通りを歩くと今でも昭和の香りがプンプンするディープな街、今池。ココは昼よりも夜の街と言った方が良いだろうか、夕暮れ時になるとポツンポツンと看板にあかりが灯され、閑散としていた路地が一転して味のある繁華街へと変貌する。今池には古くから名店と呼ばれる書店があり、この街に多くの文化人たちが集まっては明け方まで互いの映像論を交わしていた安酒場がいくつもあった。「ここは名古屋の下町ですから安く酒を飲める店がたくさんあったんです。ですからあちこちで上映会をやっても終わったら今池に行こうって話になる…そんな場所なんですよ。」と語ってくれたのは名古屋におけるミニシアターの最古参『名古屋シネマテーク』の支配人を務める平野勇治氏だ。まだ劇場が無かった時代、創業者の倉本徹氏が市内で自主上映を行っていた頃に観客だった平野氏がスタッフとして活動に参加。「それまではアチコチの貸しホールを借りて上映会をしていたのですが、せっかくゲストが来てトークイベントで盛り上がっても時間の制約があるから途中で終わらせなくてはならない…その辺りから自分たちの劇場が欲しいと思うようになってきたワケです。」

自主上映を行っていた昭和50年代は、まだミニシアターが少なく、映画館と言えば大手配給会社の映画を上映するチェーン館が主流だった時代だ。「その頃、ハンガリーやポーランドの映画が大使館経由で貸し出されるようになってきて、それまで日本で観る事が出来なかった国の映画を掛けられるのに上映できる常設の映画館が無かったのです。」そんな頃、このビルの地下にあった居酒屋の常連だった倉本氏が、現在のフロアが空いていると聞き、ビルのオーナーに掛け合ったところ、「オーナーも市内にいくつか映画館を経営していた方だったので(コチラのビルも元は“今池スター座”という映画館だったそうだ)すぐにご理解いただいて契約に至ったわけです。」


勿論、映画館が入ることを想定して建てられたビルではないため天井も低く、映画館としてはやや無理がある作りだったが「それでも当時は、自分たちの場所が持てた…という満足感の方が大きかったと思います」かくして、昭和57年6月『名古屋シネマテーク』は、ハンガリーアニメーションとハンガリー映画祭を掲げてオープンしたのだ。(その中の“ハンガリアン狂詩曲”は、後に大映が配給して公開されている)とにかくオープン当時のラインナップは実にユニーク。続くポーランド映画特集やダニエル・シュミットなどの監督特集など…それまで日本では観る事が出来なかった画期的なプログラムで名古屋におけるミニシアターブームの基礎を築いた。また、ドキュメンタリー映画にも力を入れており、オープンして間もなく土本典昭監督、小川紳助監督の特集上映を行っている。「しばらくは厳しい状況が続いて、それなのにドイツ映画大回顧展と銘打って1年掛かりで約160作本のドイツ映画を1本600円で特集上映したりして、これじゃいつまで経っても黒字にならないですよね(笑)」と当時を振り返る平野氏。加藤泰監督や前田陽一監督を招いてトークイベントを行うも時代が早過ぎたのか…入場者数が増えるまでに結びつかなかった。そんな『名古屋シネマテーク』に転機が訪れたのはオープンから2年後の昭和59年に上映された勅使河原宏監督作“アントニー・ガウディ”のヒット。折りしもミニシアターブームが到来し、日本の映画ファンは今まで観た事のない映像を求めて単館系という新しいジャンルに飛びついた時代だ。


「興行的には大変な時代でしたが、初期のスタッフなんか企画を組む面白さがあったと思いますよ。」最近は上映待ちの新作が多く、昔のように特集を組める余地が少なくなっているそうだ。そんな中、今でも変わらずに続けているのが、昨年で25年目を迎えた若手クリエイターの発表の場“自主製作映画フェスティバル”という上映会。昼の部では招待作品の上映を行い、夜の部ではエントリー作品を全て上映するというものだ。「特集上映などの自主企画は減ってきましたけど、これだけはオリジナルの企画として続けて行こうと思っています。」

『名古屋シネマテーク』のある今池スタービルは、昭和のまま時間がストップしたかのような雑居ビルだ。年期の入ったコンクリートの階段を上がっていくとビルに染み込んだカビ臭さに、これから観る映画への期待が自然と高まっていく。そして蛍光灯に照らされた廊下の壁一面にはところ狭しと映画の告知物やチラシ、ポスターが貼られており、シネフィルにはこの雑然とした雰囲気がたまらない魅力的な空間が広がる。床に目を落とすと「映画ココカラナランデオマチクダサイ」というテープで記された案内表示。矢印の先には、およそ映画館とは思えない小さなスチール製のドアがひとつ。ドアを開けると正面に受付、その奥に休憩スペースがある。場内はフラットなフロアに段差を設けて小じんまりとしていながらも腰を据えて映画に向き合える雰囲気を醸し出している。コチラでは鑑賞会員制度を設けており会員は割引価格で映画を観れる他、何より映画ファンにとって嬉しいのは、隣接する映画図書館に所蔵されている6000冊もの映画に関する書籍や雑誌が無料で借りられること。会員でなくても自由に閲覧が可能(ただし貸出は有料)で、棚びっしりに陳列された書籍を眺めているだけであっという間に時間が過ぎてしまう。




平野氏にとって映画館で映画を観る魅力について尋ねると「映画館に行く時、何が一番楽しいか…って考えると、ひょっとしたら行きと帰りなのでは?という結論に辿り着いたのです。今、観たばかりの映画を大切に家まで持ち帰る時間って幸せですよね。そんな時間を満喫したいから皆さんはわざわざ映画館に足を運ぶのだと思います。」その一方で、監督が来場してトークイベントを開催すると、必ずロビーで監督を囲んで閉館ギリギリまで話をされる熱心なシネフィルもいる。「映画について語り合える場が少なくなってきたのでしょうか…そうした場を提供するのも映画館の役目であり、だからこそ映画館という存在があまり前面に出ない方が良いと思うのです。」そして最後に付け加えた平野氏独自の映画館論が強く印象に残った。「我々は、映画とお客様を繋ぐ透明人間のようなものかも知れません。なるべく、そうありたいと思っているのですが、つい出しゃばってる時もあります(笑)。」こうして今日も『名古屋シネマテーク』には夜遅くまで映画の明りが灯り続けている。(取材:2012年9月)

【座席】 40席 【音響】 DS

【住所】愛知県名古屋市千種区今池1-6-13今池スタービル2F 【電話】052-733-3959

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