九州の南東部に位置する宮崎県宮崎市。駅に降り立つと県木フェニックスが立ち並び、ここは南国なんだな…と感じる。街の中心は駅前ではなく歩いて15分ほどの場所にある県庁前の橘通界隈だ。平成12年に設立されたNPO法人「宮崎文化本舗」が運営する県内唯一のミニシアター『宮崎キネマ館』は、まさに街の中心部に位置する複合商業施設の2階にある。代表理事の石田達也氏は、長年、宮崎映画祭の事務局長を務められて、映画館を拠点として街づくりをしよう…という思いから設立を決意した。

『宮崎キネマ館』がオープンしたのは平成13年3月24日。当初は地下にあったのだが、契約していたビルの管理会社が破産したため、ビルのテナント計画が見直され、オープンから僅か2ヵ月程でフロアの移転を余儀なくされる。「まさか短期間に二度も映画館を作るとは思いませんでした(笑)」と当時を振り返るのは支配人の名田敬仁氏だ。オープニング作品は、当時人気絶頂の“ONE PIECE ねじまき島の冒険”。ちょうど市内にあった東映の専門館が閉館したため大人気作品のファースト上映が実現出来たのだ。


「初めての映画館立ち上げで、スタッフ全員、張り切りましたよ。お店にポスターを貼らせてもらう交渉をしたり、あちこちに割引券を配って回ったり…」オープンは場所を変更して、近くのホールでの上映になったものの、予想以上のお客様が来場された。結局、地下での営業は僅か2ヵ月足らず。その間にも“ホタル”と“バトルロワイヤル(特別編)”の公開が続き、連日、多くのお客様が来場された。「むしろ地下の方がお客さんが入った…という記憶があるくらいです」と苦笑いする名田氏。現在の場所(2階)で再オープンしたのは5月30日。「とにかく突貫工事ですよ。従業員全員で椅子とか映写機を地下から運んで…本当にオープンまでは大変でした」エスカレーターを2階にあがると、目の前に受付と兼用のチケット窓口がある。当日券とお菓子を買って、いきなり場内に…ロビーはと言えば、かろうじて施設の導線を仕切った待合所がある程度。むしろ共有の休憩スペースを利用しているお客さんが多い。そんな映画館が実に元気なのだ。


上映作品は、ミニシアターには珍しく東映作品(現在は東映アルファ系)との2本柱となっているのが、大きな強みとなっている。当初、多目的ホールとして作られたシネマ2を映画館仕様に改装する際の費用を東映作品“半落ち”のヒットで得た収益で賄ったという逸話が残されているほど。「フラットだった場内に段差を付けて、常設の椅子を導入する事も出来たんです。そのため、仲間内ではシネマ2の椅子を“半落ちシート”って呼んでいるんですよ(笑)」確実に集客が見込める東映作品があるからこそ単館系の作品で、ある程度の挑戦が出来ると名田氏は語る。「幅広い層のお客様から支持される東映作品と、集客は多くなくても宮崎で観られなかった小品ながらも良質な作品…これこそが『宮崎キネマ館』の長所だと思っています」

『宮崎キネマ館』を語るには、まず宮崎映画祭の立ち上げから説明しなくてはならない。当時の宮崎市内にはメジャー系のロードショウ館が中心で、単館系の作品を掛ける映画館が無かった。ちょうど映画100周年の年に、宮崎でも何か出来ないか?という相談を地元企業から持ちかけられたのがキッカケ。そこで、宮崎で観れない映画を上映出来る方法を模索していた有志の思いが合致して宮崎映画祭が立ち上がった。「宮崎文化本舗」は、そもそも映画祭を運営するために作った組織だが、日中は別の仕事を持っているメンバーで構成されているため、あくまでも映画祭は今まで通り任意団体で活動を行い、「宮崎文化本舗」は、映画祭の委託で事務局の運営を行っている。勿論、『宮崎キネマ館』は、映画祭会期中は会場として利用されている。


