランクの姿を撮影監督アンドレイ・バートコウィアクのカメラが捉える。まだ日が高い時間のバーは薄暗く、客もまばらな店内に響くピンボールの音と窓の外に暗雲垂れ込むボストンの色調に名作の予感。

そんなダメな弁護士に簡単に大金の報酬が手に入る仕事の話が舞い込んでくる。麻酔の医療ミスによって植物人間となった女性の家族が病院を相手に起こした訴訟だ。評判が落ちる事を避けるために示談金で和解に持ち込むつもりの病院。家族も同じ考えで仕事としてはこれほど楽なものは無かったのだが…。ところが、あろうことかフランクは依頼者の同意を得ずに、勝手に示談金の受取を拒否するして裁判に持ち込んでしまう。彼の心境に何が生じたのか?病院側はすご腕の弁護士を雇い裁判の準備を始め、フランクが準備した証人の召喚をことごとく妨害する。向こうは数十人規模のチームで、こちらは昔からのベテラン友人弁護士ただ一人。数でも能力でも武が悪い争いなのは目に見えている。

フランクの心境に変化が訪れるキッカケとなったのが、病院側から示談金21万ドルの小切手を提示された時だ。弁護士の報酬は、示談金の3分の1が相場とされている。まるで病院側はそれを見透かしているかのように、ちょうど3で割れるキリの良い金額を提示したのだ。ディヴィッド・マメットの手掛けた脚本に対して、ルメット監督は、濃縮スープのように詰まった無駄の無い脚本と称賛する。全くその通りだと思う。示談の提案を蹴ったその夜、行きつけのバーで出会ったシャーロット・ランプリングとの会話がイイ。『僕は今日、生き方を変えた」というフランクに、彼女は「私はホテルの部屋を変えたわ」と表情も崩さずにサラリと答える。前作『愛の嵐』『さらば愛しき女よ』で魅せたクール・ビューティは、本作では伏せられた重要なカードの役割を果たす。印象に残る大好きなシーンがある。二人がボックス席でテーブルを挟んで向かい合って話しをするポールのタバコの煙が、とても良い演技をしているのだ。本筋には関係ないシーンだが深く印象に残った。

かつて敏腕弁護士として期待されていた男が、ある事件をキッカケに転落してアウトロー人生を歩む事になるシチュエーションでありながら、彼を昔から影に日向に支えてくれる先輩弁護士(『チャンプ』で演じたマネージャーの好演も記憶に残る名脇役ジャック・ウォーデンの抑制された演技が光る)が共に裁判を戦ってくれる女房役という設定がイイ。有力な証人が公判直前に行方不明になり、その後もことごとく相手の弁護チームから妨害が入り、冷静さを欠くフランクを常に制しつつ、鋭い観察眼でラスト近くには大きな秘密を発見する立役者となる。対する相手の弁護士コンキャノンを演じるジェームス・メイソンのやり手ぶりも物語に絶妙な緊張感を与える。

誰が見ても被害者側が絶対に勝てる裁判だったはすが、相手の弁護士チームが繰り出す一手に雲行きが怪しくなる。どうやら判事も買収されているらしくフランクの主張は次々と却下される。焦点は禁止事項にいけないとされている麻酔の1時間前に食事をしたかどうか?だ。八方塞がりの窮地から逆転する後半の見せ場で、ブレーキからアクセルを絶妙なタイミングで切り替えるルメット監督の演出テクニックに感服する。そして、決め手となる証人が出廷するクライマックスの緩急自在なスピード感は一瞬たりとも目が離せない。ポール・ニューマン最大の独断場となる最終弁論の後、陪審員が下した判決に「新宿ロマン」の場内から拍手が湧きおこった。骨太の法廷ドラマの名作である。