東京駅からJR高崎線で1時間半。埼玉県北西部に位置する本庄市は、群馬県との県境にある明治代まで中山道の宿場町として栄えた街だ。以前は上野駅で高崎線に乗り換えていたが今では上野東京ラインの開通によって神奈川からもダイレクトにアクセスが可能となった。駅前にある朝日通りから銀座通りに抜ける商店街は昭和の雰囲気が今も残るレトロな作りの建物が多く、この界隈で映画やテレビドラマの撮影が行われている。ちょうどお昼時だったので通りにある「食堂モンキー」という風変わりな店名に興味が涌いて入ってみるとカメラを持った私の出立ちを見た店主が「今日は映画の撮影ですか?」と尋ねるくらいだから撮影やロケハンは頻繁に来ているようだ。その店主さんは実に親切な方で、食べ終わって外に出ると「あのビルの横で北野武さんが撮影した」とか…事細かく教えてくれた。その商店街をしばらく歩いて線路沿いに出ると、踏切り近くの路地の入口に小さな「庚申塔」が立っている。そこで立ち止まると路地の先から芳ばしい珈琲の薫りが漂ってくるではないか。どうやら本日のお目当ての場所はその先にあるようだ。

その薫りを辿って行くと左手に煙突が突き出た古民家が見えてくる。そこが月に一度の土日だけ現れる美味しい珈琲を飲ませてくれる映画館『movie theater THE SPOT』だ。築100年の古民家を改装した映画館…と言っても外観は本当に普通の民家。珈琲の薫りを頼りに歩けばNAVIは必要ない。開場は上映の30分前。上映作品ごとに焙煎される珈琲の薫りが「間もなくオープンしますよ」という実に洒落た合図となっている。この映画館を運営されているのは倉本貴広氏とうついかなさんご夫婦。ガラスの引き戸をガラガラと開けると玄関の奥からうついさんが和かに出迎えてくれる。靴を脱いでスリッパに履き替えてカウンター奥で予めネットで予約していたチケットを引き換える。珈琲と映画で大人2000円…支払いは当日現金のみとなっている。チケットを手渡され、焙煎士の倉本氏に珈琲はホットかアイスか希望を伝える。ちなみに当日提供される珈琲の種類はひとつのみ。倉本氏がこの日のために上映作品のイメージにあった豆を選び、上映日に一番美味しくなるよう1〜2週間ほど豆を寝かせて焙煎する…まさに至極の一杯を提供(紅茶も用意)してくれるのだ。暗幕で仕切られた隣室は12畳ほどの和室に11脚の椅子が並べられた客席となっている。椅子やテーブルなどは全てうついさんが選んだアメリカ製アンティークの一品ものだ。席は自由席で来場順にお好みの椅子を選ぶことが出来る。それぞれ椅子の間隔は余裕を持たせた配置になっており、11脚という座席数はかなり贅沢な空間だ。



「椅子をたくさん並べて観るのではなく、少ない客席でくつろいでもらいたいので、人との距離を近づき過ぎないように間を空けているんです」お二人が映画館を作る際に考えたコンセプトは「みんなで観る映画館」ということ。最近の映画館ではコメディ映画でも声を出して笑うことが慮れるが、ここでは可笑しければ遠慮なく声に出して笑って欲しいという思いが現れている。居心地の良さを中心に考えた結果、ギュウギュウに観客を詰め込むのではなく程良い距離感を大切にされた。私は初めて訪れたので一番後ろの座席を選んだ。各座席のテーブルには、何年製のどんな素材かを記載した手作りのカードが置かれている。椅子選びにこだわったうついさんが、ただ設置するのではなくその椅子の背景を紹介している。

『movie theater THE SPOT』がオープンしたのは2023年12月10日。「元々僕は映画館を作りたいというのが夢だったんです」という倉本氏は初めてシネコンに連れて行ってもらった子供の頃、映画館の雰囲気が好きになり「いつか映画館で働きたい」と思ったという。高校生になって映画館を作りたいという思いが強くなったが「作るにはどうすれば良いのかも分からず、ただやりたいと思うだけの日々でした」そんな時に大学で人が集まる場所や空間が好きだったうついさんと出会う。「好きなものが同じ人同士が集まる空間をいつか作りたい」イメージとして分かりやすく言えば「私は古着とか好きなんですけど、古着屋さんに行ったら古着に出会えるだけじゃなくて、古着というバックボーンに色んなカルチャーを教えてくれる店主さんとお話ししたり、他のお客さんとお話が出来たり…そういう場所ってイイなって思っていたので、彼から映画館の話を聞いた時に映画でもそれが出来たら面白いって思ったんです」倉本氏が長年抱いていた映画館設立への思いはここから動き出始めた。


映画館を作りたくてもお金が掛かるから簡単には出来ないと、二の足を踏んでいた倉本氏だったが、うついさんの一言によって事態は大きく動き出した。「この場所は私の祖母が住んでいた家だったのですが、祖母が亡くなってずっと空き家で取り壊しの話も出ていたんです。その時に家を見た彼女から、ここで映画館が出来るよ…と言われたんです」ここで映画館が出来る?子供の頃から遊びに来ていた家を映画館にするなんて無理と思っていた倉本氏はその言葉に「じゃあどんな感じになるのかやってみよう」と家具とか物をどかしてみたところ…「結構カッコ良くなって(笑)天井の高さも人が住んでいる視点で見た時はイメージ出来なかったのですが、家具を無くして見るとすごくポテンシャルのある建物だったことに気づいたんです」そこからの進展は早く、改装する箇所は最小限に抑え、受付カウンターを作り、フローリングの床をシートに貼り替えたりとオープン前日まで自分たちで作業を行った。こけら落としは、本庄市を舞台とした高齢者のジャズバンドで町おこしをするJAZZ 爺 MEN≠ニいう街の人たちが作った御当地映画だ。「この街で映画館をやるのだからこの映画を一作目に選びました」

