青山にあったデザイン会社に勤めていた頃、同僚に誘われて渋谷駅から10分ほどの雑居ビルにあったカフェシアター『UPLINK FACTORY』を訪れたのは今から26年前。そこで観たのが16mmのイギリス映画”新宿ボーイズ”だった。歌舞伎町で男装して働くおなべを追ったシュールなドキュメンタリーに衝撃を受けてから『UPLINK』という名前は、ちょっとヤバ目な配給会社として完全にインプットされた。ワンドリンク付き1000円で映画を観る上映スタイルの物珍しさも手伝って仕事帰りによく通っていた。ただし扱う映画が映画なだけに、精神状態が安定している日を見計らって行かないと、翌日まで沈んだ思いを引きずる危険性があってそれがまた魅力だった。


時には社会の闇を浮き彫りにした作品や人間の内面を鋭く描いた作品を送り続け、渋谷系サブカル世代の興味を長年牽引してきた『UPLINK』が、2018年12月14日に都心から離れた吉祥寺に新たなミニシアター『アップリンク吉祥寺』をオープンした。吉祥寺パルコ地下2階の約285坪ある空間をひとつの街に見立て、デザイン・コンセプトが異なる5つのスクリーンをランダムに配置(「ハウス・イン・ハウス」という設計思想に成り立つ計算されたレイアウト)して、小さな映画街を作り上げた。しばらくは宇田川町にあった『アップリンク渋谷(2021年5月20日閉館)』と並走して、それぞれの特性を活かした上映スタイルを構築していたが、昔の『UPLINK FACTORY』(後の『アップリンクファクトリー』『UPLINK-X』)を知るファンから戸惑いの声も上がったのは事実だ。

それでも吉祥寺に住むあらゆる世代の老若男女から『アップリンク吉祥寺』は新しい興味の対象として迎え入れられた。元々、吉祥寺は映画館が多い街で、かつては伝説のミニシアター”バウスシアター”やアニメーションの事務所も多く土壌はしっかり出来ていたのだ。ちょうど映画館を増やしたいと考えていたタイミングで、PARCOから吉祥寺パルコの地下フロアが空くという話をもらい計画は具体化した。「吉祥寺は潜在的なミニシアターの利用者が多いところだと思います。元々”バウスシアター”があった街ですからね。それなのに、単館系の作品を上映する場所が武蔵野エリアから、どんどん少なくなってしまった。ですから吉祥寺の皆さんは、何かを楽しむ気持ちが強く、興味の幅が広いと思うのです」と語ってくれたのは支配人の小川賢人氏だ。ある年配のご婦人がフラッと劇場を訪れて、受付でスタッフと会話を交わすうちに、上映されている映画の話になり「そんなに面白いならそれ観るわ」と映画を観て帰られる。小川氏はそんな光景に「街の映画館というのは、そういう場所なのかな」と思ったそうだ。


上映作品の傾向も渋谷の時代から大きく変化した。人間の内面に迫るドキュメンタリーやエッジの効いた人間ドラマを中心に構成されていた頃に比べると激変と言っても良いほどだ。自社配給や単館系作品をメインとしつつ、山田洋次監督の”こんにちは、母さん”といったメジャー系から、夏休みシーズンには”アンパンマン”や”仮面ライダー”などがラインアップされているのだ。「子供たちに映画を観る文化を知ってもらって映画館に親しみを持ってもらう入口になればと思っています」これは『アップリンク吉祥寺』が目指しているのが「街の映画館になること」だから。そのため、子供から大人まで楽しんでもらえる作品選定を意識しているという。

上映内容の変化は昔と比べて観客の趣味趣向が細分化している事も要因として挙げられる。「作品によってはお客様の方が全然詳しいですよ。お客様からこんな作品をやって欲しいとか、逆に私たちが教わる事もあるくらいです。今のお客様は選択肢のひとつとして映画館に来るのではなく、この作品が観たいから…と明確な意識を持って来場されている方が多くなりましたね」こうした現状からレトロスペクティブやテーマを設定した特集上映に人気が集まっているのも納得出来る。


今後は通常上映に加えて若手監督たちが作品を発表する場としても提供していきたいという。こうした作品の幅を広げる事が可能なのは、小規模の座席数で構成したスクリーンが5つもあるから。多くのミニシアターが100席前後であるのに対して『アップリンク吉祥寺』は座席数50席前後のスクリーンを主軸としている。これは観客の趣味趣向が細分化している現状が大きく影響していると推測される。「確かに土日ですと50席のキャパでは足りないのですが、だからといって100席に増やしても平日を満席にするのは難しい。でも50席ならば平日でも埋める事が出来ています。それならば100席のスクリーンを1つ作るよりも、50席のスクリーンを2つ作って作品の選択肢を増やし、平日の5日間がまんべんなく埋まる座席数を中心とした方が良い…と考えたのです」そこから小さなスクリーンの集合体「ミニシアター・コンプレックス」という発想が生まれた。確かに取材に伺った平日でも7〜8割ほど入っており、ほぼ満席という印象を受けた。

