東京の一番外れ…神奈川県との境―多摩川に隣接する街、蒲田。映画ファンならば、訪れた事は無くても、その名を知っているであろう“キネマの天地”だ。大正9年、この地に出来た“松竹蒲田撮影所”から数多くのスターが誕生し名作が世に送り続けられた。JR京浜東北線“蒲田”駅では“蒲田行進曲”のメロディーが発車のベルになっているほど蒲田と映画の結びつきは深い。映画最盛期である昭和30年代前半には蒲田駅周辺だけでも20館以上の映画館が建ち並んでいた。そんな映画の街、蒲田も映画産業の斜陽化に伴い映画館が減少し、今では2館を残すのみとなってしまった。正に映画全盛期の昭和39年にオープンした東映邦画専門館の『テアトル蒲田』と東宝邦画専門館の『蒲田宝塚』は、駅前から続くアーケード商店街“サンロード蒲田”の中にあり、運営は同じアーケード内にある百貨店が行っているユニークな映画館だ。


劇場がある“東京蒲田文化会館”にはスーパーマーケットや遊戯施設等が入っており、小さなシネコン…と、言っても良いだろうか。控えめな館名の看板の下で一際目立つ上映作品のポスターを掲示するショーケース。立ち止まって見つめる子供の手をお母さんが引っ張る光景が見られる街の映画館だ。「以前あった多くの映画館も年々閉館して、今じゃ蒲田に映画館はウチだけになってしまいました。」と笑いながら語ってくれた支配人の亀井昭彦氏。映画の街と呼ばれていた蒲田も“蒲田行進曲”の中でしか片鱗を感じる事はなくなってしまった。周辺にオープンし続けるシネコンの影響は大きいと言うものの「昔と違って若い人たちは川崎や品川に流れて行ってしまいますから…ウチみたいに駐車場が無いとなると不便に感じるのでしょうね。ですから逆に親子連れや年輩のお客様は数多く来ていただいているのです」と、続ける亀井氏。確かにコチラの劇場も全国にある街の映画館と同様、子供とお年寄りという二極化が進んでいるものの、子供の休みシーズンである春・夏・冬のアニメーションの時期になると初日は、ほぼ満席になるという程(普段は閉鎖されている2階席もこの日だけは開放するという)の盛況ぶりを見せている。


『蒲田宝塚』のロビーには過去最高記録を残した“ゴジラvsモスラ”の記念の盾が壁面に飾られていたり、事務所には“ドラえもん のび太の日本誕生”が、動員数の新記録を樹立した感謝状が飾られる等、アニメと特撮の圧倒的人気がうかがえる。こうした親子連れの映画の時はお母さんが子供だけを預けて、ゆっくり買い物をしてから、映画が終わる時を見計らって迎えに来るという商店街の中にある映画館ならではの光景もよく見られる。また通常の時期は、圧倒的に年輩のお客様が多く、昨年公開された“明日の記憶”は最高の成績を残したという。

エレベーターで4階に上がると、すぐそこは劇場のエントランス。チケット窓口を中央に向かって左が『蒲田宝塚』右が『テアトル蒲田』となっている。3階と4階の間にある階段の踊り場には昔ながらのポスターを貼るショーケースがあったり、入口上に設置されているアクリルの電飾が懐かしい姿で残っていたり…思わず童心に戻ってしまう空間がココにはある。


最近の映画館では珍しくなった2階席が現役で頑張っているのも特徴のひとつだ。「元々、劇場が入るのを前提にビルの設計をしていましたから、シネコンの広さに慣れた若いお客様が場内に入ると“結構、広いんだ〜”と驚かれますね。昔の映画館って、どこもこれくらい大きかったんですけど、これも時代の流れでしょうね」と言われる通り、ワンスロープ式の場内はビルの中にあるとは思えない程、天井が高く広々とした解放的な作りになっている。場内をリニューアルしたばかりのシートは前列の頭が邪魔にならないよう左右をずらし、また座り心地も抜群で、大きなスクリーンを前にして思い思いの場所を陣取って映画に食い入る子供たちの姿は昔の映画館と何ら変わりがない。
活気のある商店街を歩くこと5分…まるで時が止まったかのような昭和歌謡の雰囲気漂う街にしっかりと溶け込んだ映画館。映画を観た後ちょっと街をブラブラ散策してみると、ガード下に美味しい料理屋があったり思いがけない発見があったりする。街で映画を観るという事は、街を含めて楽しむ事なのだ。
(取材:2007年4月)

【座席】 『テアトル蒲田』244席/『蒲田宝塚』279席 【音響】 SR

【住所】 東京都大田区西蒲田7-61-1 ※2019年8月29日(蒲田宝塚)・9月5日(テアトル蒲田)を持ちまして閉館いたしました。

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