北海道東部に位置して国内で3番目に広い面積を有する十勝平野は平地の半分が酪農地だ。その中央に位置する帯広市は農産物の集積地となっており、食糧自給率1000%以上という信じられない数字を叩き出している。多くの飲食店が軒を連ねるグルメタウンでもある帯広と言えばやはり豚丼だが、高速バスで十勝方面へ向かう途中、荷台にたくさんの豚を積んだトラックとすれ違った。十勝は酪農王国なのだな…と改めて感じた。帯広を舞台に酪農や食を題材とした映画もたくさん作られている。近年では、帯広市政施行90年記念で制作された食を栄養や健康という側面だけに留めず、文化・芸術にまで高めようとする料理人や生産者の立場で描いた帯広ガストロノミー≠ェ記憶に新しい。他にも酪農に従事する家庭が多い帯広ならではの、家業を継ぐ子供たちが学ぶ農業学校を舞台にした映画も作られている。中島健人演じる進学校から転入してきた主人公が酪農学習を通じて命と食の大切さを学ぶ銀の匙 Silver Spoon≠セ。単なるアイドル系の青春ドラマではなくちゃんと屠殺の現場にも向き合っているのがイイ。劇中、乗馬クラブに入った主人公が提案して、学校祭で他校と「ばんえい競馬」を開催する。この「ばんえい競馬」は北海道の文化遺産で、開拓時代に1000キロ近くあるソリを曳く農耕馬を使った競技をルーツとする。このレースを見ることが出来るのは世界で「帯広競馬場」一箇所だけ。オール帯広ロケで競争馬の世話をする調教師や騎手の姿を描いた帯広出身の作家・鳴海章の原作を映画化した根岸吉太郎監督の雪に願うこと≠ニいう名作も生まれている。

そんな帯広市の中心部に、道内でアミューズメント事業やリゾート・社会福祉事業などを幅広く手掛ける太陽グループが運営するシネマコンプレックス『シネマ太陽帯広』がある。オープンは平成15年11月5日。「忘れもしません。混乱の幕開けでした」と切り出したのはチーフの廣瀬徳郎氏だ。コアなシネフィルならばこの日付で気付かれると思うがマトリックス レボリューションズ≠ェ世界同時公開された日だ。オープニングメンバーだった廣瀬氏は「夜11時からの上映に人が来るのかな?って思っていたのですが…開場前から300人以上の列が出来てビックリしました」と続ける。地域の人たちが楽しめる施設を作りたいと帯広市長から相談を受けて、駅前に映画館設立の計画を進めたのが『シネマ太陽帯広』の始まりだった。オープン前には先に設立していた『シネマ太陽函館』で1ヵ月の研修を行ったものの「いざ本番となると、やっぱりマトリックス≠フ社会現象もあり、十勝の人たちは新しいもの好きの人が多いので(笑)想定以上の来場者にバタバタしてしまいました。この時は2つのスクリーンを開けたのですが、それでもキャパオーバーだったと記憶しています」当時はまだフィルム上映の時代で現在のように全スクリーンで上映することは難しかったのだ。殆どのスタッフが映画館に勤めること自体が初めてだったため観客にとってもスタッフにとっても印象深いスタートとなった。


帯広出身の廣瀬氏は幼少期に東映の直営館『帯広東映』で観た東映まんが祭り≠ネどのアニメが初めての映画館体験だった。「最初は映画館より作品から入っていましたがゴジラVSキングギドラ≠お年玉で観に行ったのをキッカケに、映画館の良さに目覚めたと思います」その頃から洋画にも興味を持ち始めニューシネマ・パラダイス≠ナ映写機の存在を知った。「高校生の時に映写技師の募集が出ていないか?と、当時市内にあった『帯広キネマ館』に直接問い合わせたこともあるんです」その時は断られたものの後日そこの映写技師にお話を聞きに行ったという。映画が好きだった廣瀬氏は諦め切れず「出来るだけ映画の近くで働きたい」とレンタルビデオ店で働き始めたが、やがて転期が訪れた。地元のローカル紙「十勝毎日新聞」に『シネマ太陽帯広』のスタッフ募集広告が大きく出ていたのだ。「それを見て今しかない!≠ニ応募しました」念願叶ってアルバイトから始めた映画館人生も今では映写室を任されている。

