新宿から特急あずさで2時間半、長野県のほぼ中央部に位置する塩尻駅に降りる。少し時間があったので駅の改札にある美味しいと評判の立ち食いそばを食べる。さすがそば処の信州だけあって、その評判に間違いが無かった。駅を出て国道を東へ歩くこと10分ちょっと…懐かしい外観の建物が見えて来る。地元のお年寄りにとって憩いの場となっている映画館がある。大正11年に芝居小屋から始まり、日本映画の隆盛から斜陽の時代を経てきた成人映画専門館『東座“2号館”』だ。1階の“1号館”は世界の名作を上映する一般館となっており、正面にある現在は使われていない入場券売場を境に入口は分かれている。扉を開けると売店の奥に休憩室があり、格子柄のクロスが掛けられた台と、森永フルーツ牛乳の冷蔵ケースが昭和の雰囲気を醸し出す。奥の階段を2階に上がると小ぢんまりとした規模が妙に落ち着く場内がある。


日活・東宝・松竹の上映館だった昭和30年代の『東座』には、連日、石原裕次郎や赤木圭一郎の映画に、多くの観客が詰めかけ、長蛇の列を作っていた。やがて高度経済成長期の終焉と共に、娯楽やレジャーも多様化。年々、観客も減少していた昭和40年代前半に、現在の塩尻会館に建て替えられた。アイデアマンだった先代の合木茂夫氏の発案によって、1階には映画館と観客がおにぎりやお茶漬けを食べられる食堂、2階には喫茶店と生バンド演奏のあるダンスホールが入った複合施設とするなど、手広く事業を行っていた。ダンスブームが過ぎると、いち早く雀荘に切り替えるなど試行錯誤を繰り返していたが、その数年後…『東座』は、ひとつの決断を迫られる事になる。日活がロマンポルノへの路線変更を打ち出したのだ。「私たち家族の生活を守るために自分の体裁を捨てて成人映画をやろうと決意したんですね。ピンクをやっていると色んな中傷もあったり、敵が増えたりするんです。ですから、この時を境に父はそれまでやっていたPTAの役員や公の役職全部から退きました。何も言いませんでしたが、バッシングもあったと思いますよ。だから本当に父には頭が上がらないのです」と語ってくれたのは二代目館主を務める合木こずえさんだ。そして、1階にある“1号館”を一般映画、ダンスホールと喫茶店だった2階を成人映画専門館“2号館”に改装して再スタートを切った。


本当の意味での活動屋…と、こずえさんが言われるように、茂夫氏は市内を駆けずり回って、お手製のピンク映画のスピード看板を設置していた。(実はスピード看板を発明したのは茂夫氏という話しもある)胸を露出したポスターが禁止になると、胸やお尻の上に下着の絵(レースの模様までつけた念の入れよう)で隠す事で新聞広告も出す事が出来た。成人映画専門館となった当時、こずえさんは中学校に上がったばかり。同級生の男子にからかわれ、家に帰って泣く事は日常茶飯事だったという。「私の中学校は東にあって、下校の時はみんなウチの映画館の前の通りを駅に向かって帰るわけです。表に裸の看板が出ているでしょう…そうすると後ろから男の子たちが、やーいポルノ女優って囃し立てるんです」そんな時、母・節さんは“あなたがしっかりと自分の道を歩んでいれば誰も何も言わなくなるから”と常に励ましてくれたそうだ。案の定、中学2年から受験に忙しくなり、自然とそういった声が耳に入らなくなってきたそうだ。「今から思えば、ウチの家族は強いですね(笑)」

こずえさんが、お母さんの強さを実感したのは、映画館を本格的に手伝おうと戻った20年ほど前のある日の事…「場内の清掃をしていた時に座席の下に落ちていたティッシュを処理しなくてはならなかったんです。“どうしてこんな事をしなくてはいけないの”とボロボロ泣いてその場にうずくまっていたら、母が来て“あんたはこんな事しなくてイイから”と慣れた手つきでどんどん処理して行く姿を見て、その時初めて気づいたんですよね…いけない!母はこれを何十年もやって来たんだ!…と」こずえさんは、その日から接客に対する気持ちが変わり「様々な誹謗中傷を受けながらも父と母が命がけで守って来た『東座』を改めて継続させて行かなくては…と、気持ちも新たにしました」と、決意を固めたと語る。


現在“2号館”は、1週間3本立て興行で新東宝・エクセス・大蔵映画を上映し、昔馴染みの常連の方に支えられている。「ずっとフィルムだったので、その間に出ていたデジタルの新作が何年ぶんも溜まっていて…だから塩尻初の作品が結構あるんです。それまでは、2〜3年前にやった同じ作品の繰り返しだったので、今では、インターネットで探し当てたピンク映画ファンの方が、遠くからわざわざ来られる事も多いんですよ」一時期に比べると、お客様の数は少なくなってきたものの、それでも土日になると、ロビーはいつもと同じ顔見知りや、初めて訪れた人たちで、けっこう賑わっているそうだ。

農閑期になると雨が降って作業が出来ない日には必ず自転車に乗って家で摂れたリンゴを持って来るお爺さんや、息子さんのお嫁さんが車で送り迎えして来てくれるお爺さんとか…実にホノボノとした光景ではないか。中には、雨の日も風の日も365日毎日通われている強者もいるというから驚く。「ある時、いつもウチで映画を観るご主人が、家を出たまま帰らないから、奥さんが心配して場内を探したら眠り込んでいたんです。それで奥さんが“お父さん!帰るよ!”って叩いて(笑)連れて行かれるのを見て、良い光景だなって思いました」歳をとってもまだまだ枯れていないぞ!という気持ちが大事なのだ。

それでもお客様の高齢化が進み、いつも来ていた方が、足腰が悪くなられて、ある日を境にぱったりと来られなったりすると、やはり寂しさを感じるとこずえさんは言う。「お爺ちゃんたちが集まれる場所がウチしか無いのであれば、その方たちのためにも頑張りたいと思います」先代のお父様が、家族のため、映画を愛する人々のためにどんな形であれ、映画館の存続と映画の灯を残す決断を下された思いは、昔から劇場に来るのを楽しみにしている常連客の多さに現れているのではないだろうか。(取材:2017年5月)


【座席】『1号館』168席/2号館』72席 【音響】『1号館』DTS

【住所】長野県塩尻市大門4-4-8 【電話】 0263-52-0515

  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street