昭和43年に“伊那映画劇場”という館名でオープンした『伊那旭座2』。本来は現在の場所から歩いて5分程の天竜川沿いにあった“伊那電気館”が道路の拡張工事による閉館に伴い『伊那旭座1』の裏手に松竹・東映・東宝・日活…と、主要大手各社の作品を上映する邦画専門館として設立された。伊那市は上伊那の中心部となっており、行政は勿論、昔から文化が栄えていた街である。





市街には“伊那電気館”“伊那中央劇場”そしてコチラの『伊那旭座』の3館があり、タバタ映画(有)が運営する映画館がもう1館、隣の駅にあったほど集中していた。「私の父より10歳上の兄で私の伯父にあたる創業者は、当時の地方の興行師としては名の通った人でしたので、まぁ映画関係に限らず、色んな人たちを街に呼んできていましたね」と先代、先々代の思い出を語ってくれたタバタ映画(有)の現代表・田畑弘司氏。「伯父は映画だけではなく相撲の興行までやっていましたから…たまたま親戚に相撲の行司をやっている人間がいたから出来たのですが、映画会社とも関係は深く、伊那をロケ地として誘致したり、俳優を招いてはオール伊那という野球チームと試合をしたりと、映画産業を盛り上げるために積極的に活動をしている人でした」という言葉通り、まさに戦後の伊那市における娯楽を一手に引き受けてきた。






以前、映画館周辺は繁華街として賑わっており、今でも年期の入った古い飲食ビルに小さなスナックや小料理屋が営業を続けている。街には大きな工場を誘致しているおかげで若者が少なくなったという事はないのだが、それでも以前のような活気は無くなったと弘司氏は語る。一度は別の仕事に就いて、家業である映画館経営からは距離を置いていた弘司氏が映画館を引き継ぐ決心をした時に感じた事は「もっと商売として儲ける気があるのなら、この建物じゃダメだ…という事でしたね。だからと言って今流行りのシネコンのように何スクリーンもある施設を作れる資本があるわけではない。引き継ぐ時に親父に言ったのは、現状維持で先細りして行くかも知れないけれど、可能な限り守って行くよ…という事でした」夜になると人通りが途絶えてしまう周辺環境に限界を感じていたと語る弘司氏だったが、数年前に木曽町と伊那市を結ぶ権兵衛トンネルが開通した事によって新しいお客様の姿も増えており、中には映画館の古い雰囲気を楽しむために、わざわざ来場されるファンもいる程という。
日本映画の最盛期から数多くの名作を送り続けて来た『伊那旭座2』。昭和20年代後半には、1日に1000人もの観客を動員して場内の扉が閉まらなくなる事はザラだったという。地元・駒ヶ岳でロケーションを行った昭和52年公開の“聖職の碑”はコチラの劇場だけで6万人の観客を動員する程の大ヒットとなり、東京の劇場を抜いて日本一の記録を打ち立てた。他にも“あゝ野麦峠”や“南極物語”といった大作が幅広い年齢層に支持されてヒットを記録している。現在も開場前から入口に座り込んでしゃべっている地元の中高生のグループや子供を連れたお母さんの姿がよく見られ、地方の劇場にありがちな年輩の方ばかり…という印象は少ない。根強い映画ファンにとって感涙モノの映画祭が『伊那旭座1』で、権兵衛トンネルの開通記念として行われた。“昭和”をテーマに伊那市にゆかりのある作品を選出。

伊那谷でオールロケーションを敢行した小林旭、浅丘ルリ子主演の“大森林に向かって立つ”や吉永小百合主演の“愛と死をみつめて”等を上映して多くの来場者が、名作の数々を昔ながらの映画館と共に懐かしんだ。
「こうした、映画館の雰囲気を楽しみに来られるファンがいらっしゃるからこそ、隅々まで手を抜けないですよね」と語る映写技師の西村健一氏は、床のタイルが剥がれていたりすると、上映終了後にはセメントを流し込んだりと、メンテナンス用の大工道具を全て揃えて、何があっても常に対処出来る体制を整えているという。「古くても放ったらかしにしてある劇場にはしたくないんですよ」という西村氏の言葉通り、『伊那旭座1』と『伊那旭座2』の2つの映画館は、歴史と風格に溢れた堂々たる出で立ちで我々観客を迎え入れてくれる。
(2009年10月取材)






【座席】 204席 【音響】DS

【住所】長野県伊那市荒井3400番地 【電話】 0265-72-2188

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