倉本氏が珈琲に興味を持ち始めたのは正に映画館だった。「映画館で働いていた時に珈琲だけを買って入場するおじさんがいたんです。まだ学生だった私は映画と言えばポップコーンとコーラだったので、珈琲だけを買って入るおじさんをカッコイイ…って思っていました」そこで倉本氏は非番の日に真似をして普段飲まない珈琲を買って場内で飲んでみると…「正直、すごく美味しくなくて(笑)でも、ちょっと大人な楽しみ方をしているって思ったんです。だって珈琲ってカッコイイじゃないですか?そこで、あのおじさんに、もっと美味しい珈琲を飲んでもらいたいと思ったのがキッカケなんです」そこから珈琲にのめり込んで行き、映画宮本から君へ≠フ劇中(この映画中盤の山場だ)喫茶店で主人公が怒りを爆発させる場面で出て来たサイフォンコーヒーに「形が面白いな」と興味を持ち焙煎士につながって行く。「自分で豆を選んで焙煎した方が、表現出来ることがもっと膨らむと思い焙煎の研究をしました」そして、珈琲に映画のイメージを重ねるキッカケとなったのは、エチオピアのフルーティで爽やかな味の珈琲を飲んだ時のことだった。「その時ジム・キャリー主演のブルース・オールマイティ≠ェ思い浮かんだんです。それからは珈琲を飲むたび…この珈琲だったら何の映画だろう?って、楽しくなっちゃったんです」ちなみに取材日に上映されたのは、竹林亮監督のコメディMONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない≠セ。提供されたのはハイローストで焙煎したエチオピアの珈琲。「明るく楽しいイメージで同じ月曜日が来てもこの珈琲が楽しみになってもらいたい」と提供された一杯は、飲み進めて行くと味わいが変化する奥深さを楽しめた。毎回、上映前に倉本氏は作品と珈琲について解説をしてくれる。「映画から珈琲の魅力に浸って欲しいですし、珈琲好きな人は珈琲から映画を観るキッカケになってもらいたい」と、その想いを語ってくれた。


観客は上映後もすぐには帰らず、映画や珈琲の感想を口々に伝えている。「こんなに美味しい珈琲は人生で一番だった」とか「映画が面白くて声に出して笑ってしまいました」など映画館を丸ごと楽しんでいることが伝わってくる。正にお二人が求めていた「みんなで観る映画館」が実現しているのだ。設立から2年半…上映だけではなく近所のお店とコラボしたイベントを開催してきた。最初は客席が埋まらない日々が続いたが、昨年12月に上映したマミー≠ゥらお客様が増えてきたいう。街のパン屋やカフェと一緒に開催したイベント上映やmid90s ミッドナインティーズ≠ナは近所の古着屋とコラボして、90年代の古着を飾って販売する上映も行なった。周年記念で上映したアザー・ミュージック≠ナは上映後に生歌によるライブパフォーマンスも行なわれた。「正にウチのような小さな個人経営の映画館にはピッタリの作品だったので印象深い作品でした」。時には映画館を飛び出して東京のレストランに機材を持ち込み「シネマ・ディナー」と銘打ってレストランのコース料理とバグダッドカフェ≠フ出張上映会を開催したこともある。

現在お客様の層は高校生から年配まで幅広い。リピーターも多く、中には皆勤賞を狙っている方もいるという。玄関のテーブルに置いているノートには、そんな来場者の声がビッシリと書かれている。「映画を楽しめたとか、こんな空間で観れて良かったとか…嬉しい言葉をたくさんいただいています」驚くのはお客様の多くは近隣の人たちばかりではなく、むしろ東京郊外や他府県など遠方から来ている人が多いことだ。「一番遠かったのは滋賀や大阪から来ている人がいました。あと富山から来られたお客様は、朝来てトンボ帰りで富山に戻られたんですよ。それこそ映画館を好きになってもらう…という私たちの願い通りになっているのが嬉しいですね」これからは次のステップに向けての展開を考え始めているという。「今は月1回の上映で、他の日は営業はしていませんけど、徐々に増やしていけるように検討中です」と語ってくれたうついさん。上映回数を増やしたり、カフェだけの利用を可能とするなど…この空間を解放する時間を増やすことも考えているという。お二人にとって映画館は映画を観る場所ではあるけれど「お客様に映画館そのものを好きになってもらえるよう空間づくりを大事にしていきたい」と想いを述べる。「これからも映画以外に色々やってみたいと思いますが、ベースはあくまでも映画を観る場所。映画館というのはブラさずにやっていきたいです」と倉本氏は最後にこう締め括ってくれた。(取材:2026年7月)


【座席】 11席 【住所】埼玉県本庄市銀座1-4-6 ※チケットはホームページの予約フォームより

  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street