どこからでも見える赤と白の煙突が街のシンボルとなっている宮崎県北部に位置する延岡市。戦前より県内屈指の工業都市で、旭化成の街としても知られていた。また東は四国との境にある豊かな漁場・日向灘に面し、周囲を愛宕山や祝子川渓谷といった美しい自然に囲まれた街だ。小さなローカル線の駅を降りると、平日の朝は登校前の高校生たちで賑わっている。派手さはないが、どこか懐かしさがある駅前通りを歩く事10分ほど。小さな街にも関わらず、いくつもの商店街と繁華街に出くわす。「延岡市は、旭化成の関連会社が街のアチコチにあって、その周辺に飲み屋街とか商店街が出来て、今のような街の構造になったんです」と語ってくれたのは、街に、ただひとつ残る映画館『延岡シネマ』の支配人・有田美紀さんだ。

最盛期の昭和30年代には、10館以上もの映画館があったものの、昭和40年代には半分にまで減少。バブル以降には『延岡シネマ』だけとなってしまった。『延岡シネマ』の歴史は古く、前身は現在の場所の斜向いにあった昭和35年に設立された客席数342席の単独館『延岡大映』。その館名が示す通り大映と日活の封切館で、“大映名画座(250席)”や“中央名画座(400席)”といった映画館を経営していた個人館であった。昭和45年、現在の場所で鉄筋1階建て客席数420席の洋画専門館『延岡シネマ』を立ち上げ、斜陽期の昭和50年には洋ピン専門の成人映画館として危機を切り抜けた。そして時代は大劇場から小劇場へ変革期を迎え、昭和54年に現在のビルとなり、ATG作品を中心とした洋画専門の『延岡シネマ(252席)』、洋画専門の『延岡ピカデリー(252席)』そして独立ピンク映画専門館『延岡ロマン(220席)』の3館体制として再スタートを切った。その後、九州全域で複数の映画館を持つ興行会社のセントラルグループが経営を引き継ぎ、平成12年に館名を『延岡セントラル1・2・3』として現在に至っている。


しかし、シネコンの台頭と不況によってセントラルグループも延岡から撤退する決断を余儀なくされた平成21年…当時、フジサービスという映写機を扱っていた会社の方で、メンテナンスで延岡に来ていた前社長の山本佳資氏が「延岡の街から映画館が無くなると、街の子供たちが休みの度に楽しみにしていた映画が観れなくなるのが可哀想だから…」と映画館を購入。福岡の配給会社に勤めていた有田さんが「映画館を手伝って欲しい」と頼まれたのは、それから間もない頃だった。「配給していた映画の営業で、延岡に伺った時に宣伝活動をしていた様子を社長は見てくれてたんですね。私も子供の頃は、映画館が遊び場でしたから延岡から映画館は無くしたくない。社長のお話を聞いて戻って来る決意を固めました」昨年の12月に、山本氏は高齢を理由に経営を退き、現在、代表を務める武仲清一氏が引き継いで、有田さんと二人三脚で、街に残る映画の灯を守り続けている。


子供の頃、ココで“E.T.”を観た記憶が鮮明に残っているという有田さん。「とにかく、お客さんがビッシリ入って、賑やかだった。その中で観た映画が楽しかったなぁ」と、当時を懐かしむ。「洋画専門の『延岡シネマ』は大人の映画館という印象でした。字幕が読める年齢になるまでは、近くにあった邦画専門の“旭館”が遊び場で(笑)毎週日曜は子供同士で行ってましたね。朝から晩まで映画館にいるものだから、帰ってきなさい!って、怒られて。その割に映画の記憶が全く無いところをみると、殆どおしゃべりしていたんでしょうね」現在、作品の選定は主に有田さんが行っており、子供向けの作品を主軸に置きながら、大人の観客にも来てもらえる単館系の作品も続けて行きたいと語る。「まずは、ココが存続する事が大切。ウチで映画を観た子供たちが大人になって映画を観る…年代が変わっても映画に触れてもらえたらイイですね」今、延岡市は教育委員会が、親と一緒に映画を観ましょう…と、割引券の配布に協力してくれている。陸の孤島と呼ばれていた延岡市にも高速がつながり、やがては北九州から宮崎市まで一直線につながる計画で、これからは豊かな自然や文化といった街の財産を商業化するのが直近のテーマとなっている。

8月の終わり…子供たちの夏休み最後の週。朝、チケット窓口が開くと、車を劇場の前に横付けしてお母さんと子供を下ろして立ち去るお父さん。映画の間は仕事をいるのだろうか?終わった頃を見計らって、また映画館の前に車を横付けて迎えに来る光景がよく見られる。年輩の方に混じって、意外と若い観客の姿も多く、街にひとつの徒歩圏にある映画館は重宝されているようだ。自動券売機が多い中、やはり手売りのチケット窓口は暖かみがある。チケットを持ってお目当ての劇場へ…それぞれ独立したロビーはあるが、ポップコーンやスナック菓子は1階の『シネマ1』で購入。コーンの香ばしい薫りが立ちこめたロビーでの待ち時間は正に至福のひとときだ。ワンスロープで天井が高い場内は、どれも個性的で『シネマ3』の青いシートが昭和の映画館を彷佛とさせる。実はもうひとつ、『延岡シネマ』のこだわりがある。一般の人は立ち入り禁止だが、映画館の屋上に出ると、そこにあるのは小さな小屋。中は手描き看板の工房となっており、かつては、絵看板を職人が描き、今でもスタッフが自己流ながらも制作しているのだ。映画館の横を流れる五ヶ瀬川の対岸からも見える看板を付け替えているのが女の子というのが驚く。


「高速道路がつながるという事は、人が出て行くという事でもあるわけです。だったら、逆に人を呼び込む事を考えればイイんだ」有田さんは、次々とイベントを仕掛けて行った。例えば、“超高速参勤交代”公開時には、市が運営する内藤記念館の文化課の先生にお願いして、劇中に出てきた内藤藩主について講演をしてもらったり、“風に立つライオン”では、モデルになった先生が宮崎出身ということで講演を依頼。どちらも遠方から多くの人が来場され、宿泊先や観光の問い合わせが多く寄せられた。子供向けのイベントとして“シンデレラ”では、ホテルと協賛して、女の子たちにヘアメイクとウエディングドレスを着てシンデレラになれるヘアファッションショーを開催したり、ユニークなのは“ナイト・ミュージアム”とコラボして、内藤記念館で行われた夜の探検ごっこというイベントだ。タイムスリップした武士を無事に元の時代に返してあげようという設定で、多くの子供たちが参加して話題になった。

「興味があれば、こうしたイベントを目的に、遠くからでも県外の人たちが来る…というサイクルが見えたような気がします。これによって、映画館だけが儲かるのではなく、他のところにも経済効果が波及するんですよね」本来、街の映画はわざわざ着替えて行くのではなく、もっと気軽に立ち寄る場所であるべきという信念を持つ有田さんは、イベントによって、もっと映画館を身近に感じて欲しいと語る。「それで映画を観ない人たちが、年に一本でも観てもらえるだけで良いと思うんです。場内の暗闇で色んな人たちと一緒に観る何とも言えない空気感…一人でDVDを見るのと違う何かを感じ取ってもらえたらイイですね」(2015年8月取材)


【座席】 『シネマ1』80席/シネマ1』140席/シネマ1』140席 【音響】 『シネマ1』SR/『シネマ2・3』SRD

【住所】宮崎県延岡市北町 1-1-13 【電話】0982-21-8888

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