戦前から昭和30年代に多くの映画館や芝居小屋が建ち並ぶ神戸一の繁華街・新開地。高度経済成長期に入るとパチンコ屋など遊戯施設や飲食店が増え始め、労働者の街という様相を呈する。そんな新開地駅と湊川公園駅からほど近く、明治初期から続く福原遊郭という関西でも有名な歓楽街があった。戦前は1000人近くの女性が働いていたが神戸大空襲で街は焼失。戦後は赤線地帯として栄えていたが昭和33年に遊郭は廃止され、今はソープ街として大小数多くの風俗店が軒を連ねる男たちの楽天地として存続している。そんな福原町の路地にある成人映画館『福原国際東映』は、昭和30年代に東映の封切館としてオープン。遊郭に隣接した場所に映画館…何だか不思議な取り合わせのように感じるが「昔からこの場所には映画館や芝居小屋がたくさんあったんですよ。だって淀川長治さんの出身地なんですから」と、長くコチラで働いてきた女性スタッフが言う。そうなのだ、新開地や福原という場所は、明治時代にはいち早く“電気館”や“日本館”といった常設映画館が営業を開始して、大正から昭和にかけて活動写真の小屋が十数館とひしめき合う言わば映画館発祥の地でもあるのだ。現在の建物となったのは昭和63年。元々、東映や松竹作品を上映していたが成人映画館となって、しばらく続けていたところ「前のオーナーさんが高齢で、誰か映画館を買ってくれへんかな…と言っていたのを懇意にしていた東映の常務さんの耳に入って、私に話を持ち掛けて来たのです」と、経営者の米田実氏は語る。



それまでアチコチの閉館を考えていた映画館を引き継いできた米田氏。「まぁ、ワシもアチコチで映画館をずっとやって来まして、売り上げも大体分かるようになってましたからね。それに、全部借りものの映画館ばかりで、自分とこで持っている映画館はなかったから、1件くらい自分の物件があってもイイなぁ…と思って引き受けたんですわ」こうして、米田氏が『福原国際東映』を購入したのは平成21年11月。成人映画館としては珍しい単独の建物だけに、ロビーは贅沢なくらいに広く、常連客は入るなり、リクライニングチェアに腰掛けて新聞を広げている。劇場は2階となっており、1階はロビーと事務所のみなので、ゆとりある空間が実現出来たのだ。休日のボートレース開催日になると大型テレビではレースを中継しており、映画そっちのけでロビーに入り浸る方もチラホラ。途中外出も受付で名前を書いてもらえれば可能なので、近くにあるボートピアに行ったり来たりされているそうだ。「夏はクーラー、冬は暖房が効いて、朝から翌朝までいられますから、ゆっくり過ごされる方には重宝がられていると思います」と語ってくれた支配人の立木嘉修氏。

「映画館を購入する前に、社長と初めて見にきた時のロビーの広さやお客さんの入りには正直、驚かされました」現場を目にして立木氏は米田社長と共に、「これだったらやっていける」と確信したという。「大型モニターとか前のオーナーさんが揃えてくれたモノを流用出来たので、本当にウチはただ入るだけという状態で助かりました」コチラの劇場は2階に客席があるという珍しい作りとなっており、入口正面の階段を上がると小さなロビー。年季の入った扉を開けるとまず目に飛び込んで来るのが昭和の映画館らしい大きなスクリーン。場内に入ると冷んやりとした冷気が漂うワンスロープ式の天井の高い開放的な空間が広がる。ユニークなのはスクリーンに向かって右前のブロックがヘコんでおり、ここがカップルのお客様には好評のスペースとなっている。ゲイのお客様には奥まったこの空間はちょっとしたカップルシートとして人気があるのも理解出来る。「何も知らない方がそこに座るとちょっとビックリされるかも知れませんね。ただ、奥にあるため初めて来た方がワザワザそこに行かないので、今のところそれで苦情は出てませんが…(笑)」

上映作品は、新日本映像3本、新東宝1本の四本立興行で、日曜日を除く毎日、朝9時から翌朝5時までのオールナイト営業(日曜日のみ夜9時で終了)を行っている。オールナイト興行をされている劇場としては珍しく毎日朝9時から開場している。「僕も最初は成人映画を朝早くからやっても…?と思いましたけど、開場を待っているお客さんが結構多いんですよ」朝イチからやって来て夕方に帰る人もいれば、夕方からオールナイトで明け方に帰る人もいたりして楽しみ方は千差万別。「1日の来場者数は70〜80人ですから、人数的には、そこそこ入ってもろうてます。やっぱり昔から来られている年輩の常連さんが多いですね。女装の方も多いですが場内で変な事さえしなければ服装は自由に観てもろうてます」4年前に上映システムをDVDプロジェクターに変更された際、音響設備の配線は全て米田社長が行なったという。「僕もココに入る前は全自動麻雀卓のメンテナンスの仕事をしていたので、機械には詳しいんですが…入ってすぐに社長から教わって、まだ覚えている最中ですわ」立木氏が入社早々に託されたのは、映写の仕事を完璧に覚えること。「“堺東映”がまだある頃で、一番最初にやったのは円盤タイプのフィルムを巻くのからやったんですよ」



前日にフィルム映写機の使い方を教わって翌日には全て一人で任されたという立木氏。「仕組み自体は分かってましたけど、現場で覚えていくしかないんすよね。映写技師さんがいない時に代わりにやっていたりして。今はプロジェクターを任されていますけど、何かあったらアチコチの劇場を回るようにしてます」立木氏がまず米田社長に言われたのは、どこの劇場からお呼びが掛かってもすぐに対処出来るようにする事。「これが僕が入った時の使命です」と笑う。

現在、立木氏は大阪と兵庫の6つの映画館を見ている。「やはり機械ものなんで、慣れていれば1、2分も掛からない事でも、分からない人だとどないしても分からんから。電話で指示しても映画が映れへんという事になったら走りますよ。残り1時間くらいやったらお客さんに招待券を渡して違う日でも使えますからってお願いするんですけど、まだ10時間もある時にトラブったら、そこでお客さんを帰らすわけにいかんから…」1時間くらいならば常連のお客様は、結構気長に待ってくれるという。「スンマセン言うたら文句も言わずに待っとってくれるんです。あと、1時間くらい掛かりますからその間に外出してもらってもいいですよって言うたら、外で暇つぶして戻って来られる方もいますよ」昔から慣れ親しんでいる方が多いからだろうか、実に大らかなエピソードだ。そう言えば、震災後しばらくは家を失った被災者のために福原のソープランドは店舗を開放して宿として提供されたというエピソードがあった。この界隈は、こうした人情味が今も残る大らかな土地なのだ(取材:2013年8月)

【座席】 90席

【住所】 兵庫県神戸市兵庫区福原町15-3
【電話】 078-577-5282






  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street