「ちょうど外に出たところで揺れを感じ、慌てて劇場の階段を駆け上がった時に本震が来て、歩く事すら出来なかったです。その時、初めて生命の危機を感じましたね」と震災当日の様子を語ってくれたのは福島県いわき市にあるシネマコンプレックス『ポレポレいわき』のシアターマネージャー沼田哲也氏。およそ6分間に渡る震度6弱の揺れは階段の壁面を剥がし、展示されてた年代物の映写機はガラスを突き破った。当時、映画館内にいた50人の観客をスタッフ総出で向かいの駐車場まで誘導したというが…「ただ、周辺一帯が停電してましたから、誰一人状況が分からず坊然としているとウチの社長が車を持って来てカーラジオで初めてとんでもない事になっていると知ったのです」


劇場から毛布やストーブを運び出して、一晩を明かす覚悟までされていたという沼田氏。その後、機能し始めた避難所に移動。「ひと段落して、劇場から作り置きしていたポップコーンを避難所に持って行き、皆で分け合って食べてもらったんですよ」水道も出るようになり、人々も落ち着きも見せ始めた3月29日に劇場は再開。「4スクリーンのみという不完全なカタチでの再開でしたが、取り合えずホッとしました」それまで報道で映し出される街の映像は、どれもゴーストタウンみたいなものばかりで、映画館が開いているというニュースは街に元気を取り戻す明るい話題となった。「何人ものお客様から“頑張ってくださいね”というお電話をいただいたのが嬉しかったですね」と顔を綻ばせる沼田氏。再開初日は千葉県から送られてきた救援物資のチョコレートやクッキーをお客様に無料配布、思わぬプレゼントに来場者は久しぶりに楽しいひと時を過ごした。あちこちで混乱が収まらない中での再開だけに順調な滑り出しとは言えず、映画のフィルムがいつ届くか分からないため何度も郵便局まで沼田氏自ら足を運んだという。しかし、ようやく劇場も軌道に乗り始めた4月11日に起きた震度6弱の余震で再び休館を余儀なくされる。あと少しで映写機の調整が終わるというところで発生した2回目の余震によってスクリーン7の映写室に大きなダメージを与えた。「さすがに、その時は心が折れかけましたね」と沼田氏は当時を振り返る。「当日、映画を観る事が出来なかった当日券をお持ちのお客様は後日、別の作品をご覧頂けるとお伝えしましたが、最近になってチケットを持って来場されるお客様が見えるようになりました。その中に、地震が起こる数分前に発券したチケットがありまして、その日の事を忘れないように事務所の机の上に保管しています」

『ポレポレいわき』の歴史は古く創設は戦前にまで遡る。前身はいわき駅前(当時の平駅)にあった大映専門館“世界館”だが、終戦前に強制疎開で取り壊され、終戦後の昭和21年11月に再建された。それまで平地区には“聚楽館”と“平館”の2館しか映画館がなかったため戦後の娯楽に飢えていた人々が集中、創始者である鈴木寅次郎氏は劇場の建設を急ぐが、戦後の物資不足により建築資材の調達は困難を極め、東京のヤミ市で材料をかき集めたいう。オープンした“世界館”には多くの市民が押し寄せ、入場料のお札をトランクに詰めては銀行に運び出したという豪快な逸話が残っている。現在、代表を務める鈴木修典氏の父上・鈴木喬ニ氏(現会長)が大映の系列会社である大映興行に入社後、“世界館”の運営に携わったのは昭和34年、市内には40館近くの映画館が軒を連ねていた日本映画全盛の頃だ。昭和38年、駅前にあった松竹の専門館“平館”がパチンコ屋になったため“世界館”では、大映作品と共に松竹作品の上映も行うようになる。時を同じくして駅前にあった“ニュース館”も松竹の二番館として“名画座”という館名で喬ニ氏が経営を任された。昭和40年代に入ると当時流行していたピンク映画を“名画座”で上映するようになり、テレビの普及に伴い大衆の娯楽が移り変わってきた様子をうかがい知る事が出来る。










