映画館そのものが主役となった映画がある。その映画の題名は平成17年に公開された佐々部清監督作品“カーテンコール”。港町にある小さな映画館で昭和30年から40年代にかけて人気を博した幕間芸人(作品の掛け替え時間にステージに立ち、モノマネやコントを披露した芸人)の半生を描いた人間ドラマだ。その舞台としてオールロケが敢行されたのが北九州市にある成人映画館『前田有楽映画劇場』である。昭和29年のオープン時より外観も内装も殆ど手を付けていないおかげで佐々部監督の目に留まったというコチラの劇場。映画の中では“みなと劇場”と看板は換えられていたが殆どそのままの出で立ちで映画全編に渡って登場している。ギュウギュウに詰め込まれた場内で食い入るようにスクリーンを凝視する観客たち。毎日のように長い列を作って映画が始まるのを心待ちにしていた時代も今は昔となってしまった。
「東宝や大映、松竹映画を専門にやっていた頃は、あの映画のように毎日たくさんのお客さんが来てくれていたんですがね…」と語ってくれたのは支配人の鈴木利明氏だ。「本当は建物もかなり老朽化して軒なんかも壊れよったんやけど…」と、わざわざ表に出てその場所を指で指し示してくれた。「撮影で看板を取り付けたりするというので、新しく造りかえてくれて…かえって助かりました(笑)」撮影時は場内の壁を一度キレイに塗り直し、昭和30年代当時の新しさを再現してから撮影が進むに連れて汚しのペイントを施して時代の経過を表現したという。約一ヶ月にも及ぶ撮影で完成した“カーテンコール”は、コチラの劇場で特別上映が行われ、映画さながら大勢の地元住民が久しぶりに劇場前に列を作ったという。映画のラストシーンのサヨナラ興行に登場する“みなと劇場”を鈴木氏は、『前田有楽映画劇場』と重ね合わせ感慨深い思いで観たそうだ。鹿児島本線の八幡駅を降りると仄かに鉄の匂いがホームに漂う北九州市にある製鉄の街。駅から10分ほど歩くと、住宅地の一角に昔のままの姿で『前田有楽映画劇場』が建っている。






かつて製鉄産業が活気を見せていた昭和30年代、八幡には居住者が2万人を超える工業団地が建ち並び、連日多くの住人が訪れていたそうだ。近所には“祇園東映”と“前田銀映”という東映と日活の専門館があり、更に黒崎、中央町にも5〜6館の映画館が軒を連ね、どこも盛況ぶりを見せていたという。「すぐそこに桃園団地という八幡製鉄所の団地があったから賑やかでしたよ。それも昭和40年代になると団地の人口も徐々に減ってウチだけになってしまったんですよ」最盛期には小倉から大分にかけて20館以上の映画館を経営していたそうだが、昭和44年に日活がポルノ映画製作に転換したのをキッカケに、一週間切り替えで一般映画と成人映画を交互にやるようになる。「成人映画が予想以上にお客が入ったから、それから2〜3年後には完全な日活ロマンポルノ専門館になりました」昭和60年代には大蔵映画や新東宝も掛けるようになり、現在は3社の作品(日活からエクセスに変更)を週替わりで3本立興行を行っている。



人通りの多い駅前や盛り場と違い、コチラは住宅地のど真ん中…そんな環境で成人映画は成り立つのだろうか?と思いきや「興行組合でもよく、黒崎の映画館の人たちから“あんな寂しいところで成人映画館やっていけるね”と言われていましたよ。逆に人通りの少ない寂しい環境がお客さんにとって入りやすかったのではないか…」と鈴木氏は分析する。成人映画も下火になっていた頃に“カーテンコール”の公開である。連日のように取材の申し込みが殺到し、見学者の数も日を追う毎に増えたそうだ。その後も『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を始めとする数多くの撮影が行われている。最近では、隣にコンビニが出来たおかげで、お客様の足が遠退いてしまったらしく、土曜日に行われていたオールナイト興行もやめてしまったという。「ちょっと前までは夜の9時過ぎまでやっていたんだけど、最近はお客さんが入らんから最後の回をやめてしまったんですよ。若い人やアベックさん、それと女装趣味の方も何人かいらっしゃったのですが…やっぱり、夜に煌々と明かりがついていると恥ずかしいんでしょうか(笑)今では年輩の常連さんがメインとなってしまいましたね」

夕方、薄暗くなった通りに面した映画館のエントランスに灯りがともる。ここの映画館は外観が黄金色に浮かび上がる秋の夕方が実にイイ。蛍光灯のライトがジージーと音を立てる中、入口をくぐり売店でおつまみやスナックを購入する。成人映画館には甘ったるいお菓子よりも乾きものやクラッカーが何故かよく似合う。無造作に置かれている「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた使用済みのポスターを眺めながら、“カーテンコール”で伊藤歩と藤村志保が座っていた緑の長椅子に腰をおろして観賞前にちょっといっぷく。映画と同じように少しでも経費を削減するため、今では鈴木氏が映写技師も兼任。昔から働いている女性スタッフと二人で劇場の切り盛りしている。ロビー奥にあるらせん階段を上がると2階には昔と変わらない映写室がある。手入れの行き届いた映写機はもう一人の鈴木氏の良きパートナーだ。ワンスロープの場内も映画で藤井隆が立ったステージも設立当時と変わらず昔のままの姿で残っている。ひとつ違うのは入口にある売店兼チケット窓口…実は元々壁で区切られていたのを撮影するため壁を撤去したのだ。確かに受付にいる藤村志保とロビーの長椅子に座っている伊藤歩が会話するには壁があっては絵にならないが、随分と大胆な事をしたものだ。「撮影が終わったら新しく壁を作ってくれたからウチは助かったんだけどね」と笑う。「陽の目が当たらん劇場やったんやけど、公開直後は懐かしいって訪れる人やテレビで取り上げてくれたりして…昔のまま踏ん張ってやって来たご褒美だったのかも知れませんね」という鈴木氏の言葉が心に残った。(取材:2011年9月)


【座席】220席 【住所】 福岡県北九州市八幡東区前田2-5-1 2019年6月27日を持ちまして閉館いたしました。

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