「私は映画館で入場料を支払うのは、作品に対してだけではなく、映画館で過ごす時間にも払っていると思っています」という廣瀬氏の言葉に強く共感してしまった。最近は映画料金の値上がりだけが取り沙汰されているが、席に付いてから場内が暗くなって本編が始まるまでのワクワク感。いや…もっと言えばロビーに足を踏み入れた時に漂うポップコーンの香りやザワザワした雰囲気など、家では決して味わえない空気感まで引っ括めて料金を払っていると思えば納得出来るではないか。「映画館によって個性や顔って違うじゃないですか?それがすごく楽しいので時間ギリギリに行くなんて勿体無い。勿論、映画が映画館の1番の商品ですが、そこで働くスタッフの心配りや接客の質もすごく大切だと思うのです」そんな廣瀬氏が信条としているのは海外のコメディドラマフレンズ≠ノ出てくる「自分のためにならない他人のためはない」というセリフだ。「良いことをすれば相手も喜び、それによって自分も心が気持ちよくなる。その気持ちで人に接すれば世の中優しくなると思うのです」

昨年末には対面だったチケット窓口とコンセッションを自動券売機とセルフレジに思い切って一斉切替えを行なった。それは前年に公開された鬼滅の刃 無限城編 第一章猗窩座再来≠ナ、コンセッションカウンターに長い列が出来てしまい上映開始に間に合わないという事態が連日起きたからだ。「さすがにこのままでは進行に無理があると判断して、現在は、セルフレジを4台(内2台はキャッシュレス専用)導入しました」セルフレジで注文するとバックヤードと連動して商品が出来上がるという仕組み。用意ができるとカウンター上のモニターに番号が表示されるというファストフードと同様のシステムを採用している。若いお客様はすぐに順応してもらえたが、年配の方には説明が必要だった。最初は戸惑われていたがスタッフが付いて丁寧な説明をすることで、やがて感謝の言葉に変わっていったそうだ。

現在、映写の責任を担う廣瀬氏にとって重要なことは上映トラブルを出さないこと。ビルの最上階にある映写室に入ると、最初に飛び込んできたのが棚に掛けられた「映写無事故1414日目(取材当日)」というプレート。ここに記載されている数字は日々更新されるもので、人的ミスによる映写トラブルを起こしていない継続日数だ。「ちょうど私が入った当時はフィルムからデジタルに替わる過渡期でした。結局フィルムに触れたのは5年くらいでしたが当時のベテラン映写技師さんからよく怒られましたよ」上映の間の休憩時間10分で次のフィルムを掛けなくてはならないので、時間が掛かると「遅い!」と言われたそうだ。「でも最後の方では7分くらいで次のフィルムを掛られるようになっていましたよ」当時は全自動映写機だったため、新作のフィルムが到着すると廣瀬氏は階段で映写室まで運びフィルムを繋げる作業を繰り返していた。「デジタルになって楽にはなりましたけど、今でもフィルム独特の質感が懐かしいな…と思うこともあります」時にはデジタルは予期せぬトラブルが起こることもある。「デジタルだと内部でフリーズするとどうにもならないので、必ず試写をフルで回して確認をしています」


思えば、私たちが知っている映写の仕事は、フィルムからデジタルになったことで作業が簡潔化されたという程度の知識しか無い。今回の取材で、綿密なプログラムが必要であることを教えてもらった。「確かにデジタルですから時間がくれば映画が流れるのですが、そのためには事前にプレイリストを組込まなくてはなりません」そのプレイリストというのは、場内が暗くなるタイミングや場内の広さによって異なる音の最適化(調整が終わったら他のシアターを回って確認している)、そして本編前の10分から15分の間に流れる広告や予告編の順番などの指令を組み込んでおかなくてはならないのだ。こうした観客からは見えないところで行われているプロの作業(映写室に掲げられている映写無事故の日数はその成果の表れだ)によって、観客は最高の環境で映画を観ることが出来るのだから、現代の映写技師は映画館のマエストロと言っても良いだろう。また予告編は映画館にとって次回の集客に繋げるための大切な営業ツールでもある。そんな予告編を楽しみにしている人も少なくない。そこで廣瀬氏は予告編で何か出来ることはないかを考えた。本来、予告編は本編のイメージに近いジャンルの作品を流すのが定石となっているが、チャレンジとして違うジャンルの作品を入れたらどうか…というものだ。「例えばアニメ好きのティーン層にも興味を持ってもらうためにエイリアン:ロムルス≠フ予告編を入れてみる……というチャレンジ(小さいお子さんが怖がる予告編は付けないルールを徹底)しているんです。映写の担当者みんなで、作品の客層を念頭に置きつつ候補を出し合って検討するので、この作業は映画好きには楽しいですよ」それまで興味が無かったお客様に、毛色の違う予告編を観てもらうことで世界観が広がるのであれば、こうしたチャレンジは有効かも知れない。

