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![]() 昭和2年に建設された浅草新劇会館の地下にあった二つの成人映画館『浅草シネマ』が平成24年9月17日に、『浅草世界館』が25日に閉館した。当初、『浅草シネマ』は“浅草座”という館名でスタート。『浅草世界館』は、サロン人魚という喫茶店(当時は社交喫茶と呼ばれていた)で、映画館となったのは昭和31年。勿論、成人映画館となったのは昭和40年代後半である。両館共に入口から場内まで判で押したように同じ作りで、自動券売機でチケットを購入して階段の踊り場に作った小さな売店と受付を併用したカウンターに座っているおばちゃんにチケットを差し出す。 |
アンパンとスナック菓子が陳列されているガラスのショーケースを横目に見ながらタイル張りの壁面の細長い階段を降りる。ロビーと言えるほどのスペースは無く無造作に灰皿が置かれているだけ。扉を開けると左右の座席が6席、それが10列ほどの縦長の場内が広がる。スクリーンの横にトイレがあるのは昔の映画館らしい設計だ。場内は緩やかなワンスロープ式なので前列に人がいると間違いなく頭がスクリーンに掛かるのはご愛嬌。シートはゆったりとしており座り心地の良さから仮眠を取るのを目的とした人も多かったようだ。慣れた人は最前列のど真ん中に陣取ったり各々お気に入りの場所があるようだ。上映が近づくと勢いよく鳴るブザーが印象的で、よほど場内喫煙が多かったのか本編が始まる前に赤いバックに白抜き文字で「場内は禁煙です」のスライドに思わず笑ってしまった。さらに上映中も煌々と光る禁煙のサインの効果があったのか、床に残るタバコを潰した焦げ跡は昔の名残になったようだ。
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 朝イチの回はガラガラかと思いきや上映が始まって10分もしない内に、どんどん人が入ってきて最終的には5人くらいだった場内も30人ほどになった。休日の朝から成人映画でも結構入るものだなぁと感心していると、おじいちゃんがスクリーンの前を横切る途中でそのまま立ち止まってしまった。それでも文句を言う人なんぞ誰一人いなく、こうしたホノボノとしたところが良いところでもある。邦画のピンク三本立(以前は洋ピンもやっていた)で1200円、朝からだと1000円という格安料金で朝から晩までずっと粘れるから毎日のように訪れる常連のおじいちゃんも多い。定期的に行われる主演女優や監督によるトークイベントや、ユニークなのはピンクツアーと銘打った監督と共に映画観賞をした後に近所のカフェでお茶会を行うイベントには熱心な成人映画ファン(中には熱心な女性ファンの姿もチラホラ)が多く集まる。また“団鬼六監督の追悼特集”や“乗り合いバスで行こう〜ピンク映画短編大会〜”という特集上映も名物だった。 |
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ところが時間帯によってはゲイのお客さんも多く、頻繁に席を移動してお相手を物色しているので、自分の身を守る(?)ために映画に集中出来なかった事もよくあった。多分、観客の中で暗黙の棲み分けがあったらしいのだが、最後までその法則を理解出来ずに終わってしまった。そう言えば、両館共に座席は通路側から埋まっていき、中央の席はガラ空きの時間帯があった。今思えば、あれは途中で席を移動しやすいからだったのかも知れない。ラスト1本を観賞していると座席ふたつ空けたところで年輩の男性二人が突然イチャツキ始めた(しかも、かなりハードに)のに驚いて慌てて席を移動したのが最後の『浅草世界館』の思い出だ。受付脇にある映写室の扉の向こうからカタカタと映写機の音が聞こえてくる。あぁ、この映画館が無くなると共に、いずれフィルムもパワポレーターの音も消えてしまうのだろう。
地下鉄銀座線を浅草まで行かずに、ひとつ前の田原町で降りて、屋台のソース焼きそばの匂いをかぎながらブラブラと劇場まで歩く。メインのブロードウェイ通りではなく『浅草シネマ』側の裏口からアプローチする怪しさが魅力的なコースだった。映画館の入口に酔いつぶれて寝込んでいる人がいたりして…ココはどんなテーマパークよりも面白いアメージングスポットだった。(取材:2012年9月) |
浅草シネマ 浅草世界館
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