新宿駅から中央線特別快速に揺られること西へ40分ほど…東京の南西部に位置する、多摩地区最大の中核市である八王子市。山を越えるとそこはもう山梨県だ。明治維新以降に生糸・絹織物産業が発展。製品を横浜へ運ぶ物流中継地としても機能していた。昭和20年の八王子大空襲によって街は壊滅状態となるが、高度経済成長期には東京のベッドタウンとして大規模な団地が建設され、次第に多くの人々が流れ込むことで街は駅を中心に放射線状に形成された。駅の北口から、今も新しい店と昔から続く老舗が共存している商店街を8分ほど歩くと、昭和22年に創業された昔ながらの街の映画館…という趣きの『ニュー八王子シネマ』がある。




かつて八王子には4つの映画館があった。明治末に創業された活動写真常設館“八王子演芸館”が、大正5年に日活直営館“第一演芸館”、大正8年に帝国キネマ直営の“第二演芸館”に分かれ、大正11年には松竹キネマ系の“八王子電気館”と、昭和13年に“八王子東宝”が創業を開始。しかし、前述の通り、昭和20年の八王子空襲によって4館の映画館は全て焼失してしまう。甲州街道に闇市のマーケットが出来て、敗戦から少しずつ復興に向けて歩み始めた昭和21年2月に戦後初の映画館“八光館”が開館。街の中心部が現在のような駅前ではなく、駅から10分ほど離れた本町や横山町近辺には、映画全盛の昭和25年から30年代前半にかけて8館の映画館が次々と誕生して娯楽に飢えていた市民が映画館に殺到した。

『ニュー八王子シネマ』は、“タツミ映画興行”が運営していた洋画専門館だったが、昭和27年頃から松竹と日活の封切館となる。ビルのオーナーであるニュー八王子ビル(株)が、映画館を引き継いだのは平成4年。3階に“あんぐら劇場”というピンク映画を3本立て上映をしていた50席にも満たない成人映画の二番館があり、そこが現在の『シネマ3』となっている。昭和13年創業の東宝邦画封切館“八王子東宝映画劇場”の経営を平成12年より引き継ぐも、やはり単独の映画館として存続は難しいという事で平成15年12月に閉館。「それでは、東宝系の作品を掛ける劇場が無くなってしまうと、オーナーは3階に劇場を新設して、継続して上映できるようにしたそうです」と語るのは、支配人の中島幹和氏。後発で出来た3階は、比較的新しいが、4階にある『シネマ1』の場内は昔から殆ど変わらない作りで、今では珍しい木製の扉から昭和の薫りが漂ってくる。前列の頭が邪魔にならないほど傾斜のあるワンスロープの場内は天井が高く、その分スクリーンが大きいので、観やすく迫力ある映像を楽しむ事ができる。「ココは、4階のフロアを丸々使った縦長の場内になっています。おかげで、後方の端に座ってもスクリーンの角度が斜めになる事がないんですね。横に広がり過ぎていないので、どの位置からでも観やすいのです」最近の劇場は、効率の良い空間取りをしているため、コチラのような縦長は珍しい。






逆にギュッと詰まっているのが5階にある『シネマ4』、まるでプライベートシアターの趣きがある劇場だ。赤い壁が印象的な鰻の寝床のように長細いロビー。休憩時間には下ろされているカーテンが上がると、3台のスピーカーとサブウーハーが現れる。座席も肘掛けにカップホルダーが付いているのではなく、前列の背もたれに折りたたみ式のホルダーが設置。「試写室のような小さい劇場ですが…昔ながらの雰囲気が好きだと言ってくれるファンが結構いるんですよ」小品やロードショーが終わりかけた作品が掛かるので、滑り込みのファンからは重宝されている。そして3階にある“あんぐら劇場”を改装した『シネマ2』と新設された『シネマ3』は、シネコン時代に出来た映画館だけに、場内は小洒落たミニシアターという趣きがある。
映画産業が斜陽化と囁かれていた昭和50年代後半に、八王子市内にあった映画館が次々と姿を消していく中で、子供たちの休みシーズンには、扉が閉まらなくなるほどの盛況ぶりを見せていた。近隣にシネコンが増えた現在でも、GWには、名探偵コナン、クレヨンしんちゃん、ドラゴンボール、更には春休みから続くドラえもん…と、子供向け作品でほぼ埋まってしまい、ロビーは大勢の子供たちでごった返すという。「他にも大人向けの話題作をやらなくてはならないですから…1シアターで1日に5回以上まわさなくてはならない。正にフル稼働状態ですが、デジタルになったおかげで、かなり楽にはなったんですよ」駅から徒歩圏という事で、子供向け作品のファミリー層には支持されているものの、若者の観客が減少しているのも確かだ。

