馬喰横山から都営新宿線に乗って江戸川区にある「船堀」に向かう。荒川の手前にある東大島駅を過ぎると電車は地下から地上へ出て、荒川に架かる陸橋を越えるとすぐ船堀駅がある。「船堀」という地名は、中川と旧江戸川を結ぶ新川が、江戸時代に千葉から江戸へ運ばれる塩を運搬するための船用の堀…すなわち「船堀」と呼ばれていたことに起因する。江戸川区は荒川と江戸川に挟まれた地形から水運が発達。現在もこうした水路が多数残されており、水辺都市という一面を持つ。船堀駅前には江戸川区が運営する複合文化施設「タワーホール船堀」がある。施設内にはコンベンションホールや会議室、結婚式場などを有し、街のシンボルである「船堀タワー」は都内3位の高さ(115メートル)を誇る東京の隠れた名所だ。エレベーターで7階まで上がり、そこから直通エレベーターに乗換えてビルの30階に相当する展望室まで一気に上昇する。展望室から見える東京の下町の景色は東京タワーやスカイツリーよりも高さが低いので街の様子をリアルに見ることが出来る

1階のエントランスホールは、7階まで吹き抜けとなっており天井から自然光が注がれる。エスカレーターで地下に降りると2つのスクリーンを有する映画館『船堀シネパル1・2』がある。映画館の受付には平日の朝早くから多くの年配のお客様が列を作っている。お目当ては是枝裕和監督がカンヌ国際祭映画祭に出品した近未来のヒューマンSF箱の中の羊≠セ。お客様が当日券を窓口で購入される際に従業員の人たちは、場内での飲食やスマホの電源に関する注意事項を丁寧にお伝えしている。こうしたスタッフが直接声がけする方が年配のお客様には録音された音声で流されるよりも効果的で、お友達と来られた常連の方は「飲食はロビーや1階のカフェですればイイのね?」と確認されていた。こうした自然なコミュニケーションが取られるのも街の映画館の良いところだ。ロビーは明るく売店ではキャラメルコーンやアーモンドチョコなど既成のお菓子が売られているのが懐かしい。勿論ポップコーンやチュリトスも販売しているが、コンビニで買えるお菓子も映画館で食べると美味しく感じるのは不思議だ。壁には現在の映写技師さんが個人的に集めている懐かしい日本映画の半裁ポスターが飾られており、眺めているとあっという間に待ち時間も過ぎてしまう。


それから全国の『TOHOシネマズ』に配属された青木氏は『船堀シネパル1・2』からしばらく離れていたが、5年前に「フジ産業株式会社」の代表から声を掛けられたのを機に支配人として戻って来た。「それまでは、青森・秋田・新潟…と全国のシネコンに配属されて単身赴任の生活を送って来ました」という青木氏。10年前には配属先の熊本で熊本地震を体験した。最後に配属していた『TOHOシネマズ 浜松』で「長年シネコン一筋でやって来ましたが、ちょうど子供も学校を卒業して就職が決まったところで、残りの定年までの人生を何か別のことをしたいな…と思っていたところに支配人のお話をいただいたのです」かつて『船堀シネパル1・2』のオープンに携わった時、こじんまりとした映画館で観客と接する仕事が楽しかったという感覚が忘れられなかったため引き受ける決心をした。「ずっとシネコンにいて、観客が入る作品ばかりを回して数字を追いかけていたので、そこで終わるのではなく環境を変えてみたかったのです」

『船堀シネパル1・2』がオープンしたのは「タワーホール船堀」が開業された平成11年3月13日。「タワーホール船堀」の建設計画が立ち上がると区の開発責任者(現在の江戸川区長)から、東宝のグループ会社である「東宝東日本興行株式会社」に相談を持ちかけられたのが始まりだった。それが「江戸川区に住む地域の人たちに映画という身近な娯楽を提供したい」という思いから「タワーホール船堀」に映画館を作れないか?というものだった。映画館の所有権は江戸川区にあるものの映画館の運営に関しては全くの素人。「映画業界というのは独特の世界ですから、経験が無い行政が運営するのは不可能だったため私たちが共同で運営を委託されているわけです」と語ってくれたのは現在支配人として劇場の運営を取り仕切っている青木享太郎氏だ。設立時にはオープン準備室で携わりその後支配人に就任した。現在「東宝東日本興行株式会社」から「フジ産業株式会社」に変わって江戸川区から委託を受けて事業を継続している。


青木氏は従業員とお客様との距離の近さを見て、サービスに対する考え方に変化が生じたという。シネコンにいた時はお客様の待ち時間を少なくするのがサービスと思っていたが「年配のお客様が当日券を購入される時に、今日は暑いね…とか一言あって、それに従業員が受け答えする。最初はスピード遅くなるから余計なことをしゃべらず進めて欲しい…って(笑)思っていました。私の中では、お待たせしないことがサービスだったのです」ところが長年常連のお客様と関係を構築して来たやり取りを見ているうちに「そうやってお客様と会話をしながら窓口に立って、それで上手くやっていければ良いのかな…って。あまり効率ばかり考えてギスギスするのもどうかな?って思うようになったのです」ここで働いている従業員の殆どが長年従事されている方ばかりなので、お客様にとっても安心感があるのだろう。どんなに列が出来ても常連の皆さんはニコニコしている。「従業員は私よりも現場をよく知っている人たちばかりですから、私から指示する必要もなく安心して現場を任せているんですよ」と笑顔で語ってくれた。

