フィルムからデジタルへと時代が変わっても、場内に漂う雰囲気は変わらないで欲しい…そんな思いを映画館に求めるのは観客の勝手な要望だろうか?多少不便であっても、音が割れ気味であっても、それがその映画館の個性であって、良識のあるシネアストたちは、そんな映画館をこよなく愛し続けて来た。横浜の中心部にある商店街・伊勢佐木モールにある『横浜ニューテアトル』もそんな映画館のひとつだ。JR関内駅から5分程ぶらぶら歩くとレンガ色の紅い壁と深緑の看板が見えてくる。エントランスをくぐると、真っすぐに続く長い階段。その先にあるのは受付と売店を併設した小さなチケット窓口と、猫の額ほどの小じんまりとしたロビーだ。ワンスロープの場内は全席自由だから、入場開始の案内があるまでは階段に列を作って待つ事になる。歴代の大ヒット作となった中村高廣監督のドキュメンタリー“ヨコハマメリー”の公開時は、列が劇場の外から角を曲がったメイン通りまで延びた。「最近はあまり長い列が出来るような作品は少なくなりましたけどね」と、笑うのは支配人代行の石本和美さんだ。学生時代にアルバイトで入った石本さんは、20年来、社長の片腕として劇場の運営を任されて現在に至っている。

前身である東京テアトルの直営館“テアトル横浜”が、アルフレッド・ヒッチコックの名作“ダイヤルMを廻せ!”でオープンしたのは昭和30年4月20日のこと。まだ京浜東北線が桜木町までしか延びておらず、現在JR線に平行する首都高速横羽線が、大岡川と中村川を結ぶ水路だった頃だ。その水路から海側を関内、伊勢佐木町側は関外と呼ばれており、両岸を結んでいたのが伊勢佐木モール入り口に架かっていた吉田橋であった。伊勢佐木町には明治時代から多くの芝居小屋が軒を連ねる県内屈指の興行街であり、横浜市における映画館発祥の地として戦前戦後における日本映画界を支える映画の街として知られていた。“テアトル横浜”が、現在の館名『横浜ニューテアトル』となったのは昭和47年7月。現在の代表を務める長谷川喜行氏のお父様である先代が経営を引き継いだ時、劇場名を変えるとお客さんが一回離れちゃうから…と、ニューを入れただけ。320円で“十一人のカウボーイ”と“殺し屋の烙印”といった洋画二本立て興行を行う二番館として再出発した。昭和50年代に入ると週代わりで洋物ピンク映画と一般洋画の二本立て(パゾリーニ監督の“ソドムの市”と“デカメロン”という渋いプログラム)を800円で交互に上映するなどして、斜陽期と呼ばれていた時代を乗り切った。松竹のチェーン館として“東劇”系の作品を上映していた頃は、“ボディガード”に、一日800人もの動員を記録。最盛期、伊勢佐木町には、松竹系の映画館が5館も軒を連ねており、それぞれがバランス良く劇場の個性を引き出す作品を上映していた。「映画好きの先代社長から昔の映画を色々教えてもらいました。映画館で仕事をして楽しいのは、映画のタイトルを言われると、その時自分が何をしていたかを鮮明に思い出せる事ですね。だから、映画館という仕事を選んで良かったと思います」と石本さんは言う。


“松竹セントラル”の閉館に伴い、“東劇”が東急洋画系の作品を扱うようになると、『横浜ニューテアトル』は、ジャンルの幅を広げて個性的なプログラムを打ち出す。その先駆けとなったのは、ファストフード業界の影響力にメスを入れたドキュメンタリー“スーパーサイズ・ミー”だった。翌年、大ヒットを記録する事となるドキュメンタリー映画“ヨコハマメリー”を公開する。「メリーさんは、当たり前のようにこの界隈にいた人で、どちらかというと厄介な人でしたから(笑)こんな映画やって入るんだろうかね〜なんて話していたんです。松竹の人から、とにかく一度試写を観てくれないか…と言われて、社長が観たところ、これは面白い!という事になって上映を決めたんです」場内は年輩のお客様で連日満席となり、石本さんは、いつもの映画館とは違った一体感のような不思議なムードに包まれていたと当時を振り返る。「この作品が伊勢佐木町を舞台にしたご当地映画だったおかげで、社会現象になるほどのヒット作となって…中村監督には足を向けて寝られないですよ」

