大阪市西区にあるディープな下町という独特な風情が味わえる街―九条。駅前から直線に伸びるアーケード商店街は昔ながらの店が建ち並び、夕暮れ時になるとポツポツ…飲み屋のあかりが灯る。少し離れた場所には今でも遊郭が残っており、日が落ちるとその灯りに誘われて男たちが街をそぞろ歩きする。戦後の大阪が今も手つかずで残っているような場所に、関西のミニシアターをリードしてきた老舗映画館『シネ・ヌーヴォ』がある。商店街から横道にそれると間もなく見えてくる大きなバラをモチーフとした正に館名の通りアールヌーボー調の外観が目を引く。オープンは平成9年1月…まだ関西に数える程しかミニシアターが無かった時代だ。「東京では観る事が出来た作品も関西では上映すら出来ない。例え上映されたとしてもあっという間に終わってしまう…そんな環境だったのです」と語ってくれたのは代表を務める景山理氏だ。「この頃、シネコンが登場して、ヒットしない作品は打ち切られる…という体制が出来始めました。そうなると予算の少ない日本映画はハリウッド大作と同じ条件で上映されるとどんどんダメになっていくと感じたのです。だから今のうちに我々が観て欲しい映画を上映出来る場所を作らないと…と、考えたのが始まりです。つまり、自分たちで映画を上映していく砦のような場所を作りたかったのです」

当時、関西で発行されていた映画情報紙"映画新聞"の編集者だった景山氏は、有志と共に紙上で「一緒に映画館作りましょう」と一口10万円の出資を呼びかけたところ4000万円もの金額が集まった。それを元に株式会社ヌーヴォを立ち上げた景山氏は早速、映画館の場所探しを始める。そこで候補に上がったのは九条にある閉館された映画館"九条東洋劇場(その後ACT活動写真館に改名)"だった。「イチから作るとなると何億もの金がかかりますからね。早速、契約してここ九条に居を構える事にしました」

設計は関西を中心に活動して海外でも公演している劇団・維新派に依頼。水中の映画館というコンセプトで場内の天井を水面に見たて、リング状の鎖を垂らして水面に浮き上がる泡を表現するというアヴァンギャルドな空間を作り上げた。「最初はもっと派手だったんですけど、維新派の座長である松本雄吉氏が、"劇場の主人公はお客さんなのに、映画が始まっても画面に集中出来ない"という事で、正月も返上して描き直してくれたんですよ」天井を水面に見たて、下にいくほど暗くなっていくデザインを壁面に施し、休憩時間は非日常的な空間に身を置いている気分を味わえ、映画が始まると完璧な暗闇を作る事に徹しているおかげで、観客は映画に集中する事が出来るのだ。こうして市川準監督作品"東京夜曲"でオープンした『シネ・ヌーヴォ』は、大手メジャー系では上映される機会が無い国内外の優れた作品を中心としながら、過去の名作を集めた大回顧展と称した特集上映を二本柱として関西のミニシアターを常にリードし続けてきた。





「大回顧展に関しては、監督特集をする場合は可能な限り現存する作品を集めます。一昨年やった木下恵介監督特集では49本全作品をやることを目指しました。切り口によって映画の角度も違ってくるし、監督という括りでももっと色々な角度から作品を観ると違った一面が浮かんでくる。だからこそ、作品を集める事は徹底的にこだわりたいと思っています」毎年夏に開催される日本映画の大回顧展は、毎回20枚限定のフリーパス券(2万円)が完売してしまうほど根強い人気があるという。全作品に足を運ばれる方は当たり前、中には気にいった作品を2度3度と繰り返し観賞される強者も。ここは、入れ替えが無かった時代に何度も同じ作品を観て、頭に焼き付けていた映画ファンが大勢集まる場所なのだ。「ただ、コアなお客様は殆ど常連さんばかりで、逆に下の年代がいないんです。常連さんからも"新しいお客さんいないね"って、よく言われます(笑)。昔の名作を観たいと思ってくれる若い人が少ないのが残念ですね。だから気づいてくれるまで、根気良く細々と続けていこうと…」それでもロビーで、リアルタイムでその映画を観ていた年輩のお客様が、その映画を初めて観る若いお客様に当時のお話しをされている光景を見ると、映画の可能性を信じたくなってしまう。

平成18年8月、2階にあった事務所を改装してオープンした『シネ・ヌーヴォX』は、「未知なる映画との出会い」をコンセプトとして、もっと手軽に映画を楽しめるよう、学生たちが自主映画を発表出来る場となっている。まるで屋根裏の隠れ処のような客席30席ほどの小さなスペースは作り手と観客の距離を縮めるには適度なサイズ。場内は前列の椅子から脚を切って段差をつけた全て手作りである。「安く上げようと思ったら溶接代の方が高くついちゃった」と苦笑いをする景山氏だが、この気取らないプライベートシアターのような空間だからこそ本音で映画と向き合うことが出来るのだ。




「本当に観たいと思う映画を、いい環境の中で観る」これが『シネ・ヌーヴォ』の基本理念だ。年間300本近くの映画を上映して、原一男監督主宰の"CINEMA塾"や映画評論家・浅野潜氏による"日本映画を楽しむ会"といった多角的に映画に触れる場を提供し続けている。劇場のロビーには自由に閲覧できる書籍(勿論、映画新聞の号本も)が置かれ、壁一面にはもう書くスペースが無いほど来場された映画監督や関係者のサインで埋め尽くされている。それは、ここがただ映画を観るためだけの場所ではなく、コミュニケーションの場である証しだ。

「いつも同じ顔ぶれで仲良くなったお客様同士が、待ち時間にロビーで映画談義が始まるんですよ。映画館の良さは、そういったコミュニケーションも含めて、わざわざ足を運ぶ…という行為にあると思うんです」と語る支配人の山崎紀子さんもまた、アルバイトから支配人になったという映画の魅力に取り憑かれた一人だ。「特に大回顧展にいらっしゃるお客様は、1本だけを観る方は少なく、全作品を観てやろう(笑)という意気込みの方が多いようで、1ヶ月毎日いらっしゃるお客様とは学校みたいに"こんにちは"と挨拶から始まります」山崎さんが出勤する時は、既に開場前から並ばれているお客様にご挨拶して、終映して劇場を閉めるまで一緒…というのは日常茶飯事だ。気にいった作品を何回も観る方もいれば、近所に住んでいる主婦は家事がひと段落した夕方に訪れて1本だけ観て帰られたり…観賞スタイルも人それぞれ。「ウチのような下町にある映画館にわざわざ足を運んでくれる。ただそれだけでお客様には、ありがとうと感謝ですね」(取材:2013年8月)


【座席】 『シネ・ヌーヴォ』69席/『シネ・ヌーヴォX』30席 【音響】 『シネ・ヌーヴォ』SRD/『シネ・ヌーヴォX』DTS

【住所】大阪府大阪市西区九条1-20-24 【電話】06-6582-1416

  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street