広島市の中心部に位置する新天地―。戦前、この界隈は寄席や芝居小屋、映画館が建ち並ぶ興行の中心地であった。映画館“帝国劇場”周辺はカフェやレストラン、遊技場等が軒を連ねる歓楽街として、昼夜問わず多くの人々で賑わっていた。戦後、原爆によって廃墟と化した新天地は、復興組合を結成して瓦礫を取り除き、“帝国劇場”の焼け跡にバラックで数十軒の商店街と40坪余りのバラック劇場“新天地会館”を建てて興行を開始、絶望の縁にいた広島市民に娯楽を提供したのである。少しずつ広島にも復興の兆しが見え始め、地元にプロ野球が誕生し、映画館の数も増え市内だけでも20館近くがひしめき合う程、映画が娯楽の中心となった。そんな昭和26年9月、中央通り沿いに面する場所に、バラックの劇場から一転してオーケストラボックスとステージを有する松竹映画封切館“新天地劇場”がオープンする。当時は映画だけではなく歌謡ショー等の実演も行う“白亜の殿堂”と呼ばれ、オープンを記念して松竹映画“麦秋”を京阪神に先駆けて公開する他、笠置シズ子や近江俊郎のアトラクションや、辰巳柳太郎率いる新国劇による“国定忠治”や宝塚歌劇団の公演などで多くの観客が訪れた。


その翌年8月より“新天地劇場”から館名を『広島宝塚劇場』と改め、東宝洋画系ロードショウ劇場として“陽のあたる場所”や“誰がために鐘は鳴る”等の大作を公開。“風と共に去りぬ”では初の指定席興行を行い大ヒットを記録する等、中国地方興行界をリードしていた。そして高度経済成長期を経て庶民の娯楽も多様化する中、昭和46年8月、単独館だった『広島宝塚劇場』は、映画館、ボーリング等の遊技場、飲食店を有するレジャービル“広島宝塚会館”として生まれ変わる。


地下1・2階に432席を有するヨーロッパ映画を筆頭に世界の名作を上映する特選洋画劇場“広島宝塚地下劇場”と地上3〜5階に70mm上映が可能な674席を誇る大劇場『広島宝塚劇場』の2館体制で再スタートを切り、翌年に『広島宝塚劇場』で公開された“ゴッドファーザー”が大ヒットし、広島興行界での入場新記録を樹立した。現在は、関西共栄興行(株)が運営を行い、館名を『広島宝塚劇場1・2・3』と改名。3館体制で東宝日劇系の洋画・邦画を中心にプログラムを組んでいる。「広島は、昔から映画館が元気のある街だと思います」と語ってくれたのは支配人の鳥山義博氏。「路面電車が街を縦横無尽に走っており、街の中心部が元気のある街なのです。ですから、お年寄りやOLの方が買い物帰りや仕事帰りにお気軽に立ち寄っていただいています」新天地は、ファッションビルが建ち並ぶ本通り、老舗デパートのある相生通り、そして繁華街として栄えている流川町に面しているおかげで幅広い年齢層の人々が通りを行き交い、その中心にあるのがコチラの劇場である。


エレベーターで3階に上がると右手にチケット窓口があり、その横に60席程の小劇場『広島宝塚2』が…ロビーを挟んで左手の扉を開けると対照的にスタジアム形式の大劇場『広島宝塚1』が存在する。500席以上のキャパを有する劇場は市内でも数館しか存在しないため広島市内で舞台挨拶等のイベントを行う際はコチラの劇場がよく使われるという。地下にある『広島宝塚3』も昔と変わらぬ広々とした空間でゆったりと映画を満喫出来る空間となっている。「ただ『広島宝塚2』は小さい劇場ですのでお客様には本当に申し訳なく思う時があります」長年、映写技師をされていた鳥山氏は映写室から見える場内の様子が楽しみだった…と語る。「映写窓から同じシーンで一斉にお客様が驚いたり泣いたりされる光景を見ると、これに勝る喜びは無いですね。例え10人くらいしかお客様がいらっしゃらない作品でも、その映画を観たくてわざわざお越しいただいているわけですから、同じものを観て同じ感動を共有できる見知らぬ者同士が連帯感を味わえるのが映画館の良いところだと思います」という言葉を聞いて映画館の魅力は、戦後、広島の人々が笑顔を取り戻したバラック劇場の頃と何ら変わっていないのだと感じた。(2008年9月取材)

【座席】
『広島宝塚1』588席/
広島宝塚2』62席広島宝塚3』396席
【音響】
『広島宝塚1・3』SRD-EX・DTS・SRD

【住所】
広島県広島市中区新天地2-10広島宝塚会館3F・B2
2011年8月末日を持ちまして閉館いたしました。




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