戦前・戦後と東京の中心部だった銀座・日比谷界隈。当時、映画が娯楽の花形だった時代において、映画会社と直営館が集結していた。晴海通りから、日比谷交差点の手前にある帝国ホテルに抜ける500メートル足らずの通りに、東宝直営の大劇場が建ち並ぶ東宝日比谷映画街があった。まず通りの入口には、昭和9年2月1日に開業した円形の外観が特徴的だった客席数1375席の大劇場『日比谷映画劇場』と、その隣には翌年に開業して以来、多くのファンを魅了し続けて来た1572席の客席数と70mmを完備する大劇場『有楽座』がハリウッドの話題作を中心に、各国の名作を贈り続けていた。更に歩みを進めると、その隣には東宝邦画チェーンのマスター館だった『千代田劇場』と、その向かいには昭和30年に開業した客席数1197席を有する『スカラ座』、そして突き当たりの御幸通りに面したところには女性向けの映画に定評のある『みゆき座』がある。この通りは映画館だけではなく、宝塚歌劇団の“東京宝塚劇場”と東宝本社ビルには演劇場“芸術座”などが建ち並ぶ興行の街だったのだ。

日本における映画黄金期の昭和20年代後半は正に『日比谷映画劇場』の絶頂期と言っても過言ではなかろう。大作ばかりではなく“ローマの休日”や“麗しのサブリナ”などの恋愛映画から“めまい”や“北北西に進路を取れ”などのヒッチコック作品、昭和30年代には007シリーズなどのアクション映画で時代をリードしてきた。テレビの台頭によって映画業界が斜陽産業と呼ばれていた昭和40年代においても着実にヒット作を連発。常に『有楽座』と肩を並べる番組編成で、お盆・正月興行の呼び込み合戦は日比谷映画街の名物となった。昭和50年代には角川映画“犬神家の一族”と“人間の証明”が日本映画としては久しぶりの大ヒットを記録。更にその記録を塗り替える“南極物語”の桁違いの来場者数は今も語り種となっている。このように、半世紀に亘って東宝日比谷映画街のシンボルだった『日比谷映画劇場』も昭和59年11月11日…日比谷再開発によって、多くのファンに惜しまれながらも“生まれて半世紀! さよならフェスティバル”の最終興行で、『有楽座』と共にその役目を終えた。


そして『日比谷映画劇場』という館名は『千代田劇場』に引き継がれ、同年10月27日より『日比谷映画』という館名で、東宝洋画系のチェーンマスター館として新しくオープンした。昭和32年4月14日に東宝会館の1階に、“続・サザエさん”と“「動物園物語」より象”をこけら落としでオープンした『千代田劇場』は、45年という長い歴史の中で数々の日本映画の名作を公開してきた。その中には、東宝のドル箱である駅前シリーズや若大将シリーズを筆頭に、ゴジラシリーズ、山口百恵シリーズ、そして空前のヒット作となった“日本沈没”など日本映画を語る上では忘れられない作品や『日比谷映画劇場』の最終上映作品ともなった“風林火山”がラインアップされている。また、かつては“キネマ旬報”の年間ベストテンに選ばれた作品や出演者たちの表彰式会場としても使われていた。

「昔と違って日比谷という場所はあまり騒がしくない落ち着いた雰囲気のある場所なので、映画を観る環境としてはとても良い場所だと思います。日曜日の昼間などはファミリーの方が多くいらっしゃいますから、ある意味適度に賑わっている街ですね」と語ってくれた副支配人の都島信成氏。渋谷・新宿の雑踏とは異なり、近くには日比谷公園があるコチラの場所は映画を観終った後、余韻を楽しみながらブラブラと近所を散策するには理想的な場所とも言える。『日比谷映画』となって最初の作品は、イタリアのドキュメンタリー“魔界の大陸”と、地味なこけら落としだった。これは、まだ『日比谷映画劇場』が、さよなら興行をしている最中だったため大々的なプログラムを組めなかったためだ。その後は、角川映画や伊丹十三監督作品などの邦画と交互に、洋画のサスペンスやアクション映画を中心に構成されている。これは、まさしく旧『日比谷映画劇場』のイメージを忠実に継承している現れだ。


薬師丸ひろ子主演の“Wの悲劇”をオープニング第二弾として公開すると劇場前には長蛇の列が出来た。続いてコンスタントに“ビルマの竪琴”や“マルサの女”など日本映画のヒット作を連発する。洋画としては、“モーニング・アフター”や“シザーハンズ”といった作家性の高い良質な作品から、“バタリアン”や“ザ・フライ”といったホラーに至るまで、ハリウッドメージャー系作品の中でも、A級やB級を取り混ぜたごった煮感覚で上映している。最近のヒット作として“U-571”が挙げられるように、『スカラ座』の改装中は男性客をターゲットとした戦争・アクションものが多かった。

通りに面した窓口でチケットを購入(ロードショウ館としては珍しい完全入替制)して一歩ロビーに入ると意外にシンプルなロビーが姿を現わす。ところが目の前の階段を上がって行くと、そこにもうひとつのロビー…2階部分からは客席の最後尾に入場出来る。場内に入ると、まず劇場の奥行きと客席中央から分かれた急勾配の傾斜が付いたスタジアム形式の設計となっているため、その開放感に圧倒されるだろう。傾斜が強いために客席の後半は実に鑑賞し易く前列の人が邪魔になってスクリーンが観えにくいという心配がない。しかもそのスクリーン自体が大きく迫力ある映像が楽しめるという特長を持っている。「これから、年輩の男性をターゲットに絞り込んだ作品を掛けていっても良いのかな…と思っています。年齢が上のお客様のニーズに合った作品を上手く獲得していきたいですね」と言葉通り客層としては年齢層は比較的高く特にアクション作品ともなると年輩の男性が一人で来られるケースが多い。

ブラリと映画を観に来て銀座でちょっと美味しいものを食べて帰るといったコースは落ち着いた雰囲気を持つ場所だから出来る事でもあるのだ。とは言うものの興行されている立場から考えると「もう少し、せめて有楽町マリオン付近位の賑わいも欲しいですね。それには映画や演劇だけではなくココの地域全体を盛り上げていけるような施策を考えないといけないと思っています。日比谷シャンテもデパートとしてはかなり特長がある施設ですから…もっと、この場所の良さを認識してもらえたらと思います」日比谷映画街の良さは映画ファンならずとも満足できる場所なのだ。そんな通りにあった『日比谷映画』も取材から間もない平成17年4月8日、東宝会館建て替え工事に伴い半世紀に及ぶ歴史に幕を下ろした。ここで71年続いた『日比谷映画』という館名は消滅する事となる。(取材:2001年11月)


【座席】648席 【音響】SRSRDDTSSRD-EX

【住所】東京都千代田区有楽町1-2-1 ※2005年4月8日を持ちまして閉館いたしました。

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