新潟県南部・中魚沼の山間にある十日町市は、日本有数の豪雪地帯であり、日本三大渓谷のひとつ清津峡を有する里山と渓谷の街だ。また、市の中心を流れる信濃川に育まれた江戸時代から続く染め織物の街としても知られている。新潟市から行くには上越新幹線が便利だが、晩秋の山々と田園風景を楽しむため、上越線から越後川口で信濃川と並行して走る飯山線に乗り換えて、2時間半…ローカル線の旅を楽しんだ。いくつものトンネルを抜けて、突然、十日町盆地の雄大な景色が広がると間もなく駅に到着する。駅前通りを真っ直ぐ伸びる商店街は数年前まではシャッター街だったが、街を良くしようという若者たちの努力で新しいお店が増えているようだ。国道を10分ほど歩くと、四ツ宮公園と風情ある佇まいの西宮神社が見えてくる。その隣に柔らかなオレンジの外壁が印象的な映画館『十日町シネマパラダイス』がある。

今から14年前に発生した新潟県長岡市を震源とした最大震度7の中越地震は、ここに暮らす人々の日常を一変させてしまった。街の中心部で古くから興行を続けていた映画館“十日町松竹”が入っていたビルも一部が崩壊。そのまま映画館が再開されることは無かった。それから3年…ひとりの女性が街に再び映画の灯を灯そうと立ち上がった。着物の手入れや販売などを手掛ける(株)きものブレインという会社の副社長で、現在『十日町シネマパラダイス』の代表を務める岡元真弓さんだ。


真弓さんは高校時代から授業を抜け出して映画館に行っていた程の映画好きで、このままでは街から映画を観る文化が消えてしまう…と危機感を抱き、誰もやらないのなら私が!と、行政の力も借りずに、個人の資産を元手に映画館設立を決意したのだ。「母もこのような田舎の映画館では儲けにはならない…むしろお金が出て行く事業と承知の上でした。着物の会社が軌道に乗れたのも地元のおかげ…と、育ててくれた街に文化で恩返しをしようと始めたわけです」と語ってくれたのは副館長であり、ご子息の岡元豪平氏だ。

物件を選ぶ段階から真弓さんは、新しく開発されたショッピングモールではなく、駅から歩いて来られる現在の場所にこだわった。「ここは元々パチンコ店だったのですが、その後入ったお店はどれも長続きせず、ずっと空いていた物件でした。母はご老人が歩いて来られる範囲という事で、ここを選んだのですが、パチンコ店時代の柱を切ったり、場内に傾斜をつけるため地下を掘り下げたり…結局、更地に作るよりもお金が掛かってしまいました(笑)駐車場の広さは充分でしたけどね」

問題は他にもあった。スタッフが全員、興行は全くの素人という事だ。当然、相談に行く先々で返ってくるのは、やめた方がいい…という言葉だった。そんな興行の難しさに直面していたところ、東京の老舗ミニシアター“ユーロスペース”が手を差し伸べてくれた。豪平氏とスタッフの研修を受け入れてくれたのだ。それから半年間、映画館運営のノウハウを学び、配給会社まで紹介してもらい、場内に関しては、“アテネフランセ”が全面協力してくれて、シネコンにも引けを取らない最高の音響が実現した。「舞台挨拶に来られた監督さんも繊細な音まで再現されていたので驚いたと言ってくれました。派手なアクションには向いてませんが、繊細な音は全て拾ってくれる設計をしているので、音楽映画や人間ドラマには自信があります」


そして震災から3年後の2007年12月15日に『十日町シネマパラダイス』は、“かもめ食堂”や“天然コケッコー”など約10作品をこけら落としでオープン。“ウエストサイド物語”と“アンパンマン”の無料上映では、街の人々に新しい映画館を体験してもらった。勿論、館名の由来となった(真弓さんが好きだった)“ニュー・シネマ・パラダイス”をオープニング記念の目玉として上映している。しばらくはミニシアター系の良質な人間ドラマを中心に上映していたが、地元の公民館等で移動上映を続けていた“十日町松竹”のオーナーが参画してから、東宝・松竹・東映のメジャー系作品も扱うようになった。「それまでは、ご年輩の方と、20代から40代の女性がメインでしたが、メジャー系をやり始めたら、今まで見られなかった顔ぶれのお客様が増えました。子供を連れて“ドラえもん”や“クレヨンしんちゃん”に来ていたお母さんが、今度はお母さん同士で来てくれる流れが出来たのです」

ロビーに入ると右手にフローリングの小上がりがあり、そこには映画館には珍しいグランドピアノが置いてある。完全バリアフリーを目指した設計は随所に見られ、場内は勿論、小上がりの高くなったスペースにも車椅子の昇降台が設置されている。日中は通りに面したガラスの壁面から自然光が注がれて気持ちが良い。この空間を使って、ドイツ人のソプラノ歌手を招いてのミニコンサートや、フランス人トリオによるフリージャズを聴きながらワインとチーズを楽しむライブが開催されている。実は、このピアノ…オーナーが中古で安く手に入れたものだが、実際に演奏されたプロのピアニストからは、独特の柔らかい音が出ると賞賛されている。ロビーはピアノの音がキレイに響くよう設計が施され、更に天井にはスクリーンとプロジェクターを設置。多目的ホールとして様々な会合等に使用することが可能だ。「こんな事したいんだけど…なんて何でも相談に乗ります。結婚祝いのサプライズで映画館を貸し切りにしたお客様もいらっしゃいました」


もうひとつ推進しているのが、社会見学と映画鑑賞会を組み合わせるという取り組み。映画館という公共の場で映画を観る事で、学校の講堂では得られないマナーを学ぶ事が出来るのだ。映画が終わると子供たちは、ロビーで感想や意見を活発に述べているという。実はこれが大事なことなのだと豪平氏は言う。「以前“ブタがいた教室”を上映した時は、子供たちが感動して、低学年の子供が自分の心境を何とか言葉にしようと頑張っていました、それがしっかりした考えなので驚きました。だから、自発的に発言する機会をたくさん作るのは大事だなと思います」地元・松代町のドキュメンタリー“夢は牛のお医者さん”には3000人以上が来場して、子供たちが興奮しながら語り合う…そんな光景が毎日続いたのが忘れられないという。

少し早めにチケットを購入して、ゆっくり本を読んだり、上映後にテーブルに腰掛けて映画談義に花を咲かせる。そうやって、ここを訪れる人たちは思い思いに休憩スペースを使っている。「良い作品の時なんかは、皆さん映画の話しで盛り上がっていますよ。近所にはカフェが無いので、気兼ねなく長居してくれるのは大歓迎です」中には参考書を持ち込んで勉強する学生もいるとか。誰でもが気軽に集まれる場所にしたかったという思いは少しずつ形となっているようだ。やめた方が良いと言われながらも、腹を括って最低でも10年はやってやる!という覚悟で始めた映画館も気がつけば10年を迎えていた。ちょうど、取材中に映画が終わり、常連のお客さんが帰り際、スタッフに「面白かった。次は俺が好きそうな映画は何やるの?」と話しかけていた。まるでご近所で交わされるようなスタッフとの会話を聞いていると、『十日町シネマパラダイス』が、街にとって無くてはならない必要な存在なのだと感じた。(2017年11月取材


【座席】 126席 【音響】SRD・SRD-EX

【住所】新潟県十日町市本町6-1 ※2018年3月11日を持ちまして閉館いたしました。

本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street