場内はデザインだけに留まらず、映像と音響にもこだわっている。スクリーンはカットマスクを使用せず生地を裏で引っ張っる太鼓張りを採用しており、通常よりも画面が明るく見えるのが特長だ。音響は『アップリンク渋谷』で導入されていたPAスピーカーを制作した田口音響研究所の田口和典氏が開発した平面スピーカーを全スクリーンに設置。主にジャズのライブハウスで使われているスピーカーで、その特徴を言葉で説明するのはすごく難しいと言う小川氏だが、音のイメージを「音の方向が平行に進んで行くのでひとつひとつ音の粒が立っている」と表現してくれた。「映画の中で聴こえる足音や鳥のさえずり、セリフを発する時の息遣いといった環境音が再現されているのです。大きな音でも滑らかに耳に入ってくるので大迫力の映画でも違った感じで聴こえて、他の映画館とはかなり印象が異なると思います」


エスカレーターで地下に降りると、お馴染み『UPLINK』のロゴ看板が出迎えてくれる。ネオン管の人差し指の先には青の洞窟を彷彿とさせるトンネルがある。この時点で心がワクワクしてくるのだが、その薄暗いトンネルを抜けるとカラフルに彩られたポップなロビーが広がる。受付の天井に設置されているミラーボールは渋谷のクラブ・WOMBから寄贈されたものだ。施設の設計をされたのは商業建築や公園設計など多くのまちづくりを手掛けてきた(株)アビエルタ建築・都市で、5つのスクリーンをロビーや通路が縦横無尽に囲む事で、館内をぐるぐる回遊する楽しみを生み出している。エリアごとに色調や壁紙のトーンを変えたのは『UPLINK』代表の浅井隆氏の着想だ。浅井氏が世界の映画祭で各地の映画館を視察された時に気づいたのが、日本の映画館はどこも薄暗くて色合いもシックなトーンで構成されているところが多い事だった。そこで新しい映画館を作るなら、映画を観る体験を日常から切り離した特別なものにしたい…という思いから、従来の映画館とは異なるデザインにしようと、デザイナーと何度も協議を重ねた。エリアごとに色分けされた明るく楽しげな空間に、来館した子供たちからは宇宙船や水族館みたい…と声が上がっている。

エスカレーター横の通路を進むとガラスのショーケースで囲まれたコーナーがある。このスペースは個人やグループで活動されているアーティストやクリエイターが作品を発表出来る「ギャラリー」として利用されており、オープン時は写真家ハービー・山口氏の展覧会が行われた。過去には衣装や造形物、人形展などの個展が開催されており、『アップリンク吉祥寺』の6番目のスクリーンと位置付けられている。受付前にある「マーケット」は映画関連グッズを取り揃えたショップだが、他にもヴィンテージ雑貨やアクセサリー、アニメーション作家のオリジナルグッズも販売。時には上映作品にちなんだコラボレーショングッズなども販売されているので、映画を観た後に立ち寄ってみると映画の世界観とリンクした小物に出会えるかも知れない。「コンセッション」では100年以上前のオリジナルコーラレシピに基づき10種以上のスパイスを調合して作られたクラフトコーラ「伊良コーラ」をオープン時から販売しており大人気のメニューとなっている。またドリンクとセットにヨーロッパの伝統製法で作るコダマソーセージを使ったホットドッグはオススメだ。そしてもうひとつ忘れてはならないメニューが国産クラフトの辛口ジンジャーエール。『アップリンクファクトリー』のカフェ「Tabela」でも提供されていた人気のドリンク(当時の名称は自家製ジンジャーエール)を継続されている。勿論、場内への持ち込みもOKだ。


『アップリンク吉祥寺』では、若い人たちにもっと映画を観てもらえるよう、学生料金枠は存在しない。つまり学生ではなく年齢で区切る料金設定としている。19〜22歳はユース料金1100円、16〜18歳はアンダー18料金1000円で観賞が可能だ。「学生料金ですと、例えば、高校に進学せずに働いている人は、皆一般料金になってしまう。少ない初任給のお給料から映画を観るお金を出すのって厳しいですよね。だから年齢で区切りました」今後は利用者からの声をもらいながら、より映画を観賞してもらえるよう料金体系を随時見直していく予定という。アップリンク会員も22歳以下のユース会員は年会費500円でいつでも1000円で観賞が可能。一般も年会費1500円で平日1100円・土日祝1300円で観賞が出来るので、年に3回観るのであれば会員になった方が断然お得だ。また会員はコンセッションのドリンクも割引となるのが嬉しい。

オープンして僅か2年でコロナ禍に入ってしまったため「今ようやく入口に立ったところ」と小川氏は語る。長い間ストップしていた時間が再び動き始めて思うのは「ここに来れば何か面白い事をやっていると思ってもらえる場所になりたい。5スクリーンの強みを活かしてもっと色々な作品を提供したいと考えています」明確に特定の作品を目指して来る方もいれば、買い物ついでに立ち寄って予定を変更して観賞される方もいたりと客層も千差万別。時にはスマホからの情報を遮断して、場内から出てくる人たちの表情やロビーに貼っているポスターを眺めてから、観る映画を決めてみる…興味が勝れば予定を変更しても構わないのだ。そんな事を思わせてくれる余裕がこの空間には流れている気がした。(取材:2023年9月)



【座席】 『スクリーン1』60席『スクリーン2』52席『スクリーン3』98席『スクリーン4』58席『スクリーン5』29席
【音響】 デジタル5.1ch

【住所】東京都武蔵野市吉祥寺本町1-5-1吉祥寺パルコ地下2階 【電話】0422-66-5042

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