現在の帯広は数年前から長年続いた百貨店の閉店が続き、駅前にはバスやJRを利用する学生たちが放課後に友達と立ち寄れる場所が減ってしまった。「最近では映画を観ないけれどロビーに集まっておしゃべりしている学生さんが増えたと思います」確かにロビーでおしゃべりをしながらコンセッションでチュリトスやドリンクを購入する制服姿の若者を取材時にも見受けられた。「ロビーのチラシを手に取ってくれたりするのでそこから映画に興味を持ってくれたら嬉しいですね」廣瀬氏は地元のコミュニティFMや十勝毎日新聞の電子版で新作映画の情報を発信されているが、若い人に向けてSNSを活用することも考えなくてはならないと述べる。「全世代のお客様に来ていただくには、もっとバリエーション豊富な作品を掛けなくてはならない。どうしても最近は映画業界もアニメに偏ってしまい、その結果、現在のスクリーン数では洋画を上手く回すことが出来なくなっています」洋画が少なくなってしまうとお客様からも「どうしてあの作品をやらないのか」と指摘を受けることもたびたびあるという。「年配のお客様は洋画がお好きな方が多く、僕自身も洋画が大好きなので、作品選定に入れられないと…これはウチで観られないのかって残念に思ったりすることは多々ありますよ」


設立から20年以上も経つ『シネマ太陽帯広』は駅前にある利便性も手伝って比較的幅広い年代層が来られているため、ヒットした作品は多岐にわたる。廣瀬氏が印象に残ったヒット作品と言えば、深海誠監督の君の名は。≠セった。「それまでは、アニメって若者や子供しか観ないイメージでしたが、年配の方も多く来ていたんです。中には昔の岸恵子主演の実写リメイクと思って来られて、何だアニメじゃないか…と帰られた方もいらっしゃいましたが(笑)」それでもせっかく来たのだからと鑑賞された方は、素晴らしい映像美に満足されていたという。また、前述の帯広を舞台とした銀の匙 Silver Spoon≠ノは、ファミリーから年配層まで多くの地元の人たちが来場した。「帯広の人たちは地元愛が強いので、全国的にはふるわなかった作品でしたが、ウチでは大ヒットを記録したんです」同じ時期にディズニーのアナと雪の女王≠ェ公開されていたにも関わらず、どちらも満席状態でロビーは多くの人でごった返していたという。「撮影の時にはエキストラで出ていた人も多く、学校で撮影されたシーンでは子供たちも出演しているので家族揃って観に来ていました」

コロナ禍では来場者がゼロの回や公開延期の作品が続き、旧作を上映するもテコ入れにはならず1ヵ月の休館も余儀なくされた。「閑古鳥ってこういうことなのだと実感しました」と当時を振り返る。全ての世代が外出することを警戒していたため映画館だけではなく街全体が静まり返っていた。そんな状況下で起爆剤となったのが、言うまでもない劇場版 鬼滅の刃 無限列車編≠セった。久しぶりに戻った観客の姿にロビーに立ちながら感慨深いものを感じていたという。最近は街にも段々と開店するお店が増えており、スクラップ・アンド・ビルドに着手するのが早かった帯広は、再開発に向けて進んでいる。『シネマ太陽帯広』は十勝全体の人口32万人という商圏をカバーしているため「それを考えると欲を言えばもう少しスクリーンがあると良いのですが…」と言う廣瀬氏は「お客様に映画を観る心地良い時間と空間を提供する」をコンセプトに、限られた状況で楽しんでもらえるよう常に試行錯誤を繰り返している。「それでもサブスクで家で映画を見るのが当たり前になっている時代に足を運んでくれるお客様には感謝したいです」(2026年5月取材)

【座席】『スクリーン1』236席/『スクリーン2・5』96席
    
『スクリーン3』84席/『スクリーン4』104席
【音響】 デジタル7.1ch


【住所】北海道帯広市西3条南11丁目 帯広太陽ビル7階 【電話】050-6893-6870

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