「父の話しをすると涙が出て来ちゃうんですよ」と、長野県塩尻市に唯一残る映画館『東座』の代表を務める傍ら映画コラムニストとして活躍されている合木こずえさんは目を潤ませる。お父様の茂夫氏が、活動写真の魅力に惹かれて、昭和24年『東座』の支配人として赴任したのが全ての始まりだった。『東座』の創業は大正11年の芝居小屋から。近隣に遊郭があったため、この界隈も活況を見せていた。その後、経営者が変わり、松本にある“演技座(後のエンギザ)”が経営を引き継いだのは、活動写真が普及し始めた昭和初期…芝居と映画の興行を交互に行うようになった頃の事だ。

戦後“演技座”から劇場を譲り受けた茂夫氏は、カツドウ屋として自らの人生全てを映画興行に懸けた。「伴淳三郎の“二等兵物語”の公開時に、父は兵隊の格好をして、チンドン屋のような宣伝をしたり、大通りに垂れ幕を飾ったりしてくれたおかげで、家族は何不自由無い生活を送れていた…だから父には本当に感謝しているんです」と振り返る。


日本映画全盛の頃…東宝、日活、松竹の上映館だった『東座』の前には連日、長蛇の列が出来ており、こずえさんは場内に人が溢れかえる光景を見るのが、何よりも嬉しかったという。芝居小屋の名残りで畳敷きの桟敷席が残されていた2階席で、観客はゴロンと横になりながら映画を観ていたそうだ。「いつも座布団を持って2階席に上がると、会社帰りのお姉さんたちがお菓子をくれるんですよ。映画よりも、それが嬉しかったですね(笑)」石原裕次郎の人気シリーズも子供だからわけが分からない…だから、映画を観るというよりも映画館にいたと言った方が正しいと、こずえさんは当時を振り返る。「私は歩けるようになってすぐに劇場にいましたからね」昭和30年代、市内には東映の専門館“塩尻劇場”という映画館があり、まさに日本映画の黄金期には、この2つの映画館がしのぎを削っていた。「私は、高倉健や藤純子の映画をかなり後になるまで観た事がなかったんですよ。…と、いうのも昔から“東映はライバルだ”と聞いて育って来たものですから、どんなに人気があっても東映作品を観るのは罪悪だって思っていたんですよね(笑)」

しかし、昭和40年代…映画が斜陽の時代に突入した頃『東座』は一つの決断を迫られる事になる。日活がロマンポルノに路線変更を打ち出したのだ。「私たち家族の生活を守るために自分の体裁を捨てて成人映画をやろうと…これは、父にとって大きな決断だったと思うのです。ですから、この時を境に父は公に就いていた役員を全て退きました」日本映画の良い時も悪い時も見て来た生粋の映画館主は家族のために、劇場をリニューアルする際に2つに分けて、1階にある“1号館”を一般映画、ダンスホールと喫茶店だった2階を改装して成人映画専門館“2号館”として再スタートを切ったのだ。


幼少期を映画館で過ごしながらもこずえさんは、茂夫氏から一度も映画館を継いで欲しいとは言われた事がなかったそうだ。「私は、むしろ浅丘ルリ子や吉永小百合のいるスクリーンの向こう側に行きたいと思っていて…そんな私を誰よりも応援してくれたのが父でした」と語る。そんな茂夫氏が一度だけこずえさんに対して声を荒げた事があった。15年前、『東座』に戻ったこずえさんが長野では観る機会が少ない単館系の作品を定期的に上映する企画を持ちかけた時の事だ。「“商売にならない映画はやめてもらいたい。突然東京から戻って来て勝手な事をするな!”と、テーブルをひっくり返すのではないかという勢いで怒鳴られました」と、当時を振り返る。最終的には、茂夫氏も認めてくれて“FROM EAST 上映会”は、塩尻出身の古厩智之監督作“この窓は君のもの”で、スタートを切った。そして第一回上映会は見事、全席満員という大盛況の内に終了。今年で23年目を迎える上映会も地道な宣伝活動とクチコミから年々会員が増え、今では毎月の上映会を毎回楽しみにしているファンは数知れない。“FROM EAST 上映会”のモットーは「自分の目で確かめて、自分がどうしても観てもらいたい作品しか上映しない」という事。

