昭和30年代、子供心に映画館とは怪しい場所だった。けっして一人では行ってはならない、親に連れられてアクションやファンタジーに心躍らせても、一人では行きにくい場所―だからこそ、初めて一人でチケットを購入して入り口をくぐる時は大人になった(ちょっと悪になった…と、言った方が良いかも知れない)気分を味わえた。そんな雰囲気は映画館の外観から滲み出ていたものだったが、最近はテーマパークのような外観だったり、洗練されたオシャレな装飾を施していたり…映画館のイメージが変わってきつつある。しかし、昭和36年12月にオープンし、現在も現役で頑張ってくれている『静岡ミラノ』は、その特異な風貌から今でも昔ながらのイメージを醸し出してくれている。今では使用されていないが、石を敷き詰めて作られたかつての出札(チケット売り場)で、背伸びをしてチケットを購入した想い出は風化せず45年という劇場の歴史と共に歩んで来たに違いない。3スクリーンを有するコチラの劇場の歴史は古く、昭和初期にあった“立花館”が、昭和15年の静岡大火と昭和20年の静岡空襲によって、焼失し“銀座劇場”として生まれ変わり、そして現在の『静岡ミラノ』に建て替えられたというわけだ。


オープン当時—時代はスタジオシステムから離れ、独自の映画を作ろうとした作家が増え、ATGが発足された頃である。「大劇場を作るよりも、ATG作品を掛けられるような小規模の劇場…今で言うミニシアターの役割を担った劇場を作ったわけです」と、映画興行支配人、佐藤選人氏は語る。現在1階にある『ミラノ3』と地下にある『ミラノ2』は、元々、2階席のある1つの劇場で、館名は“静岡日活劇場”…その名の通り石原裕次郎が全盛期の頃の日活映画封切館だった。「元々、静岡市内には別の日活映画を上映していた劇場が2カ所あったのですが、当時の勢いは凄かったらしく、客を収容しきれなかったのでしょうね…日活の方から、是非日活の封切館を作って欲しい…と、いう要望があったわけです」と言われる通り、当時の日活映画の人気は場内の扉が閉まらない程、社会現象を起こしていた。

昭和40年代に入り、日活がロマンポルノの製作に方針を転換、成人映画の上映を行っていた。それから、館名を“日活並木座”に変更した後、1階席と2階席を切り離して、各々独立した劇場に改修。1階の劇場名を“カブキ座”として洋ピン(外国ポルノ)の上映を、地下の“日活並木座”では引き続き、日活ロマンポルノの上映を行っていた。しかし、次第に成人映画もレンタルビデオの普及に伴い、陰りを見せ始めた。それまで2館で上映していた成人映画も地下の“日活並木座”のみで行い、ロッポニカの上映を行う頃に館名も現在の『ミラノ2・3』となった。






その後、『静岡ミラノ』では成人映画から完全に撤退し、邦画、洋画を問わずあらゆる名作・話題作を上映している。ちなみに、現在、成人映画は隣の“静岡ピカデリー”屋上に建っている“静岡小劇場”で行っている。ATG映画の上映を中心に、フランスのBOWシリーズ等、まさしくミニシアターの走りとも言える形態を成していた『ミラノ1』は元々2階席のある小劇場であり、現在は使われていないが、ロビーには当時の面影が今も残っている。ガラスのショーケースには昔使用されていた年代物の巨大な映写機が展示されており、“七ぶらシネマ通り”のイメージ作りに大きく貢献している。

ワンスロープ式の『ミラノ1』は天井が高く、広々としており、さらに抑えた照明が快適な空間を実現している。同様に『ミラノ2・3』も落ち着いた雰囲気を持った劇場だ。ロビーのケースに飾られる映画の関連グッズやお菓子…ロビーに漂う45年という歴史から醸し出される薫りは、忘れかけていた映画館で映画を堪能する喜びを思い出させてくれる。(取材:2006年6月)

【座席】
『ミラノ1』240席/『ミラノ2』120席/『ミラノ3』222席
【音響】
『ミラノ1』DS・SR・SRD/『ミラノ2』『ミラノ3』DS・SR

【住所】静岡県静岡市七間町17 
※2011年10月2日を持ちまして閉館いたしました。

 


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