昭和44年8月、平駅前の区画整理事業に伴い、戦後から親しまれ続けた“世界館”が取り壊され、現在の場所に4階建ての世界館ビルを設立。“世界館”は“平大映”と館名を改め、“アポロ座”、“平東宝”といった3つの映画館が入り、ビルの正面入口に一本化された入場券売り場を設置する画期的な作りだった。1階がパチンコ屋、他のフロアには喫茶店や雀荘などが入った総合娯楽施設として活気を呈する。ほどなく昭和46年、大映が倒産して“平大映”は、松竹作品と日活ロマンポルノの上映を行うが、その後松竹は“アポロ座”に移り、事実上“平大映”は日活のピンク映画専門館となる。昭和48年、近所にあった“聚楽館”が火事で焼失したため、地下に“聚楽館”をオープン。それを契機に“平大映”は“平ロマン”と改名された。また、新たに5階を新設し、独立した24席のアームチェアが特長的な松竹の名作を上映する小劇場として“名画座”がオープン。福島県内屈指の映画館ビルとなる。その後、世界館は映画館事業から撤退。郡山市内に“郡山テアトル”を持つ企業が劇場運営を引き継ぎ“平テアトル”という館名として再スタートを切るが、平成20年11月に世界館が劇場経営を再開。翌年3月には、唯一別経営で残っていた“平東宝”の経営も引き継いで5スクリーン体制のシネマコンプレックスとしてリニューアルする。


沼田氏曰く「アナログなシネコン」というコチラの劇場は、座席も全席自由の入替制(立見もある)の懐かしいスタイル。1階コンセッションの横にオープンスペースを設け、ゆっくりと待ち時間を過ごせるのが嬉しい。そこでは自由に閲覧できる昔のパンフレットや年代物の映写機や音響装置が展示しており、まるで小さな映画博物館だ。駅前という立地の良さから客層としてはファミリーや中高生が多く、休日には学生がグループで訪れる姿が見受けられる。「だからでしょうか、アート系の作品よりもデートムービーとかアクションエンタメ系の作品に人気が集中しています」郊外型のシネコンと違い公共の交通機関から歩いて来場できるため車を運転しない若年層や年配層に支持されている。更にプログラムの充実を目指し、昨年夏に4階にあったギャラリーとライブハウスを改装し、現在の7スクリーン体制となった。「その時に館名も一新してスタートしよう…という事で、一般の方からも公募して『ポレポレいわき』という館名になったわけです」



未だ原発という問題は山積されているものの復興へ歩き始めているいわき市。「まず、地震前の状況に戻す事が課題ですね。そこから市民の皆さんとチカラを合わせて街を盛り上げる上映イベントが出来たら…と思っています」昨年、劇場独自で企画・開催された“ポレポレ映画祭”には大勢の観客が来場されたというが、落ち着いたら復活させたいと沼田氏は語る。また、いわき市と言えば“フラガール”のロケ地。公開時、監督と共に舞台挨拶に参加された現役のダンサーたちは現在休業を余儀なくされ、復興の支援をお願いするために全国巡業を行っているという。取材当日、大勢の女子高校生たちが来場し、楽しそうにパンフレットを眺めていた。そして、コンセッションスタンドでは家族連れのお父さんが子供と一緒にメニューパネルを見ながらポップコーンとドリンクを購入している…そんな映画館で当たり前のように見られていた光景がどんなに素晴らしい事か、今回の震災で初めて実感させられた。(2011年4月取材)




【座席】 『スクリーン1』190席/『『スクリーン2』100席/『スクリーン3』163席
     『スクリーン4』49席(+子供用15席)/『スクリーン5』49席/『スクリーン6』60席/『スクリーン7』30席
【音響】 SRD

【住所】福島県いわき市平字白銀町1-15世界館ビル 【電話】0246-22-3394


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