人口35万人を有する群馬県最大の中核市・高崎市にあるミニシアター『シネマテークたかさき』は、映画をこよなく愛する一人の男が「単館映画を地元高崎で観たい!」という夢を実現させた映画館だ。その男の名は、茂木正男…昭和62年から続き、来年30周年を迎える「高崎映画祭」の創設者だ。当時、高崎では観る機会が少なかった単館系の映画を地元で観たいという想いから自主上映団体を設立。その想いに賛同した多くの同士が集まり、映画祭に発展した。「東京で上映される映画を100とすると群馬で観られる映画は、せいぜい30程度。映画祭が順調に続いても茂木の頭には、ずっと映画館設立の想いがあったようです」と語ってくれたのは支配人の小林栄子さんだ


全国の仲間からも、いつ映画館を作るんだ?と言われながらも、資金面や場所の問題から思うように実現しなかった。それから14年が経ったある日、転機が訪れる。文化庁が制定した文化芸術基本法によって、映画がメディア芸術のひとつと位置づけられ、この基本法が追い風となり、地方における映画の上映活動が動きやすくなった。「ちょうどその頃、“深谷シネマ”さんがNPO法人として初めて映画館を立ち上げたんです。そうか!その手があったんだ!って(笑)」

全盛期には東映、東宝、松竹の専門館が軒を連ねていた駅西口。茂木氏はそんな西口に映画館を作る事にこだわった。あちこち探しまわって、辿り着いたのが閉店した新潟中央銀行だった。「家主さんも茂木の情熱に快く貸してくれて、設立に向けて具体的に動き出したのです」こうして、平成16年12月4日、NPO法人たかさきコミュニティーシネマが運営する『シネマテークたかさき』がオープンした。「設計から施行まで一気に行ったため、半年は怒濤の日々でした」と笑う小林さんだが、資本金ゼロでスタートしたため改装費の捻出にも苦慮していた。空き店舗支援事業によって改装費の3分の1を市が助成してくれたものの、建物の用途変更や耐震補強など、当初の見込みよりも大幅に予算が膨らんでしまったのだ。「そこで助けてくれたのが、ずっと映画祭を支えてくれた市民の皆さんだったのです」何と、市民からの寄付金が1000万円も集まったのである。「映画祭を地道に続けてきたからこそ…私たちが映写機やスクリーン担いでいた姿を市民の皆さんは見てくれていたんだなぁと思いました」

まずは1スクリーンからのスタートだったが、3年後には待望の2スクリーン目を上層階に新設。新たなスタートを切ろうとした矢先、高いカリスマ性で映画祭を成功へと導いてきた茂木氏が病に倒れ、翌年、映画館の完成を見届けるように急逝してしまう。「茂木が映画祭の顔だったので、正直どうして良いか分からなかった。でも立ち止まっていられないので、とにかく新体制で映画館を続けて行こうと」やっと最近になって落ち着いてきた…と、言葉を続けた後、「いや、まだかなぁ」と小林さんは呟く。「多分、私は茂木を一生追い越せないと思います。評論家でも研究者でもなく、単純に映画が好きな人だったから寄付金も集まって、監督や役者さんも茂木の企画ならばと、協力してくれる方が多かったんです」第15回の映画祭にボランティアで関わり14年…振り返れば、ただ続けようと必死だったと言う小林さん。昨年から高崎市の観光課よりフィルムコミッションの事業委託を受けることになり業務が拡大。それまで支配人を務めていた代表の志尾睦子さんからバトンタッチされたばかりだ。


群馬で観たい新作映画を旬のうちに上映したいという想いで作った『シネマテークたかさき』。群馬で生まれた映画や、若手クリエイターが手掛けた作品を紹介するのが柱となっている。また、監督や出演者が来場されてトークイベントを行うのもコチラの名物。映画祭からのつながりで来られる方も多いが、最近では、自ら自主映画を持ち込まれた監督が多く、1階のロビー壁面にはゲストのサインが日を追うごとに増え続けている。現在は、2スクリーンで最大7作品を上映。作品の選定は小林さんが取り仕切っており、通常の業務をこなす傍ら、送られてくるサンプルのDVDに目を通す事に謀殺されている。「何かしながらというのが出来ない性格ですから、観る時はちゃんと2時間を確保して、途中で止めないで観るようにしています。もっと要領よくすべきなんでしょうけど…」

メインのお客様は50〜60代の女性が中心で、映画祭からの根強いファンが多いため群馬県全域から熊谷、遠くは新潟や長野からも来場されている。そのため、上映作品も映画祭との棲み分けを模索しながら選定しているそうだ。とは言うものの、ここ数年で自主映画が急激に増えており、上映したくても泣く泣く断念する事もしばしば。そんな時は、逆に映画祭で取り上げる事もあるという。「そこが映画祭も運営している我々の強みでしょうか。始めた頃は、実績が無いため配給会社から断られる事があったのが嘘のようです」本当は、ひとつの作品にじっくりと向き合いたい…という小林さんは、現状の上映本数に歯がゆさを感じているという。「お客様からも1日に1回しか上映しない作品もあるから見逃してしまう…という声をいただくので申し訳ないです」都内のミニシアターでも同じような状況のため、最近では、東京から見逃した作品を追いかけて来るお客様も増えているそうだ。


ヒット作は、“かもめ食堂”で、あれを越えるものは今後も無いだろうと、今でも語りぐさになっているそうだ。「当時は、1スクリーンだったので、毎日、行列で入り切らないから追加上映したのですが、それでも満席が続き…“かもめ食堂”のおかげで初期費用を完済する事が出来たんです。あれで、味をしめちゃって2スクリーン目を作ろうと思ったんですけど(笑)」10周年記念で“かもめ食堂”を上映し、片桐はいりさんが一日もぎり嬢をやるイベントを行ったところ、すぐに満席になった事からも人気の凄さが窺える。(ちなみに…片桐はいりさんは、さすが手際の良いもぎりを披露してくれたそうだ)

2年前にデジタルを導入して、改めて小林さんは思う。「10年前ではデジタル化なんて想像すら出来なかった。だから、この後の10年がどうなるのか…なんて、全く読めないですよね。まずは、ここで上映を続けて行く事が一番の目標であり課題です」かつて今井正監督が、“ここに泉あり”で描いた群馬交響楽団の創成期からも分かる通り、高崎市は文化に対して寛大な土地だ。有志による市民音楽団体が市民からの寄付金によって支えられてきたという歴史があるのだ。そんな街に相応しい映画館でありたいと小林さんは言う。「予定を立てて観に来るというより、ちょっと時間あるから…と、ふらっと立ち寄って、その時観た映画が数年後も頭の隅っこに残れば良いな…って思っています。皆さんの日常に映画があって気軽に映画を観ていただけるようになったら本物ですね」(取材:2015年8月)


【座席】 『スクリーン1』58席/『スクリーン2』64席 【音響】 SRD

【住所】群馬県高崎市あら町202番地 【電話】027-325-1744

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