上映作品はオープンから現在まで東宝邦画系がメインだ。客層的には話題になっている作品に反応される方が多く「告知に力を入れている東宝なので、お客様の入りはテレビで多く取り上げられた作品は強いですよ」こうした街の小さな映画館で東宝作品を上映出来るというのは大きな強みだ。何と言っても子供向けのアニメとしてはドラえもん≠竍名探偵コナン≠セったり、若者向けには踊る大捜査線≠竍キングダム≠ニいったドル箱のシリーズが、春から夏・冬のオールシーズンで上映されるのだから安定した興収が見込める。そして年配のお客様が好まれる人間ドラマはハイシーズンの間に出来る閑散期を埋めるように上映されている。「どうしても家族向けの作品が終わると隙間が出てくるので、その間を利用してミニシアター的な人間ドラマやアート系の作品を掛けたり、区からも要望されている少し古めの作品を名画座的に上映しています」このように人気コンテンツをまんべんなく上映する『船堀シネパル1・2』の客層は子供からお年寄りまで幅広い。春休みや夏休みといった学校が長期の休みに入ると、子供たちが友達同士で連れ立って来場されている。


GWが明けると年配層向けのラインナップに変わる。近年は洋画の数が減っており、字幕より吹替の方が強い傾向にあるという。「字幕を目で追うより吹替の方が楽」という方が増えているそうで時代の変化を感じた。取材で訪れた日はプログラムが切替わったばかりでロビーは落ち着いていた。昨年末に公開された倍賞千恵子・木村拓哉主演のTOKYOタクシー≠ノは多くの年配のお客様が来場された。同時期に公開された吉永小百合主演のてっぺんの向こうにあなたがいる≠ヘコチラの客層からするとド真ん中の映画だったため、1ヵ月半遅らせて年明けに公開された。「お客様には1ヵ月半は遅れます…とお断りしたところ、遅れてもいいからウチで観ると言う方が大勢いらっしゃいました。年配のお客様はシネコンよりも安心出来るようです」そんな年配のお客様のためにスケジュール表はネットだけではなく印刷物でも用意しており、それを手にして来場される方も多い。

ヒット作と言えば、去年は国宝∴齔Fで、6月から年明けまでの超ロングランの興行だった。「芸能人がこれを観るべき≠ニテレビで勧めていたから…と来場された方も多かったですよ」アニメではオープンから一番入った作品はアナと雪の女王≠セったが、その記録を塗り替えたのはコロナ禍に公開された劇場版 鬼滅の刃 無限列車編≠セった。封切より遅れての上映で、場内も一席ずつ空けなくてはならないという制約の中で大ヒットした。ようやくコロナの影響も無くなり「これからは純粋に作品で勝負です」と言う青木氏。今後もドラえもん≠ネどの人気アニメや踊る大捜査線≠ェ待機しているが、やはり国宝≠フような映画館ならでは…という作品に期待したいという。「やはり、東宝作品は作品の良し悪しよりも話題性や宣伝効果でお客様が来てくれています。しっかり認知が行き渡って、観たい!という人が多いのであれば、映画館がやるやらない≠判断するのではなく、需要と供給のバランスは大切にしたい。これからもお客様の期待に応える作品をお届けしたいと思います」


快適に映画鑑賞をしてもらえるよう2023年7月には大規模リニューアルを行った。シートは最近のシネコンで取り入れている座り心地抜群のコンチネンタルファーイースト社製を採用。客席数を2割ほど減らして、隣の座席と肘掛けを共有する従来のものからそれぞれのシートに付いている独立型のタイプだ。また運用面では全自動でスケジュールを組める「シアター・マネージメント・システム(TMS)」を導入してワンオペレーションでの上映が可能となった。更に対面販売だったチケットもオンラインでの購入が可能となり、ネットは苦手…という年配の方のために対面販売も残している。早く売り切れてしまう人気の作品は、年配の方でもご自身で頑張ってネットで購入されたり、あるいはお子さんに取ってもらうなどして来場されているそうだ。最近では「もう前日に窓口に来て購入しなくて良いのね」とか「慣れればこっちの方が楽ね」という年配の方も増えた。「自由席の時は、荷物置きで2席確保されたり、1席ずつ空けたりするため、全席指定にした方が稼働率が上がりました」このようにインフラを見直したおかげで、座席数は減ったにも関わらず動員数が増えたのだ。「多少経費はかかりましたが、結果的にはリニューアルにお金をかけたことは決して無駄ではなかったと思います」

取材が終わって朝から列が出来ていた箱の中の羊≠観ていこうと思った。カウンターに並ぶと朝、取り継いでくれた従業員の女性が気づいて「あら?」と笑顔を見せてくれた。当日券は都内の他館よりも100円から200円ほど安い。「地元の皆さんに少しても安く提供したい」という気持ちの現れだそうだ。料金を払って1回の鑑賞で1ポイント捺印されるポイントカードも発行してもらった。まだ入場まで時間があったのでロビーの壁に飾ってある昔の半裁ポスターを眺めているとあっという間に時間が来てしまった。座席に着くと先ほど当日券を売ってくれた従業員さんも入ってきて鑑賞マナーのアナウンスをした。なるほど…マイクも使わずに観客に向けて直接お願いする方が、録音された音声案内やスクリーンでマナー広告を流すよりも遥かに効果的だ。盗撮防止を訴えるカメラ男のCMも今では観慣れ過ぎてスルーしがちだが、このように場内に入ってお客様にお願いした方が、今よりも耳を傾けてくれるのではないだろうか?それにしても従業員さんの慣れたアナウンスには感心してしまった。映画が終わり場内が明るくなると静かに席を立つ。この時間がイイ。スクリーンは小さくても良質な人間ドラマをじっくりと味わうには、これくらいの規模の空間が理想的だと思った。(2026年6月取材


【座席】 『シネパル1』118席/『シネパル2』104席 【音響】DLP・3D対応

【住所】東京都江戸川区船堀4-1-1 地下1階 【電話】03-5658-3230

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