「自分の映画館で、“ニューシネマパラダイス”を観るのが夢でした」場内を見渡しながら本厚木にある映画館『アミューあつぎ 映画.comシネマ』の代表取締役を務める青山大蔵氏は語る。そこはかつて、“厚木テアトルシネパーク”(平成6年3月オープン、平成20年2月に閉館)という東京テアトルが経営する3スクリーンの映画館だった。当時、デジタルプラスに所属していた青山氏の耳に、厚木市に街から消えてしまった映画館を復活させる計画があるという情報が届いたのは平成24年10月のこと。小学生の頃から、映画館から笑顔で出てくるお客さんを見るのが好きで、いつか自分の小屋を持つのが夢だったという青山氏は早速、厚木市を訪れた。


市街地の中心にありながら周囲をフェンスに囲まれた元厚木パルコの建物の9階にその映画館はあった。「まるでゴーストビルのようでした。案内してくれた市の担当者が電気をつけたその時、真っ暗なフロアに映画館が浮かび上がると、思わず涙が溢れてきたと青山氏は振り返る。「これは俺がやるしかない…と思いました」そこから遡ること1年前…“映画館へ行こう実行委員会”と“ムビチケ”を立ち上げた青山氏は、大学院で“渋谷地域のミニシアター再生”という研究テーマに取り組んでいた。かつて全盛を誇ったミニシアターブームも下火になり、渋谷の街からミニシアターが姿を消してきた時代だ。「その時に思ったのは、これはおかしな事になっちゃうぞ…ということでした」更に、何か行動を起こさなくては…と考えた青山氏は、渋谷ヒカリエで80〜90年代にヒットした単館系作品をオールナイト上映する映画祭「渋谷真夜中の映画祭」を立ち上げる。「その時“トレインスポッティング”を上映したところ、200名を越えるお客様が来たんです。意外だったのは二十代の方が多く…まだミニシアターってイケるのでは?と思いました」そして、それまで青山氏が抱き始めた思いをこの映画祭で形として実現させる。「映画館って接客業だと思うんです。なのにチケットを買っても、ありがとうございましたの一言も言えない劇場スタッフがいることも事実。だったらサービスに徹した映画祭を作ろうと思ったんです」そして映画祭に参加したボランティア・スタッフが積極的にお客様に話しかけ、あの映画祭は面白い!と、高い評価を得たのだ。「そこで、気づいたんです。これが映画館再生の道なんじゃないか…と」映画祭を成功させたものの小屋を持つに至らない…そんな気持ちを抱きながら映画祭を続けて行くのかな?と感じていたところに、厚木の映画館再生という話を聞く


そして遂に平成26年4月26日『アミューあつぎ 映画.comシネマ』がオープンしたのだ。「途中、何度もご破算のピンチがあったのですが、市の担当者が熱意のある方で、私を勇気づけてくれました。その方がいらしたから、私はこの映画館をオープンにこぎつけることができました 」オープン前から注目を集めたが、厚木市は近隣に大手シネコンがふたつもある激戦区で、しかも一度は閉館した映画館。多くの配給会社は、しばらく様子を見させて欲しいという冷静な反応だった。「まずは市の担当者と配給会社を回りました。バックに厚木市がついているのが大きな安心材料になって、徐々に信頼もついてきたんです」青山氏は“TOHOシネマズ海老名”が全国でも高い動員を誇る事から、少なくともこの地域には映画を観る土壌がある…と考えた。「海老名でやらない映画を新宿まで観に行っているのでは?と思ったわけです。じゃあ、都内でやっている単館系の作品を引っ張ってこよう。あとはメジャーのムーヴオーバーと、この辺にはアニメを観る環境が無いのでアニメもやろう…とゴチャ混ぜで編成をしたら、これが結構ウケたんです」









『アミューあつぎ映画.comシネマ』は、厚木市がオーナーである映画館。映画館に対して厳しい声も上げる市民も少なからずいた。地域密着と謳いながら足下が甘かった…と青山氏が次に行なったのは、“そうだ!地域を回ろう”という事だった。「批判的な人たちにも、この映画館再生の意義を理解していただけないと、この事業は成り立たないだろうと考えたのです」映画館のチラシを持って町内会や商店街、一軒ずつ訪問して、3ヵ月かけて500人の方々に映画館を作る事について話し続けたところ、いつの間にか映画館を応援する立場に回ってくれたのだ。「今では、スケジュール表やチラシを商店街や自治会の人が取りに来て配ってくれているんです」それまで青山氏は“映画.com”という名前とWEBの宣伝でお客様もたくさん来るだろう…と思っていたのだがネットの拡散よりも、この地域には街独特のネットワークが縦横無尽に張り巡らされていた事に気づく。「一人に言っただけで、どれだけの人に拡散するか…というのを思い知らされました。あの人に言われたから来たんだよっていう方も結構いらっしゃったんです…」


