下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである…森鴎外の小説「高瀬舟」に描かれた罪人を運ぶ舟が、京都の中心部を南北に流れる加茂川と並走する水路・高瀬川を往く情景だ。周辺は花街としても名高く、夕暮れ時からポツポツと小料理屋の灯りが石畳の通りを照らす。そんな高瀬川沿いにある昭和3年に開校した立誠小学校は、平成4年に役目を全うしてからは、昔と変わらぬ姿で自治会の行事やイベントの拠点として復活した。折しも取材日は高瀬川桜まつりを翌日に控え地元の人々が忙しく動き回り、一斉に咲き乱れる川沿いの桜が川面をピンク色に染めていた。木屋町通りから川に架かった石橋を渡ってアーチ型の玄関より校内へ入ると、ワックスがしみ込んだ木の床から懐かしい校舎の薫りが漂ってくる。かつては子供たちが走り回っていた階段の踊り場の窓からグランドが見える。漆喰の壁に郷愁を感じながらトントン…と階段を3階へと上がって行く。このあたりから気分はもう小学生だ。その南校舎3階にふたつの教室を利用したミニシアター『立誠シネマ』がある。

階段を上がり案内板に書かれている表示通り廊下の突き当たりに進むと、ひび割れた水飲み場と下駄履き入れを再生したチラシ棚がある。その向かいにある教室の扉をくぐると、そこがシアターのロビーだ。チョークやセロテープの跡だらけの黒板や掲示板は当時のまま…違うのはそこに掲示されているのが算数や国語の問題ではなく映画のスケジュールとポスターというところ。中央にある木のテーブルとレトロなソファに座って待ち時間を過ごしていると、昭和の時代にタイムスリップしたような感覚に陥ってしまう。映画の関連書籍や掲示物を見て回ると教室の床がギシギシと音を立てる。ロビーにはBGMは流れておらず、80年以上もの時を経た建物が奏でる音が心地よく耳に響くのである。




ロビー奥にある暗幕で囲われた扉を抜けると、そこは上映会場となっている隣の教室で、席に着くと子供の頃に視聴覚教室で観賞した映画の記憶が蘇る。ひな壇となっている座席は全て座椅子だから、決して快適な映画環境とは言えないかも知れないが、小さなスクリーンに映像が投影されると言い知れぬ高揚感が全身を包み込む。経営するのは舞鶴と福知山で、ふたつの映画館を経営し、映画製作・配給を行っているシマフィルム(株)だ。古い建物なので壁に釘一本打てないという制約の中で、さすが映画製作も行っているだけに、内装は美術部のプロが手がけた本格的なものだ。小学校の教室を映画館に…何ともユニークな発想で新しい興行のスタイルを示した背景には、ちょうど映画の上映形態が大きく変わろうとしていた時代のタイミングが大きく関わっていた。「平成23年頃からデジタル化が進み、国内のミニシアターがどうしていくか?という状況になっていました。ひょっとしたらミニシアターがこれから無くなるかもしれないという風潮になっていたんです。ちょうど、同じ時期に10年続いていた“京都映画祭”も一時休止になって…そのあたりから、自分たちがいる場所としての京都で、映画事業として何かを始めないといけないのではないかと思案するようになっていました」と語ってくれたのは支配人の田中誠一氏。そこで思いついたのは立誠小学校で映画を上映出来る施設を作ってはどうか…という事だった。実は小学校になる前、この場所は日本映画発祥の地と呼ばれ、明治30年、実業家・稲畑勝太郎氏が神戸港に持ち込んだシネマトグラフで試写を行った場所なのである。「こじつけかも知れませんが、映画というのが京都の人たちにとって、文化として依拠するものがあるのだ…と、僕も気づかされました。だったら、この場所でやる意味があるのではないかと思ったんです」オープンしたのは平成25年4月27日、話があってから一年足らずという短期間での立ち上げだった。「前例も無かったので、どういう風にやったら良いのか分からない。教育の現場だった公共の場所で、映画を観せるというのは営利目的になるのでは?等といった課題をひとつひとつクリアしなくてはならなかったのです」

「ミニシアターという概念が全国に定着したのは、たかだかこの20〜30年くらい…だから僕はミニシアターという文化を守ろうとは思わなかった。映画というフォーマットが変わる時代ですから、そういう意味で僕は映画館を作りたかったわけではないんです。映画を観る体験をココだから出来る事をやろうと思ったんです」田中氏は、映画館は単に映画を観る場所ではなく、思い返した時に映画を観た体験をどれだけ強く印象付けられるか…を後押しする場所だと位置づける。それが出来なければ、映画はいずれパソコンやスマホのようなツールにスポイルされてしまうだろうと語る。「映画館に行く…というのは、レンタルして家で見るのが習慣になっている人には、面倒くさかったり不便さを感じさせると思いますが、例えば音楽の場合、野外のライブを雨でズブ濡れになっても惹かれるのは、大変だった思い出も含めて体験したいからですよね。僕は、映画をそういうところに持って行きたかったんです」


田中氏は、ココが映画を観る環境として決してベストではない…と断って、次のように続ける。「映画館というのは、出来るだけ作品の阻害をしない環境で提供すべきだと思いますが…決してウチは、そうではない。普通の学校の教室ですから防音対策をしているわけでもなく、外からの音も廊下を歩く音も入ってきます。静かな環境で観たい…という事であれば別にウチがやる必要はない。それを場所の個性として映画を楽しむというカタチがあっても良いと思うんです」ちなみに、作品の選定は全て田中氏が行っており、特に選定基準を設けているわけではないが、R指定の過激な作品に関しては、少しずつ様子を見ながら上映しているという。「ウチのビジョンだけでどうにかなるものではないので、京都という街の状況と向き合いながらやって行く…というのが今後の方針でしょうか。来場されたお客様が何かを感じて帰っていただければ、それで良いと思います。今の世の中は、貴方にはこれがオススメです…と選ばれたものが送られてくるから、自分で選択をしなくなっている。僕は、お客様に自分で探して発見してもらいたいんですよ。その方が面白いじゃないですか」時には京都での上映は終わっている作品でも季節に合わせて、ムーヴオーバー的に上映することもあったり、普通の常設映画館とは違った角度から作品を選ぶ事も多いという。「作品に関しては偏っていると言われるんですけど…偏っていてもお客様の心に響くような番組を編成するようにしています」と田中氏は笑う。「古い小学校に映画館があること自体が、ある意味、実験だと思ってますので、どういうところが成功だったか…お客様にもその結果を見届けていただければと思います」今年で2年が経過して、着実にお客様の数が増えている事から、その思いは少しずつ浸透しているようだ。(取材:2015年4月)


【座席】 35席(変動)

【住所】京都府京都市中京区備前島町310-2 元・立誠小学校南校舎3F ※2017年7月30日を持ちまして終了いたしました。

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