大阪の古くからの繁華街、難波は元々数多くの芝居小屋が建ち並ぶ映画・演劇・寄席等、興行街であった。大正時代には“楽天地”が、昭和に入ると“歌舞伎座”“浪花座”などがオープンし現在も尚、昔と変わらぬ姿を残している。道頓堀から続く千日前のアーケードは国内でも少なくなった映画街のひとつで、ミナミの中心部に位置する場所に『千日前国際シネマ』がある。昭和31年に東映の封切り館としてオープンして以来、数多くの日本映画の名作を贈り続けている大劇場だ。開館当時は東映の任侠ものが大人気だった事もありどちらかというと硬派な男性客がメインで高倉健、鶴田浩二の男気溢れる姿に男性たちは一喜一憂したものだった。昭和40年代に入ると深作欣二監督の“仁義なき戦い”シリーズが大ヒット、時代は変わって平成15年、深作監督の遺作となった“バトルロワイヤル2”に男女を問わず若者たちが連日押し寄せていた。数年前に外観を全面改装し、昔の手描き看板は姿を消してしまったがロビーや場内は昔のままの面影を残してくれているのがウレシイ。


チケットを自動販売機で購入してすぐ左手に懐かしいショーケースに映画のパンフレットやスナックが並ぶ売店がある。ロビーの向こうに中庭が見えるのだが、何と場内へはその中庭を通って入場する。外観はすっかり新しくなったものの中庭の向こうには昭和の時代を映画一筋に生き抜いて来た昔と変わらない劇場が在る。赤い絨毯を真っすぐ歩いて行くと右手に今は使用されていない喫茶店がある。カウンターだけの狭いながらも温かい憩いのスペースとして昔は上映までの待ち時間を多くのお客様がコチラで過ごしたものだ。

今では通路沿いに長椅子が置かれており天気の良い春先は心地よく映画が始まるまでの暇つぶしが出来る。仁侠映画全盛の頃、映画を観てその気になった男性客が数人で大太刀回りをして警察を呼ぶ等、今では考えられないエピソードもある。建物に入ると目の前に1階席への入場口と2階席へ上がる階段が…しっかりとしたコンクリートの壁が重厚感を帯びており、ふと喫煙所を見ると使用しなくなった劇場のシートが再利用されているのがユニーク。階段の途中には、どのように使えば良いのか分からない非常梯子が壁に掛かっており、一気に昭和の時代へタイムスリップしてしまう。どこに行っても同じような映画館ばかりで昔のような映画館が持つ特徴が無くなって来たと言われているがコチラの劇場に来れば思わず場内を探険したくなるだろう。

場内は、今では数少なくなった2階席が設けられており1階席の両サイドには、どっしりとした柱が並び、ワンスロープ式の1階席は縦に長く左右を3つのブロックで分けられている。スクリーンの上には電飾のアクリル板に「封切 国際シネマ」の文字が書かれているのが懐かしさを感じる。通常の2階席がある劇場に比べて天井が高く開放感があるのも特徴的。昔からの常連は自分のお気に入りの席にこだわって鑑賞しているという。


そしてコチラの劇場最大の特徴はグルリと1階席をコの字型に取り囲む2階席だ。スクリーンを正面にしたスタジアム形式の座席と左右に1席ずつ桟敷席が設けられている。スクリーンに向かって角度が付いているこの座席は前述した元々映画館の造りは芝居から映画に転換した時代に芝居小屋の設計ををベースにしており、その名残のようなものだという。満席になると桟敷席の前にある手摺に身を乗り出して一生懸命映画にかじりつく姿は昔の仁侠映画に興奮した男たちも、窪塚洋介主演作品に歓喜するイマ時の女子高校生も何ら変わっていない事に気付かされる。だからこそ映画は性別・年齢関係なく、いつの時代も楽しめる文化なのだ。地下街の発展によって次第に街の様相が変貌していき、こうした歴史のある劇場が姿を消して行く現在。現役で次々と最新作を贈り続けているコチラの劇場は往年の映画ファンにとってありがたい存在。薄っぺらいノスタルジックな流行りだけではなく映画館で映画を観る醍醐味を味わいたければ是非、コチラに足を運んでいただきたい。(取材:2003年7月)


【座席】 564席 【音響】 SRD・DTS

【住所】 大阪府大阪市中央区難波3-1-36 ※2008年3月31日をもちまして閉館いたしました。

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