映画館をやっている意識は全然無かった…と語る青山氏。「私たちが作ったのは映画館ではなく地域コミュニティーです。基本概念は、お客様を作らない…言い換えれば、お客様も映画館の運営に巻き込んでしまおう…と(笑)。当館では上映前にスタッフが前に出て映画の解説をしていましたが、それを時にはお客様にもやっていただいています」最初は声を掛けて参加を促していたが、最近ではお客様から自主的に手を挙げるようになり、それからお客様同士の会話が増えているという。そしてロビーやカフェのアチコチで、いつの間にかスタッフも輪の中に入って映画の話をしている光景が見られるようになった。その中で青山氏がスタッフに課せているのは、お客様の顔だけではなく名前も覚えること。おかげで今では、お客様から「○○君いる?」とスタッフが名前で呼ばれたり、時には差し入れまでしてくれる事も。このように作品に依存するのではなく、映画館のファンを増やすのが、映画館存続の鍵を握ってるのかも知れない。「良い映画さえやっていればお客さんは来る…という図式はもう成り立たない。映画だけを観たいんだったら、みんなDVDに行っちゃいますよ」また、全国で初めて高齢者福祉保養施設に指定された『アミューあつぎ 映画.comシネマ』では、身体が思うように動かないから…と、外出を諦めている身障者の方やお年寄りの方が映画館に来れるようにするため、自治会と厚木市が協力してマイクロバスを運行させたり、更に青山氏は一人暮らしのご老人宅をチラシを持って回り、様子を伺いがてら世間話をしているという。

3つある劇場のうち、常設館として使われているのが2スクリーン。もう1つは多目的ホールとなっている。取材時も地元のカラオケ大会が盛大に行われており、場内は満席となっていた。「ホールをフリースペースとして市民が集まって地域を良くするアイデアを発表する場にしているんです。手段は様々で、自分たちで映像を作って賛同者を集めたりとか、皆で知恵を出し合っていますよ。だからココは映画館の顔はしていますけど街のイノベーションセンターでもあるんです」目的は地域を盛り上げる事で、映画はあくまでも手段であり目的になってはいけないと青山氏は強調する。また、多目的ホールは若い映像クリエイターたちが作品を発表出来る場としても提供されている。「ココから次の映画監督を育てる取り組みをやりたいと思っています。ただ観ておしまい…ではなく、そのためには厳しい目も必要なんです」時には、常連客にも声を掛けて一緒に映画を観てもらい批評をしてもらう事も。そこで厳しい意見を言われて落胆して帰る人も…それでも、また観て欲しい!と持ち込む根性のあるクリエイターも少なくない。


一周年を迎えて青山氏は「立ち上げるまでも大変だったけど、立ち上げた後の方がもっと大変でした」と振り返る。「オープンに向かって交渉していた時は、立ち上がれば何とかなるだろうと思っていたのですが…。実際、リアルにビジネスを動かす事の大変さを身にしみて体験しました。やらないと数字は動かないけど、動いた分だけ数字は上がる。地域の人たちは、ちゃんと私たちを見てくれていたんですね」言ってみれば余所から来た青山氏が、厚木で商売をする上で気づいたのは、厚木の街を愛し抜かないと、地元の人たちも映画館を愛してくれないという事。「それは最初の1〜2日で思いましたね。だから歩こうと…」そこまでやらなくても良いのでは?と、周囲から言われる事もあったという。「余所者は、ここまでやらなきゃ認めてもらえない。ですから日中は外出ばかりで映画館にいないんです。私のフィールドは映画館の中よりも外だと思うので」そうなのだ。当たり前以上の事をして初めて受け入れられる…どんな形でも自分でここまで…という線を引いてはダメなのだろう。だから、青山氏は挨拶に言っても挨拶だけでは終わらせず、必ず世間話でも良いから会話をしている。商店街の人たちが何十年も掛けて培ってきたものを短期間で受け入れてもらうには、並大抵の努力では認めてもらえないという事だ。「そりゃあ、必死でしたね」まだスタートラインに立ったばかりで終わりが無いという青山氏が最後に述べてくれた言葉が心に残った「でも夢だったんで、苦労も楽しいですね。色々障害はあっても乗り越えられないものはないんだな…と思いました」(取材:2015年3月)



【座席】 『スクリーン1』174席/『スクリーン2』58席
【音響】 『スクリーン1』DCP上映/『スクリーン2』ブルーレイ・DVD上映

【住所】神奈川県厚木市中町2-12-15アミューあつぎ9F 【電話】046-206-4541

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