過去のヒット作として名田氏の印象に残るのは“アメリ”で、連日立見になったそうだ。韓流ブームの頃には、ペ・ヨンジュン主演の“スキャンダル”に、多くのファンが押し寄せた。「メインのお客様は年輩の女性ですので、どうしても女性向けの作品に触手が伸びてしまいます。最近では“アリスのままで”といった作品は強いです。この時は、自分らしく生きるというテーマのトークイベントを開催したところ、多くのお客様がいらっしゃったんですよ」一方で、“エヴァンゲリオン Q”を県内で独占公開を行い、徹夜組が出る程の反響を見せた。当時の混雑ぶりを「面白い忙しさでした」と振り返る。「連日満員で物販も多かったですから、とにかく賑やかでした(笑)。向かいのアニメイトさんと一体化したような感じになって、フロアごと盛り上がった記憶がありますね」

“僕たちは世界を変える事ができない”の公開時は、特に印象深かったと名田氏は語る。「当時、応援メッセージが一番多かった映画館に出演者が舞台挨拶に来る…という映画宣伝の企画がよく実施されていたのですが、ずっと、“セントラルシネマ宮崎”さんが1位を独占していたんです。そこで、僕らも負けていられないと…“僕たちは世界を変える事ができない”の予告編とそっくりなパロディを作って、YouTubeに流したんです」このパロディ動画を拝見させてもらったのだが、画角も忠実に再現しており、なかなかクオリティが高かった。努力の甲斐があって見事1位を獲得して、主演の向井理が来場する事になったのだが…。「ウチのような小さな劇場に向井理さんが来る…となったら、シネコンと違って距離が近いですからね。そりゃすごい騒動ですよ」予想を遥かに超えるお客様が来場し、2回の舞台挨拶のところ、急遽、1300席ある県立芸術劇場のホールを借りて、追加の上映と舞台挨拶を行った(そのチケットも即完売したそうだ)。

また、2年前から昔の名作を若い人に観てもらうために始めたSEVEN SENSES(セブンセンシズ)という企画上映に力を入れている。学生は500円で、タルコフスキーの“ストーカー”やアンゲロプロスの“永遠と一日”といった名作を観る事が出来るのだ。「若い人たちに映画館で観る映画の良さを知ってもらいたい。例えばゴッホのひまわりを本で見るか美術館で本物を見るか…と同じだと思うんです。作り手が伝えたかった思いは、スクリーンで観て初めて分かるんじゃないでしょうか」こうした旧作上映のために、35mmの映写機は1台残しているそうだ。「毎年お正月には寅まつりと銘打って“男はつらいよ”や、プログラムピクチャーのフィルム上映を行っているので…でも、もしフィルムが無くなったとしても映画館の魂として映写機は残していきますよ」


学生の頃、映画好きというよりも映写機に興味があって、この業界に飛び込んだという名田氏。“宮崎ピカデリー”のアルバイトとして映写の技術をイチから教えられ、映画館の魅力に引き込まれたと語る。「その時に知り合ったのが、支配人をやっていた石田だったんです。自分たちのやりたい映画をかけたい…と石田が独立して、映画館をやるから一緒にやらないかと声を掛けられたのが始まりでした」

15年を振り返って「まだまだですね。まだ15年…年齢でいえばまだ中学生ですから。こんな事を私の立場で言ってはいけないんでしょうけど…」と、しばし考えて名田氏はこう続けた。「そんなに儲からなくても、スタッフ皆にお給料払って、ギリギリでやっていけたら良いなと思うんです。それよりも長く続けられて、色々な作品を宮崎の人たちに観てもらえたら…というふうに考えているんです」最後に、もうちょっと欲を出さなきゃいけないんでしょうけどね…と頭をかく笑顔が印象に残った。(取材:2015年8月)


【座席】 『シネマ1』94席/『シネマ2』55席 【音響】 『シネマ1』SRD/『シネマ2』SR

【住所】宮崎県宮崎市橘通東 3-1-11 アゲインビル2F 【電話】0985-28-1162

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