最近のテレビドラマで、長澤まさみの弾けた演技が話題の『コンフィデンスマンJP』が飛び抜けて面白い。大仕掛けで金持ちや権力者から大金を鮮やかに騙し取る詐欺師集団の話で、ラストの種明かしで観客も騙されていた事が判明する。思わず「お見事!」と言いたくなる。随所に昔の名作映画へのオマージュもあったりして映画ファンも思わずニンマリ。このドラマの良いところは個人ではなく、各人一芸に秀でたプロフェッショナル集団であること。普段は個々の生活を送っている詐欺師たちが、ひと声掛かると集まって来て各々の役割を務め上げる。このドラマの骨子は周知の通りジョージ・ロイ・ヒル監督の『スティング』にある。そもそも「コンフィデンスマン」とは「自信のある男」とか「秘密の男」を語源とする隠語で、「詐欺師」「ペテン師」という意味だ。

ロバート・レッドフォードとポール・ニューマン演じる二人の詐欺師が騙す相手は、仲間の詐欺師を殺したロバート・ショー演じるギャングの大ボス。レッドフォードが敵討ちの計画を持ちかける時に説明する「殺すのは嫌だから騙す事で仕返しする」というのも気持ちが良い。プロのメンツにかけて血を流す事なく復讐を果たす…そのために各分野のプロフェッショナルが、ターゲットを徹底的にリサーチして周りを固めて行く過程に本作の面白さがある。映画は6つのパートに分かれており、紙芝居のようにスコット・ジョプリンが奏でるラグタイム・ピアノの調べと共に、ペラペラめくるように物語が進行するセンスの良さ。そのタイトルも小洒落ていて実に楽しい。

マービン・ハムリッシュのクラシカルな名曲のオープニング明けに映し出される1930年代のシカゴ近郊の下町風景。アカデミー賞に輝いた美術が光る。ギャングの運び屋とも知らずに、道路師と呼ばれる詐欺師が、すり替えという手口で大金を奪うシーンから物語は始まる。現役詐欺師たちから一目を置かれるレッドフォードの師匠に扮するロバート・アール・ジョーンズが実に渋いイイ味を出している。角川映画の『人間の証明』にも重要な役で出演していたが、ダースベイダーの声をやったジェームズ・アール・ジョーンズのお父さんでもある。師匠の奥さんは弟子の仕事ぶりを讃えながら「アタシはすり替えはのろかったわ」と笑う。詐欺師家族である。師匠は奪った金額の多さから危険を察知して弟子のレッドフォードを詐欺師の元締めであるニューマンに預ける矢先に殺されてしまう。そこから詐欺師集団が一丸となった弔い合戦が始まる。集まるスゴ腕の詐欺師たちも儲けは二の次…というのがイイ。

まずターゲットの趣味嗜好を念入りにリサーチして、どんな手口で騙すかが決まってから仕込みを始めるまでの話の運び方は、一瞬たりとも観客の関心を外さない小気味よいテンポで進んで行く。ポーカーと競馬に目が無いと知るや、早速、ポーカーで餌を巻く。『ハスラー』で披露したビリヤード技を彷彿とさせる、吹き替えなしのニューマンの鮮やかなカードさばきに感服する。イカサマポーカーで大勝して、競馬のノミ屋で大仕掛けを仕込む緩急自在の展開に、ひと時たりとも目を離す事を許さない。大物を釣り上げるためには大金を惜しまず、ノミ屋施設に改装する業者までもが仲間で手慣れているという設定も冴えている。

通常、競馬などの公営競技で行われる賭け行為は国で運営する馬券売場は配当金の支給率は決められている。しかし、ノミ屋とは、届け出のない闇で解説する私設の馬券売場であれば国への納付金が収められていないため、その分多くの配当を利用者は受け取ることが出来る。日本では勿論、これは違法行為だがアメリカでは州によっては合法化されているところもあるという。劇中では、このノミ屋の場外馬券売場を即席で作って、店のバックヤードでニセのアナウンサーによるニセの実況中継を場内で流して、ターゲットに信じ込ませるというのが今回の手口というわけだ。こうした狙った相手を信用させるために用意した大掛かりな施設を「吊り店」というそうだ。パンフレットには、劇中に出てくる詐欺師各々の職種が、その世界での呼び名と共に紹介されており、とても勉強になった。

何より素晴らしいのは、観客はターゲットが騙される過程を客観的に見ているつもりでいたら、いつの間にか我々も騙されていた…という二重構造。デイヴィッド・S・ウォードが手掛ける脚本の巧妙さには、参りましたと言わざるを得ない。普通、こうしたドンデン返しの映画は、一度観たらそれで充分なのだが、詐欺師たちそれぞれのキャラクターが際立っていて見応えがあるので、何度観ても楽しい。それは脚本だけに頼らない屋外のロケーション撮影の場所選びや要所要所に登場するクラシックカーなどの徹底したこだわりの賜物だろう。

不謹慎かも知れないが、以前、都内の一等地にあった使われないまま残っていた旅館を騙して売り捌いた老人たちの事件が世間を賑わせていたが、大企業を手玉に取ったあの老人たちに、ちょっとワクワクした自分がいた。