この映画に出てくる子供たちはよく走る。授業が終わって教室から出てくる時に走る、昼食が終わって表へ出る時に走る…とにかく何かといえば全力で走る。ところがラストでは、子供たちに反抗された大人たちが慌てて走る…というより逃げる。なんて爽快なラストなんだろう。『小さな恋のメロディ』は、日本で大ヒットを記録してヒロインのトレイシー・ハイドは、当時の映画雑誌「ロードショー」の表紙を飾り、何度も特集グラビアが組まれるなどティーンの人気者となった。僕はというと、この映画は何度もリバイバル上映されていて、その度に映画館に足を運んだほどだ。プロデューサーのデビッド・パットナムが『キリング・フィールド』のインタビュー(パンフレットより)で、自身が初めて製作した『小さな恋のメロディ』を認めてくれたのが日本の観客だから日本人が好きです…と、話してくれていたのが自分が褒められたように嬉しかった。

恋に落ちる主人公ダニエルとメロディは11歳の中等教育学校に上がったばかり。日本と教育制度が異なるイギリスでは11歳を期に小学校から、ひとつ上の学校に変わる。日本では12歳から中学生なので1年早い事になる。ダニエルはある日、バレエの練習をするメロディを見かけて、たちまち心を奪われてしまう。だからと言ってまだ子供のダニエルはなかなかメロディに話しかけられず遠くで見ているだけなのが身につまされる。演じるマーク・レスターのオドオドした立ち振る舞いがあまりに自然で感心する。女の子たちで集まって好きな映画スターの話で盛り上がっている様子を覗き見しているのが見つかって、知らんぷりを装うダニエルに親近感がわく。外人ってもっとフランクだと思っていたのだが、このシーンで日本もイギリスも男の子の行動は変わらないのだなぁと新鮮だった。

印象に残る詩情豊かなシーンが幾つもある。二人が音楽のテストで待機するシーンだ。メロディがたて笛で吹く課題曲にダニエルがチェロで被せる。音楽を介して二人の距離が縮まる可愛い演出は、長編映画のワンシーンではなく、独立した良質のショートフィルムを観ているようだった。そしてもうひとつ、放課後に二人が立ち寄った子供たちの遊び場となっている墓地(イギリスでは日本より墓地は身近な場所)で、メロディが50年愛し続けた夫婦の墓標を見て「そんなに愛し続けるのは無理だわ…」と言った時にダニエルが返す「愛し続ける。もう一週間愛してるよ」という言葉が実に子供らしさに溢れている。

この映画の舞台となる1970年のイギリスは、1980年代まで経済成長不振と労使抗争によって経済は停滞しており「ヨーロッパの病人」と呼ばれていた。『フルモンティ』や『ブラス!』で描かれる時代だ。経済格差も激しく、子供たちの家庭の貧困が劇中でも描かれている。ダニエルは裕福な家庭に育ち、一方でメロディの父親は失業中である。劇中、「お払い物屋」という古着や古道具を物物交換するリヤカーが町を巡回している描写がある。そう言えば、昔は近所を廃品回収のリヤカーを自転車で引いているおじさんをよく見かけたものだ。ここで交換品の金魚がどうしても欲しいメロディが、家に戻ってこっそりお母さんの古着を持ってくる。ビー・ジーズの名曲「メロディ・フェア」が流れる中、小さな金魚鉢を片手にパブにいるお父さんの様子を見に行く少女をカメラはリリカルに捉える。町角の貯水槽に金魚を放したり、パブの磨りガラス越しに覗き込むトレイシー・ハイドの無垢な笑顔は、映画史に残る名シーンとなった。

二人の結婚式をクラス全員で挙げている最中にやって来た教師たちに生徒全員で抵抗するラストがとても良い。いつも不発に終わる手製の爆弾を作っている男の子の爆弾が、見事にダニエルの母親のクルマを爆発させた時の爽快感。燃えるクルマを前に茫然とする大人たち。そして慌てて逃げ始める。この痛快感。劇中このクルマは格差社会の象徴(ダニエルの家も決して裕福でないのに母親の体裁の道具)であり、それを爆破させたことは、一見怖いように思えるのだが、自由に生きる子供たちを規則で縛ろうとする大人たちに逆転勝利するのは気持ちがいい。バックに流れる軽快な「ティーチ・ユア・チルドレン」に乗せて、トロッコを走らせる二人を捉えたカメラが空高く上がり、真っ直ぐ延びる線路の向こうに去ってゆく…何て素晴らしいエンディングだろう。このラストに原作と脚本を手掛けたアラン・パーカーらしさが集約されていたと思う。