1978年3月に公開された『恐怖の報酬』を観た時、正直言ってウィリアム・フリードキン監督ともあろう人が、H・G・クルーゾー監督の名作を何故、今さらリメイクしたのか理解出来なかった。日本初公開版はハッキリ言ってリメイクにもなっていない、ダイジェスト版と言われても仕方ないフリードキンの作家性が微塵も感じられなかったのだ。故・双葉十三郎先生が当時スクリーンで連載されていた「ぼくの採点表」で「なぜまたつくる気になったのだろう。人間描写が出来ていない」と、オリジナルと比べて雲泥の差と酷評されていた。事実、私もずっと同じ思いを抱いてきた。まさか、その元凶は当時の配給会社(今は亡き)CICだったとは。いやいや…もっと言うならば完全版を公開していたアメリカの批評家たちが、色メガネと偏見と無理解から、本作を頭から酷評したから世界公開版は無残な短縮版となってしまったというわけだ。

そもそもリメイクという解釈が間違っており、当初の原題は「Sorcerer=奇術師」で、リイマジネーションであった。しかし、日本ではリメイクである売込みを選択して、オリジナルの仏語タイトルを英語にした「WAGES OF FEAR」版で公開された。あれから40年間…『恐怖の報酬 完全版』を観て、フリードキンが本来作りたかった『恐怖の報酬』はこれだったのかと初めて知る事となる。1978年に日本公開されたのはアメリカで公開されたヴァージョンから30分もカットされていた国際ヴァージョンなる代物だったのだ。なるほど!ここで40年来のモヤモヤが解消された。

初公開時の上映館は、東京はまだ良い方で「渋谷パンテオン」「新宿ミラノ座」で上映されていたが地方都市での扱いは無残なものだ。札幌では僅か300席ほどの元ボーリング場だった「札幌グランドシネマ」という小さな劇場で『トランザム7000』の併映として扱われており、殆どの観客がバート・レイノルズのカーアクション目当てだった。ただし、私のように、怪物のようなトラックが今にも崩れそうな橋を渡るポスターのインパクトに惹かれて来ていたファンもいるにはいたのだが映画が終わってからの評価はクルーゾー版を知っている人と知らない人でハッキリと分かれていたように思えた。オリジナルを知らない人は、むしろニトロを運ぶスリリングな展開のみに焦点を当てた方が面白いと感じたかも知れないが…。

『フレンチ・コネクション』と『エクソシスト』によって、ハリウッドを代表するヒットメーカーとなったフリードキン監督は、4年のブランクを経て、次回作の構想を練る中で「もっと暗く、もっと薄汚れた何か、例えば実存主義的な作品」に取り組みたいと思うようになったと完全版のパンフレットで書かれている。そこで、こんな感じの映画を作りたい…と挙げていたのが、ジョン・ヒューストン監督の『黄金』だ。メキシコの港町で出会った三人の男が、山奥の金鉱で採掘した金を巡る転末を描いた人間ドラマだ。ハンフリー・ボガード演じる主人公はアメリカ人の旅行者を見かけると「同胞に金を恵んでくれ」と声をかけて廻るどん底の人生を送っているような男だ。そんな男が黄金を手にした事でタガが外れてしまう。フリードキン監督は前半、南米の小さな町に身を隠す4人の男たちが、どん底の暮らしから這い上がろうともがく姿に肉迫するのは、正にヒューストン監督が描いた『黄金』の世界だ。

ニトログリセリンを積んだ2台のトラックで油井火災の消火に向かうという骨子はクルーゾー版そのままに、極彩色で描かれる密林のジャングルは更に過酷さが増している。行手を阻むように鬱蒼と生い繁るジャングルは、主人公たちの心の弱さを浮き彫りにしていく悪魔のようだ。道なき道をいつ爆発するとも分からないニトログリセリンを運ぶ恐怖…というより、この異常な状況に身を置く狂気に、私は惹かれてしまった。むしろ現地の油井までの道のりの過酷さに至ってはクルーゾー版よりも緻密に描かれており、行き詰まる展開という観点から言えば、オリジナルを遥かに凌ぐ出来と言って良い。

赤茶けた悪路に食い込むタイヤのアップ、腐った木がトラックの重みでボロボロと埃をあげて崩れる様子をジョン・スティーブンスとディック・ブッシュ二人の撮影監督のカメラがこれでもかとアップで捉える。スコールの中で崩れかけた橋を渡るシーンでは、思わず映画館のシートであるはずの無いアクセルを右足で思い切り踏み込む動作をしてしまう。こうしたトラックのアップや厳しい自然現象を多用しているのは、脚本からセリフを削除していくためだった。ちなみにセリフをカットするアドバイスをしたのは、『戦場にかける橋』のデビッド・リーン監督だったと完全版のパンフレットで紹介されている。

様々な要因によって長年適切な評価がなされていなかったフリードキン版『恐怖の報酬』だが、クライマックスの朽ちかけた吊り橋をスコールの中渡るトラックのシーンは間違いなく素晴らしく、ここだけを捉えても、1978年当時はもっと評価が高くても良かった。濁流と横殴りの雨の中で、きしむ吊り橋をゆっくりと進むトラック。この極限の緊張感はクルーゾー版を遥かに凌いでいた。そして、その極限状態に置かれた男たちを演じたロイ・シャイダー、ブルーノ・クレメル、フランシスコ・ラバル、アミドゥの素晴らしい演技に拍手を送りたい。そして最後に、完全版を天国で観た双葉先生の感想を聞いてみたい…と思う。