武蔵野の面影を今でも残し、休日ともなるとたくさんのカップルが訪れる街、吉祥寺…この土地に戦後間もない昭和26年に設立、今年でちょうど50周年を迎えた『吉祥寺バウス・シアター』がある。設立当初は『武蔵野映画劇場』という館名でスタート。『バウス1』と『バウス3』では東急系のロードショウ作品を専門に上映し、『バウス2/JAV』では単館系の作品を上映している。「去年のGWに“バウス3”が出来たのをきっかけに“バウス2”を単館系作品の専門館として再スタートしました。ロードショウ作品も良いけれど、映画ファンは単館系作品も観たいという方が多かったのと、正直言って我々スタッフもやってみたい…というのが始まりでした」と語ってくれるのは劇場担当の川島功敬氏。「劇場のウリは、色々な作品を同じ場所で観る事ができるメリットを最大限に活かすというのを徹底しているところ…まぁ悪く言えば“イイトコ取り”なんですけど、映画好きにとっては、その“イイトコ取り”がたまらないと思います」単館系の上映については『バウス2/JAV』以外でもモーニングショーやレイトショーなどで関連作品の特集を組んだりしており、その姿は小さなシネマコンプレックスといった感じだ。

また、イベントなどにも力を注いでおり、以前“ロッキー・ホラー・ショウ”を上映した時はロビーにお客様が溢れ、コンクリートの壁にひびが入った程の盛り上がりを見せた。こちらのイベントで毎年恒例なのが音楽映画特集だ。『バウス1』では劇場の特質を活かしてライブも行われたりしている。「元々“バウス1”は芝居小屋だったんです。だから照明も自由に変化させることが出来、ステージにしてもスペースが広くイベントを組み易いんです。」と、言われる通り『バウス1』のスクリーンは稼働式でスクリーンの位置を前後させることでステージに早変わりしてしまう。また、イベントとして使われない時でもシネスコサイズの映画はスクリーンを後ろに、逆にビスタサイズの時は前に移動させ一番観易い状態にすることが可能なのだ。昨年、他界した“どんと”も生前コチラの劇場でライブを行った事から追悼番組として縁りのあるゲストを迎えてライブ演奏と上映会を開催した(事実、追悼ライブイベントをこちらでやりたいと望んだのは“どんと”の奥様だった)。トークショーでは出演者やスタッフなどが参加したりして当時の想い出を語ってくれる。まさに映画に奥行きを与えてくれる内容なのだ。


「こうしたイベントではお客様の反応も良く、逆に言えば集まるお客様はコアなファンの方ばかりですから裏切れないですよね。そういった所では決して手を抜けないです」レイトショーの特集については徹底的にこだわって、監督の特集を組んだならば、その監督の作品を全て上映してしまうほど。松岡錠司監督特集の時は、8mmや16mmの作品まで番組の中に入れてしまうのだからファンにとっては貴重な特集上映なのだ。とにかくイベントの数は多いのが特徴的な劇場だが、それは映画にとどまらず、年に4回“落語会”を催したりしているのが普通の映画館と大きく変っている所だ。「面白いものは積極的に何でも取り入れようと思っています」正に江戸時代の庶民の娯楽から現在の娯楽に至るまで古今東西あらゆるエンターテインメント・シーンを提供してくれるのだ。外観は何とも吉祥寺の街並にぴったりの雑貨屋ふうのお洒落な作りになっている。

「手作りの劇場ですから、至るところに従業員の手が込められているんですよ」と語る川島氏が一番自慢できるのが、こだわりの映写技術だという。「映写技師の方は“武蔵野映画劇場”の頃からやっている人間なので映写機のメンテナンスは完璧ですよ。最近“アカシアの道”を上映する際に音響チェックに撮影監督の方と日活の音響担当の方が見えたのですが、“この映画館は音が良いですね”と褒められた時は本当にうれしかったですね」と顔を綻ばせる川島氏。良い映画だからこそ、最高の状態で提供したいという劇場の思いがここにも現われているのだ。「吉祥寺という街は昔から映画ファンの方が大勢いらっしゃいますから、その分期待に応えていきたいです」作り物の世界にあえて騙されに来る空間…それが映画館であり、その場所を一生懸命作り出しているスタッフの情熱を感じるのがココ、『吉祥寺バウスシアター』なのだ。(取材:2001年3月)


【座席】 『バウスシアター』218席/『バウスシアター2/JAV』50席/『バウスシアター3』100席 【音響】 SRD・DSSR

【住所】東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-23 ※2014年6月10日を持ちまして閉館いたしました。

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