日本三名園のひとつに数えられている水戸・偕楽園から車で10分ほど、本行寺の参道に面した場所に成人映画館『銀星映画劇場』がある。設立は戦後間もない昭和26年11月。現在、代表を務める吉村賢治郎氏の父上が姉のご主人より買い取った映画館だ。設立当時は洋画専門館だったため“シルバースター劇場”という館名だったが昭和30年代に入り日本映画が全盛を極めると邦画専門館となり、現在の劇場名に改めた。元々は防空壕として掘られた場所に映画館を建てたと言われるだけあって、急勾配の段差がついたスタジアム形式の場内は実に観やすい。「私が物心ついた時には日活、東映、大映、松竹、東宝作品を全てかけていまして…子供心にお客さんがたくさん入って賑やかだったのを覚えています。


もっとも子供でしたからゴジラとか大映の妖怪シリーズは喜んで観ていましたが、あまり石原裕次郎とか駅前シリーズには興味が無かったですね(笑)」当時は邦画の二番三番館として3本立て一週間切替興行を行っていたにも関わらず連日、満席状態だった。昭和30年代の『水戸銀星映画劇場』は、劇場の裏手にあった数百台は止められる駐輪場には近隣から来場される人々の自転車で常に満車状態。勿論、場内も連日ぎゅうぎゅう詰めの立見で、子供だった吉村氏は足を踏み入れる事すら出来なかったという。また、隣接していた中華料理店と喫茶店(現在は事務所と住居になっている)から場内に出前が出来て、客席で裕次郎の映画を観ながらコーヒーを飲んだり、任侠映画を観ながらラーメンをすする…といったユニークな光景が見られたそうだ。「今みたいにコンビニが無い時代でしたから、お客様からは重宝がられたみたいですよ」

成人映画となったのは昭和46年頃で日活ロマンポルノと東映ピンク映画を上映していた。「当時、中学生だった私に父が、成人映画をやることになるけどイイか?と聞かれまして、特に恥ずかしい事も無かったのでイイよ…と、答えましたが校舎からウチの映画館が見えるのがたまに気になりましたね(笑)。当時、ロマンポルノの女優さんで田中マリという方がいたのですが、学校に同じ名前の女の子がからかわれていたのを自分の事のように申し訳なく思ったものです」




学生時代入れなかったが大学生時代に公開された関根恵子主演の『ラブレター』がヒットしたという記憶が吉村氏の成人映画の思い出だ。「父が成人映画館にする決断をしたのは、日本映画が衰退したというのもあるのでしょうが、配給会社から次第に新作が提供されなくなった…というのも理由のひとつにあると思います。水戸市内にあった直営館を守るためにも数週間で安く映画を掛けるウチみたいな個人の二番三番館に映画を降ろさなくなったんでしょうね」

現在はOP映画、新日本映像、新東宝の旧作三本立を平日と日曜日は朝10時から夜9時まで、土曜日は朝4時までのオールナイト興行を行っている。それでも一日平均して30〜40人というお客様は年輩の常連さんがほとんど。「少ないスタッフで回しているからオールナイト明けは昔みたいに体がもたない…」と吉村氏は苦笑する。今回の消費税アップにも料金は変わらず日曜から金曜日の19時10分から1100円、20時10分から700円と割引になる。「それ以上は取れないよ」と吉村氏は笑う。常連客の中には女装家やゲイの方も多く、ほとんど毎日のように来場される方や、朝から夕方まで長居される方も少なくない。映画館を出会いの場として利用されているのだが、映画館に入らずお目当ての人が来るのを路駐した車の中で待っているマナーの悪い人には強く注意している。中には迷惑行為が過ぎるため出入り禁止にしたお客様も。「場内でもめ事を起こす人がいて…一度は誓約書を書かせたのですが、それでもダメで出入り禁止にしました」


『銀星映画劇場』では、今もフィルム上映を続けている。「これまで大蔵映画さんが頑張ってくれてましたけど、とうとうプリント供給が終了されたので、今ではフィルムが残っている昔の作品を再映で続けています。プロジェクターに設備投資するほど採算が取れないのでフィルムが無くなったら、いよいよ閉館するしかないですね」これも時代の流れ…と語る吉村氏。あまりに古過ぎてポスターが無いまま上映するなどの弊害も出ている。吉村氏がプロジェクターへの切り替えに難色を示しているのは、フィルムの色との違いもある。元々500席あった座席数を370席に減らして座席に余裕をもたせた場内は成人映画館の中でも大劇場クラス。大きなスクリーンで観る絡みのシーンには独特の迫力がある。「どうしてもスクリーンと映写室の距離が長いため、いくらプロジェクターの性能が良くなったとは言え、フィルムほどの再現は難しいと思いますよ」全自動の映写機を導入した最初の頃はトラブル続きで、アチコチの映画館を回ってきたフィルムの状態が悪く傷だらけで途中で切れる事もザラにあったという。「逆に、そうしたフィルムに対して愛情のない劇場が閉館してくれたおかげで、今はフィルムの状態が良くなりました」昔は市内の70箇所以上にスピードポスターを貼っていたが、現在は市の条例で敷地以外にポスター貼りは不可能。それでもPTAや教育委員会からクレームが入ることも多々あったという。映画館を引き継いで20年が経った今、吉村氏は振り返る。「こうしてみると色々なトラブルがありました」東日本大震災では、上映中に場内の壁が崩れ、天井にあったダクトが落ちるという被害を受け、幸いにお客様に怪我人は出なかったものの一ヶ月休館を余儀なくされた。

「この時ばかりはお客様の入りが悪かった事に感謝しました。ただ、しばらく休館していたものだから、ウチがこのまま閉館する…という噂が立ちまして、常連さんから心配されましたよ」それでも営業を再開すると、今度は被害が大きかった福島から足を運ぶ方もいらっしゃったほど。また、今年の大雪では駐車場の屋根が潰れてお客様の車がヘコんでしまうという事態も発生。「修理代を弁償させていただきましたが、逆にお客様が映画館の被害を心配されて…その時は配給会社が写真料を値引きしてくれて、本当にありがたかったですね」

周囲の人たちが応援してくれるから俺も頑張ろう!と…だから多少、マナーの悪いお客様がいても仕方ないかな」と笑う吉村氏。「やはり生まれ育った場所ですから愛着はあります。ここは文教地域なので、改装はOKですが、一度取り壊したら二度と成人映画館は建てられないのです。まぁ何とか食べるくらいはトントンで出来ているので、常連さんからやめないで欲しい…と言われている内は続けて行きます」こうした映画の送り手がいる限り全国から成人映画の灯は消えることはない。(取材:2014年7月)




【座席】 327席 【住所】 茨城県水戸市袴塚1-6-16 【電話】 029-221-0754

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