その代わり、どうしても観てもらいたい映画を上映する時は他の劇場では決して真似が出来ないであろう徹底したフォローをされている。エミール・クストリッツア監督の“アンダーグラウンド”上映の事だ。どうしても学生に観てもらいたいのだが、予備校が終わるタイミングからスタートすると、約3時間の映画だから、それだと終電に間に合わなくなる…そこで、こずえさんが取った方策とは、終電が無くなったお客様全員を劇場の車で送り届けるという採算を度外視したものだった。現在、映写技師を務める妹のかなえさんと手分けして学生を送って行く途中、学生たちの心には“アンダーグラウンド”の感動と共に『東座』で観た想い出がしっかりと刻まれたに違いない。


こうした、こずえさんと家族の熱意が結果として現れたのが“マルタのやさしい刺繍”を上映した時の事だった。予想を上回る多くの女性ファンが訪れる爆発的なヒットとなり、「大人の女性に良質な映画を観てもらいたいという想いから15年続けて来て…時間は掛かりましたけど、ようやくこの作品で“続けて良かった”と思えました」と、胸をなで下ろしたという。「1秒間に24コマ…フィルムの横に空いているパワポレーターという小さい穴がカタカタと音を立てて映し出される残像が頭の中に刻まれるのが映画です。だから映画館で観た映画は感動が大きく、記憶に残るのだと思うのです」と映画館の魅力を語るこずえさんは、最後にこう続けてくれた「映画館という場所は、“あれ?私って、こんなシーンで泣けるんだ”と、意外な自分に出会える場所でもあるんです」

親子2世代に渡って塩尻で映画の灯を守り続けていたが、平成23年10月に茂夫氏は他界。こずえさんはお父様が倒れられたのを機に東京を全て引き払って、そこから本腰を入れて『東座』に専念している。「引き継いだものの映画館も古いから、あっちが壊れたりこっちが壊れたり…まるでモグラ叩き(笑)いつもどこかが不具合があって、毎日そんなこととばかり戦っています」そんな二代目館主をサポートしてくれるのは地元の人たちだった。「皆さん個人でやられている大工さんや電気屋さんで、いつも夜中に電話で困っちゃった〜って(笑)そうすると電気屋さんがパジャマのまま飛んできてくれたり、大工さんは開場前に寄って修繕してくれたり…本当に涙が出そうになります。皆さん私と同じ、お父さんの仕事を引き継いで塩尻で商売をされているので、共通する部分があるので波長が合うんです」



“FROM EAST 上映会”の担当者から映画館の責任者となった今、こずえさんの作品選びにも変化が現れて来た。「あの人だったら、どう思うだろう?とか、ここで泣いてくれるんじゃないかな?」と、常連さんの視点を頭の中に思い浮かべながら試写を観るようになったという。「作品の幅を広げて、皆さんに喜んでもらえると確信を持った作品を選んでいます。ですが、“2号館”は成人映画館なので、たった1スクリーンでやれる作品を選ぶのは本当に大変ですね」それだけに、朝から夜まで弁当持参で、全ての作品をご覧になる強者のお客様がいらっしゃると感動もひとしおだ。ちなみに、もうひとつ…こずえさんが作品を選ぶ時、あるこだわりを守っている。「こんな小屋ですけど、映画館って、夢を見せる場所なので、あまり現実的な映画は掛けたくないですね。場内の空間と外の空間が同じ…というのは、好きではないんですよ。自分がひとつの人生しか生きられなくても、映画は10通りも100通りもの人生を見せてくれる。そんな喜びも哀しみも味わえて高揚する映画…というのをモットーに掛け続けて行きたいですね」と最後に語ってくれた。親子2代に渡って塩尻で映画の灯を守り続ける『東座』に行けば、思いがけない感動に出会えるかも知れない。(2017年5月取材)


【座席】『1号館』168席/2号館』72席 【音響】『1号館』DTS

【住所】長野県塩尻市大門4-4-8 【電話】 0263-52-0515


  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street