JR京浜東北線で品川駅から2駅目にある大森駅は、都心から程よい距離に位置する便利で住みやすい街だ。東口には大規模な集合住宅が建ち並び、駅前のロータリーには商業施設と昔ながらの飲食エリアが広がる。高度経済成長期の大森は京浜工業地帯の玄関口であり、湾岸地域には大小数多くの工場があった。自然と周辺には、工場で働く工員たちの娯楽の場として大井競馬場や平和島競艇場も出来た。駅前に庶民的な酒場が多いのもその名残だ。昭和40年代後半に工場が地方へ移転すると、その跡地に緑地公園や水族館など家族で楽しめる施設が出来たことから、多くのファミリー層が移り住み、現在のような様々な表情を持つ街が形成された。

そんな大森駅前の商業施設・西友大森店5階にセゾングループが運営する映画館として、3つのスクリーンを有する『キネカ大森』がオープンしたのは1984年3月30日。日本にまだシネマコンプレックスというシステムが存在していなかった時代…商業施設内に併設され、共通のチケットボックスとロビーを持つスタイルは、正に日本におけるシネコンの先駆けとなった。更にショッピングに訪れた女性客を意識した番組編成も注目を集め、ココでお洒落なヨーロッパ映画を観た後は、同じフロアのレストランで食事を楽しむ…という「映画+α」の新しい観賞方法を提案したミニシアターでもある。3スクリーンの強みを活かして、ロードショウ作品や子供向けアニメを上映しつつ、その内の1スクリーンではここでしか観られない良質な作品を上映するという上映形態もいち早く定着していた。まだミニシアターという呼び名も無かった時代において、キネカ・マガジンという劇場オリジナルのパンフレットを発行していた事もファンの間で話題になった。


更に新作公開に合わせて、名画座としての機能をフル活用する特集のラインナップには目の肥えたシネフィルにも定評がある。「特集では徹底して、監督が学生時代に自主制作した作品にまで遡ります。作品によっては監督から直接お借りしたり…配給会社さんも違いますから、それを全てクリアするため半年前から準備を始めます。そういう事が可能なのもフィルム上映が出来るからです」“愛がなんだ”の公開に合わせて開催された今泉力哉監督特集では、ENBUゼミナール時代の短編まで21作品を完全コンプリートした。「発表前からキネカならやってくれると思ってた!というお言葉をお客様からいただいて(笑)苦労した甲斐がありましたね」時には企画に上がる前から、お客様に熱烈なラブコールをされることもあるという。

映画祭的なノリのこだわりイベント上映が多いのも特長のひとつ。国内外の新旧20作品以上のホラー映画が集結する“夏のホラー秘宝まつり”は、夏の風物詩として人気の企画だ。記憶に残るのは“ウルトラムービー大決戦 私のウルトラマン”と銘打った新旧ウルトラマン映画の特集上映である。監督と脚本家によるトークショーやサイン会も開催され、大人から子供まで幅広いお客様が訪れた。また近年は、インド映画の聖地と言われるほどマサラ上映に盛り上がりを見せている。場内での大声やクラッカー、紙吹雪が使えるので(勿論、後片付けは忘れずに)遠方から訪れるファンも多い。昨年話題の“バーフバリ”は二部作と完全版を合わせると一年に亘って上映されていた。他にも映画館で婚活が出来ちゃうイベント「シネマDE出逢え場」では映画館が出逢いを後押し。映画を観賞した後は、スイーツバイキングやゲームなどの交流タイムで見事カップルになった人たちも多い。

上映作品の傾向に変化が現れたのは、1993年に運営が東京テアトルに引き継がれてから。1998年にはアジア映画専門のミニシアターとしてファンの間では「アジア映画を観たいならまず『キネカ大森』に行くべき!」と言われるまでになった。とにかくラインナップは、マニアックなシネフィルを唸らせるほど。社会派からB級、C級…果てはキワモノに至るまで、何でも揃えるごった煮感覚のセレクトが大きな魅力だった。そこから更に『キネカ大森』は進化を遂げる。2010年12月に大々的に打ち出した「名画座宣言!」で、懐かしい名画座ならではの二本立ての上映スタイルを復活させたのだ。年輩や映画ファンには懐かしく若い人には新しい名画座は、たちまち話題となり、今やすっかり『キネカ大森』の定番となった。

