四方を険しい山々に囲まれ、寒暖差が激しく厳しい気候の中で育まれた独自の文化を持つ福島県西部に位置する会津若松市。城下町として栄えたこの街にある歴史ある建造物は現代もなお人々の日常に溶け込んでいる。会津若松駅と七日町駅から歩くこと各々20分足らず、昭和35年に設立された『会津東宝』はメインストリートとなる神明通りから横道にそれた閑静な一画に佇んでいる。劇場が立つ七日町には野口英世にゆかりの深い通りや会津若松の基礎を築いた蒲生氏郷の墓所がある歴史と文化に彩られたエリアだ。

「元々“栄楽座”で支配人だった親父が会津若松市内に東宝の直営館が無かった事から、東宝の看板を掲げて始めよう…というのがキッカケで立ち上げました」と語ってくれたのは現在、代表を務める吉川裕一氏。設立当初は250席近くあった単独館だったが、映画が下火になってきた昭和54年に映画館のスペースを半分にして“あいづ東宝ビル”という10軒以上ものスナックや小料理屋が軒を連ねるテナントが入った複合型のビルに改築された。「昔はナイトショーとか実演をやったりしていましたから2階にあった映写室の横には簡易式の二段ベッドを置いて、そこで仮眠をとったりしていましたよ。当時の映写室は暑くてね…エアコンなんか無かった時代だから映写技師さんたちは皆、裸で汗だくになりながらフィルムの掛け替えとかしていました」


高校生の頃から家の手伝いで映写室に入って映写機を回していた吉川氏は当時を振り返る。そんな吉川氏が20年間務めていた自動車の販売会社を退職して『会津東宝』を引き継いだのは平成14年。「親父の体調も良くなかったですから、しばらくは掛け持ちしていましたが、思い切って後を継いだのはいいんですけど、それからがお客さんが入らなくて大変でしたね」吉川氏の言葉通り、平日の午前中は一人もお客さんが入らない事もしばしば…「おかげで、私は支配人兼、映写技師兼、場内清掃と全部やっていますから。誰も来ない時は受付でボーッとしていてお客さんが来たら映写機を回していますよ」と笑う。昭和30年代の最盛期には20館近くあった映画館も次々と閉館され、近所にあった“栄楽座”、“みゆき座”、“会津東映”という3館の映画館が4年ほど前に閉館されて以来、今では市内に『会津東宝』1館を残すのみとなってしまった。今でも吉川氏の思い出として強く印象に残っているヒット作があるという。それは、平成4年に公開された御当地映画である野口英世の生涯を描いた“遠き落日”だ。「現地でロケをするというのでウチの親父が全て手配して、猪苗代にロケ隊が宿泊する宿の手配から撮影場所の折衝まであらゆる事をやっていたのを覚えていますね」


この頃はフィルムコミッションが存在しなかった時代、国定公園である猪苗代湖半にセットを組む許可を得る事は不可能とされていたところを親交の深かった猪苗代の町長に町の発展になるから…と直談判して撮影の許可を取り付け、野口英世の生家を湖畔に設営するに至ったという。また、エキストラも町長自ら地元の住民に参加を呼びかけ、総勢数百名以上の会津若松市民が出演した。「自分が出ているからと、家族で観に来たお客様が場内に入り切らず扉をオープンにしたままエントランスのガラスに暗幕を張ってロビーから観ていただいたんですよ」と、当時の反響の大きさが伺える。「とにかく凄かった。指紋が無くなるくらいお札を数えていたからね(笑)」

昔から通っている年輩のお客様が多い『会津東宝』。館名に東宝の冠を掲げているものの他社の作品も上映されており、夏・冬・春休みのシーズンになると子供向けアニメが主流となる。また、コチラでは小学校の社会科見学の一環で映画館の職場体験を実施。そこで子供たちは映写機とフィルムに直接触れている。「映画の仕組みとか教えてあげると興味深げに色々と質問してきたり…最後に映画を観せてあげると喜んで帰っていきますよ」そこで吉川氏は、映画を観た事がない子供たちが多い事に驚いている。「いつだったか、若いお母さんが終わった頃に迎えにくるからと、子供を残して出て行こうとするから、お母さんの料金はいらないから一緒に観てあげなさいって言った事があるんです。子供が映画を観て感動した時に、その事を共有して話し合える相手がいるのが大切なんです」確かに子供にとって一番の思い出は映画を観終わった後、何を話すか…なのかも知れない。普段は子供の声で賑わう春休みだが、今年は東日本大震災の影響で例年の半分以下にまで激減したという。「ちょうど“ドラえもん”がスタートする矢先の地震でしたから一週間は誰も来なかったですね」幸いにも私設には大きな被害は出ておらず比較的早い時期から劇場を再開する。






「誰も来なかったとしても、こういった辛い状況の中で明るい話題を提供出来るのが映画館の役割だと思うので、毎日開けていたんですけど…」そんな中、大熊町からの被災者が避難している施設に炊き出しのボランティアに参加していた知り合いから、そこで生活している子供たちに笑顔が無いという話しを聞き、映画の招待券を4カ所の避難所の子供たちに無料配布し、多くの子供たちが来場。後日、吉川氏の元に子供たちから“映画のおかげで頑張ろうという気持ちになれた”といった感謝の手紙が届いた。

「私が映画館を続けているのは単純に映画が好きだから…ただそれだけですよ。お客様がハンカチで目を押さえて場内から出て来られると、やっぱり嬉しいですよね」と語る吉川氏は最後にこう続けた。「映画は文化です。お孫さんを連れてきた60過ぎのお婆さんが“ドラえもん”で涙を流していたんですから、映画を観ればやっぱり感動するんです。だから子供向けの映画だろうが子供と一緒に観て欲しい…私はそう思いますね」(2011年4月取材)


【座席】88席 【音響】DTS-ES

【住所】福島県会津若松市中央1-1-8  2012年6月17日より休館中。

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