「昔の映画館の魅力を持った佇まいなので、常連さんや、久しぶりに来られた方は、昔を懐かしんでくれますよ」座席の間隔はかなり広めに取られており、全席自由なので席につかれてから好みによって前方の列を選んだり、全体を見渡せる後方を選んだり…と、色々試しながら席を決めるお客様が多い。自身も映画館が好きで、休日には地方の映画館巡りをしている中島氏は、自由席という不自由さも含めて映画館を楽しんでもらいたいと語る。「確かに指定席は便利ですけど、実際に座ってみて、“あっ、やっぱコッチにしようかな”と、自由席には縛られない楽しみがありますよね」開場20分前になるとワサワサと観客が動き始めて、スタッフが整理を始める頃から気分も次第に盛り上がってくる…そう、実はここから映画観賞が始まっているのだ。ロビーで待っていると微かに音が聞こえてきたりするのも御愛嬌。「洋画ならともかく、邦画で核心に触れるセリフが聞こえそうになると、慌てて神経を他に向けたり…これを楽しみと取るかどうかなのですが(笑)昔、新宿の映画館で働いていた頃、“アナコンダ”のクライマックスでアナコンダと大激闘するシーンで、中から凄い音が聞こえてくるわけです。ロビーで待っているお客さんたちが口々に“スゲー面白そう”って言ってるんですよ。今から観る映画に対して場内から漏れてくる音で盛り上がってくれる…何か、こういう待ち時間って最新の映画館では無くなってしまいましたが、それが楽しいですよね」せっかく昔ながらの映画館に来たのだからマニアックな楽しみ方をしてもらいたいと語る中島氏の意見に大賛成だ。







その大きな理由のひとつに、“ぴあ”のような情報誌が無くなって、最新の情報は全てネットになってしまった事を中島氏は挙げている。「昔は、“ぴあ”が発売されると、まず買って、観たい作品に赤い線を引いて、その赤い線を見ながら学校やアルバイト先から行ける映画館を追ったりしましたよね。休みの日は、映画館から映画館への移動のシミュレーションして(笑)この冊子を持って歩く行為が大事だったんです。ちょっと時間が空いたら、ペラペラめくって、お目当ての映画館では何をやっているんだろうって…こういう映画館のハシゴをする楽しみって、今の子たちに通じなくなりましたね」映画の内容に関しても今ほど詳しくなく、小さな囲み記事の中に監督と主演の名前と簡単な粗筋が載っていたような時代。聞いた事もないような映画に、タイトルだけで想像を巡らせる楽しみ。例え、大方の予想通りハズレたとしても、それはそれで楽しかった。「今までみたいに、ただ待っているだけではお客様は来てくれない…だから、最初から『ニュー八王子シネマ』で観ると決めてくれるお客様をどうやって増やして行くか…という事を模索しながら、番組編成も“情愛中毒”とか“百円の恋”といった作品も取り入れるようにしています」

もうひとつ…『ニュー八王子シネマ』には、映画の歴史を物語る貴重なお宝があるのをご存知だろうか?今はビルの屋上に続く階段の踊り場に保管されている1930年代にドイツのメーカーが製造した国内に1台しか現存していない“ERNEMANN V 映写機”である。これは、以前、長年映写技師として勤められてきた故・濱崎八男氏が浅草にあった映画館“大勝館”で使われ、東京大空襲の戦火を免れてきた映写機を縁あって入手。濱崎氏が丹念にメンテナンスして、今でも現役で動かせるという。中島氏は何とか、この貴重な財産を活かす事は出来ないだろうか…と考えているという。「本当はロビーに展示したいのですが、どうしても子供向けの番組もやるもので、子供が倒したり、傷つけたりすると取り返しがつかなくなりますからね。どこか然るべき施設とか博物館に引き取ってもらえたら…と思っているのですが」そして、もうひとつ…『シネマ1』のロビーに貼っている新作ポスターを剥がすと、その下に隠れていたロミー・シェナイダー主演の『制服の処女 JEUNES FILLES en UNIFORMES』の板に描かれていた絵看板を見せてくれた。いつの時代に描かれたものなのか…今となっていは何の資料も残されていない。




「ふたつとも、このまま朽ちるのを待つだけだと勿体ない。ポスターは補修してその上から保護セロファンでも貼ろうか…と。何とか延命をしたいと考えていることろなんです」昔ながらの映画館『ニュー八王子シネマ』に残されている、失ってはならない近代日本の娯楽文化を支えてきた品々…是非とも有効的な方法で陽のあたる場所に展示してもらいたい。(2015年2月取材)

【座席】
『シネマ1』218席/『シネマ2』96席
『シネマ3』73席/『シネマ4』44席
【音響】 SRD-EX・SRD(『シネマ4』を除く)

【住所】東京都八王子市横山町13-4ニュー八王子ビル3・4・5階
※2017年1月31日を持ちまして閉館いたしました。


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