それから数年後…『横浜ニューテアトル』は再びドキュメンタリー映画の上映で話題となる。あの“靖国 YASUKUNI”だ。「ポスターで近日上映の告知をしていたのですが、そこから連日、劇場前を街宣車で上映反対の運動が起こったんです。その時は、目の前の通りを挟んで向かいからシュプレヒコールが繰り広げられて…伊勢佐木警察から何人もの警察官が来たり、勿論、電話も仕事にならないくらいに掛かってきたんです」当時、その様子がニュースとして報道されたので覚えている方も多かったと思うが、ここで強行上映するリスクを考え、上映を断念するという苦渋の決断を下す。更に数年後…再び、あるドキュメンタリー映画の上映で話題となる。日本のイルカ漁を取り上げアカデミー賞を受賞した“コーヴ COVE”だ。場内は、スクリーンを傷つける妨害を防止するため前列にロープを張って立ち入り禁止にするなどの措置を行っての物々しい状況での公開を敢行した。いつ上映禁止になるか分からないという言い知れぬ緊張感が初日の場内に漂っていた。「その時は、ある団体からの妨害が凄かったです。社長の自宅にまで押し掛けて抗議したり、劇場には終日、抗議の電話が鳴りっぱなしで、非通知で掛かってくる電話は取らないようにしたところ、今度は純粋に問い合わせをしようとしたお客様から、誰も電話に出ない!と苦情が寄せられたりして…ここまでして、問題作をやる採算が取れるだろうか?となって、今はこの手の作品を取り上げるかは考えていないですね」


昨年4月からデジタルを導入して、1日4作品の編成が可能となったが、今後の作品構成については模索中。「新しいものを取り入れる事も大切ですが、変わらない事も必要だと思うんです。設備だって多少不便でも、このまま残しておきたいモノもあるんですよね」それは、カップホルダーの付いていない固めの椅子であったり、長年使い込まれたトイレのノブであったり…どこかにベタな部分も残しておきたい…と、石本さんは言う。「今のシネコンはどこに行っても内装が一緒で、昔みたいに映画の記憶と映画館の記憶が連動しない。例えば、“横浜ピカデリー”のバカでかい劇場で数人の観客で観た事だったり、ウチの場合は長い階段を降りて来たという記憶だったり。スピーカーの音が良いから映画館が良い…という事じゃない。あの劇場の音っていつも割れていたな…ってツッコミを入れるのが楽しかったり、それがこの劇場の個性だったりする。そうやって映画館を丸ごと楽しむ人って最近少なくなりましたね」ちなみにコチラのトイレは、場内にある昔の映画館によくある作りになっている。「シネコン慣れしている若い子には評判良くないんです(笑)。そんな時は、今どきこんなトイレは無いから、入って行った方が良いですよって薦めます」また音響についても常に最適な環境作りを常に心がけており、おススメの観賞ポイントは、後ろから3列目のセンター通路側だそうだ。「この席を中心に音響をセッティングしているんです。ここが全スピーカーの音が平均的に聴こえるので、一番、理想的なんですよ」

伊勢佐木町は男性がブラッとやって来て映画を観て行くという風習がまだ残っている街だ。「ミニシアターブーム以降は、女性が多くなっていますが、ウチは男女半々。まだまだ男性が映画館で映画を観る文化が残っていますよ」だから“ジャージーボーイズ”を掛けた時は、やっぱりココじゃなきゃ!と映画館の雰囲気ごと楽しもうという男性ファンも多かった。かつて関東屈指の映画街だった伊勢佐木町に残っているのは3館のみだが、今でも弁当持参で、映画館から映画館へ…と、まだまだハシゴが出来る街なのだ。(2015年8月取材)


【座席】 118席 【音響】 SRD-EX

【住所】神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-8-1 ※2018年5月27日を持ちまして閉館いたしました。


  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street