「実は2008年から二本立ての名画座上映は行っていたのです。最初は不定期だったのですが、お客様からの反響が良かったため、定期のプログラムに組み込みました」と語ってくれたのは支配人を務める横田ます美さん。二本立ての組み合せは編成担当がチョイスしているが、お客様からいただいたリクエストも参考にされている。中にはDVD未発売や廃盤となったお宝作品も多く、橋口亮輔監督の“二十才の微熱”と“渚のシンドバッド”や、戦後70年特集の“日本のいちばん長い日”と“ゆきゆきて、神軍”を組み合わせるセンスには毎回感服させられる。また昨年フィルム上映された“ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌”と“クレヨンしんちゃん”の二本立てには、子供から大人まで幅広い年齢層のお客様が来場。名画座宣言から8年…ミニシアター系の二番館、そしてファミリー向けロードショウ作品を三本柱としている現在、着実に固定ファンが増えている。



今年の3月に35周年を迎えたばかりの『キネカ大森』。昨年、一足早くロビーの全面リニューアルを行った。「常連さんからはこのままが良いと言っていただけたのですが、やはり初めてのお客様は、他所のシネコンと比べると古い印象を持たれると思うので、今回思い切って変えました」エントランスはカウンターを取り払ってカフェスペースに大変身。デザインを手掛けたのは、東京テアトルのリノベーション部門リノまま(系列の劇場で流れているCMでご記憶の方も多いと思う)で、まるでリビングにいるような心地良い空間となった。このカフェスペースは外からの持ち込みもOKで、映画を観ない方の利用も大歓迎という。売店もガラリと変わって軽食が充実。二本立てを観る方には小腹が空いても休憩時間に購入出来ると好評だ。「これからは映画ファンの憩いの場となれる映画館を目指したい」と横田さんは言う。「映画を観て帰るのではなく、カフェにちょっと寄り道してもらいたいです。いずれは映画ファン同士が繋がるコミュニティみたいな…映画観賞にプラス何かをやりたいですね」その一貫として始めたのが、カフェの一角に儲けた「まちライブラリー」という、皆でお勧めの本を持ち寄った小さな図書スペースだ。カフェ内だったら誰でも自由に読めて、TCGメンバーならば貸し出しもOK(その代わり借りた人は必ず感想を貸し出しカードに書くのが礼儀)。こうして本を薦めた人から次々に交流が繋がって行くというわけだ。

『キネカ大森』が醸し出す不思議な魅力というのはどこから来るのだろうか?他の映画館ではやらない隙間に埋もれた映画を見つけて…実はそれがファンが求めていたものだったりする。一度火が点くと観客がドッと押し寄せるのもそれが理由だ。急激に路線変更をするのではなく、マニアックな作品と分かりやすい作品を緩急自在に取り入れて、時代の流れに合わせて緩やかに変化し続けて来た。だからこそ多様性のある映画館として多くの人たちに親しまれているのだ。「無節操に色んな映画をやっている(笑)それが『キネカ大森』のカラーなんです。ココに来れば何か興味のある作品をやっているという映画館を目指しています」過去には、子供向けアニメをやっている隣のスクリーンでピンク映画のフェスをやったことも。「季節や時間帯でガラリと変わるお客様の顔ぶれにスタッフも楽しんでいるんですよ」

そんな映画館の雰囲気が好きだから…と無償でもぎりを買って出ているのが、大森在住の俳優片桐はいりさん。常連さんは顔馴染みだが、初めての人は殆どが二度見して驚かれるそうだ。昨年からは本編前に片桐さん主演のオリジナルショートムービー“もぎりさん”(全6話を大森在住の大九明子監督と菊地健雄監督が手掛ける)が上映されているのも話題になっている。横田さんもそんな映画館の魅力に取り憑かれてこの世界に飛び込んだ一人。「8年前に今は亡き銀座テアトルシネマにアルバイトで入って、そのまま社員にさせてもらいました。ココには映画館を愛してくれるお客様がたくさんいらっしゃいます。今はスマホでも映画が見れる時代ですけど、やはり映画館の雰囲気が好きです。シネコンのような設備はありませんけど、ココでしか観られない映画やイベントを続けて、コンテンツとしてではない映画の価値を創出していきたいと考えています」(取材:2019年3月)


【座席】『キネカ1』134席/『キネカ2』68席/『キネカ3』39席
【音響】『キネカ1』SR・DS
/『キネカ2・3』DS

【住所】東京都品川区南大井6-27-25 西友大森店5階 【電話】03-3762-6000 

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