明治17年、浅草寺が公園に指定され近隣の地区は7つの区画に分けられた。“浅草六区映画街”は、その名が示す通り映画館が建ち並ぶ興行街として昭和40年代まで多いに賑わっていた。「現在では、この通りも浅草六区ブロードウェイと名前が変ってしまいましたけど、やっぱり昔ながらの馴染みのある人々にとってココは“浅草六区映画街”なんですよね。」と語る西沢浩副支配人。お客様からの問い合わせや場所の説明も昔からの呼び名の方が通りが良いという。雷門通りからすしや通りを抜けて“花やしき”のある、ひさご通りへ歩いて行くと突き当たりに『浅草東映』が建っている。ちょうど映画街の奥座敷に構えているかのように正面に見える大きな看板。この看板に数々の名作が掲げられ、東映映画への期待を膨らませてくれた。1階にはメインとなる『浅草東映』が、そして同じ入口から2階へ上がると『浅草東映パラス2』、そして正面左手の階段を降りた地下に『浅草東映パラス1』が存在する。ロビーには歴史の重みを感じさせる太い大理石の柱があり、また『浅草東映パラス1』のエントランスの床にも創業以来映画という文化の歴史を支えてきた重厚な大理石が施されている。昭和30年代に建てられた当初、『浅草東映』と『浅草東映パラス』の2館だった。昭和40年に入って『浅草東映』の2階席を分割して『浅草東映パラス2』が誕生した。「当時は映画の全盛期だったんでしょうね。劇場を多く造って、より多くの映画を上映することが必要だったんですよ。」この劇場はその名が示す通り東映の直営館であるが、『東映パラス』の方では特にチェーンに属してはおらず、洋画・邦画問わず良質の作品を時にはロードショウ公開し、時にはムーヴ・オーバー館として展開されている。実は浅草には意外にも松竹の映画館は存在しておらず今から1年ほど前までは地下の劇場を松竹に貸していたという。勿論、今でも松竹系の作品をかけているのが特徴的だ。

▲浅草東映の場内とロビー風景
夏休み、春休みになると下町に住む小学生たちがお小遣いを握り締めて友達同士で自転車をこぎながらアニメフェアにやって来る。両親に連れられてアニメを観に映画館へ来ていた子供たちが自分たちだけで映画を観る光景。劇場内でお菓子を買って、ちょっとだけ大人になった気分を味わう…。そんな小旅行を体験しながら少しずつ成長していく。映画館には、そういった大人の入口みたいな不思議な雰囲気があった。今でもココの劇場には、そんな小学生たちが集まってくる。映画が終った後、うんちくを語りながら仲間と一緒に帰路に付く。どこか懐かしい想い出が、この劇場に来ると色鮮やかに甦ってくるのだ。「小学生がメインのアニメが強いと言ってもその作品が対象としている年齢層にもよりますよね。やっぱり自転車で行動出来る年齢層は入りますけど、これが高校生になってしまうと地元の映画館というよりも渋谷とかに行ってしまうんでしょうね。」と頭をかく副支配人だが、「けっこうウチはシニアの方も多いんです。浅草の街には昔からこの土地に親しまれている方が大勢いらっしゃいます。そんな古くからのファンがブラリと映画館にやって来ては映画を楽しんで帰って行く…そんな光景が良く見られます。」鯔背な昔気質のお爺さんたちが“映画はやっぱり浅草だよ”と地元の映画館に足を運ぶのである。「とは言っても、もっと若いお客様にも来ていただきたいですね。まだウチの劇場で洋画もかけているという認知度が少ないので、今後も洋画をどんどん掛けていきたいと考えています。」と言われるように見逃してしまった最近の洋画を積極的に上映している。
 ▼浅草東映パラスの場内とエントランス


ここ浅草というロケーションは映画だけではなく、映画を観終った後の楽しみも数多い。昔の映画・演劇ファンが浅草で映画やオペラを鑑賞後、必ず立ち寄ったデンキブランの老舗“神谷バー”、仲見世で焼たての煎餅を買って映画を観る…なんて、たまには昔ながらのコースをたどってみるのもオツな映画鑑賞方ではないだろうか?「映画館というのは見知らぬ人々と同じ時間を共有しながら誰にも邪魔されずに映画を観れる矛盾した空間…その矛盾が映画館の魅力と思っています。」下町の風情あふれる場所でそんなひと時を過ごしてみては?(取材:2001年5月)


【座席】 『浅草東映』469席/『浅草東映パラス』456席/『浅草東映パラス2』266席 
【音響】 DSSR(浅草東映)

【住所】 東京都台東区浅草2-14-2   ※平成15年5月22日を持ちまして閉館いたしました


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