正直言って公開当時に映画館で初めて観た時、それほど本作を面白いと感じなかった。と言うよりも作品に上手く乗れなかったと言った方が正しいかも知れない。これ以降のメル・ブルックス監督作品を観ても、どうしても好きになれない。そもそも日本人にはメル・ブルックスの笑いというのが理解されにくい。悪ふざけが過ぎるクドさが苦手なのだろう。ところが、テレビの「日曜洋画劇場」で放映された時に、何の気なしに観たところお腹を抱えて大笑いしたのだ。果たしてこれはどういう事か…答えは簡単で日本語吹替だったからだ。確かに字幕版もジーン・ワイルダーの大袈裟なセリフ回しが面白いのだが、字幕を追っていると細かな演技のディテールが掴みにくくなってしまい、笑うタイミングを逸していた。

洋画を観まくっていた映画少年だった私は、本当の映画ファンなら字幕じゃないと…と、あれだけ嫌っていた吹き替えの良さをアッサリ認めてしまったのだ。吹替を担当した広川太一郎の人を食ったような軽妙な語り口と洒落っ気のあるトーンが主人公のキャラクターとピッタリ合っていた。昔、レーザーディスクで発売された時、日本語吹替版という事だったので楽しみに購入したところ、なんと!テレビとは違う羽佐間道夫が担当していた。(今思えば権利の問題で、新たに吹替版を制作するのは当たり前なのだが…)微妙に翻訳のニュアンスが異なるものの、広川版とは異なる羽佐間版は少々やさぐれた感じのトーンがまた面白かった。その両方の吹替版が収録されているブルーレイが最近発売されたのだが、きっと私と同じように吹き替を愛する人が多かったのだろう。久しぶりのヒット商品だった。

映画はフランケンシュタイン博士の孫フレデリックが、祖父が遺した研究資料を相続した事から、再び人造人間を創り出すまでを描いた名作古典ホラーのパロディである。ボリス・カーロフを一躍有名にしたジェームズ・ホエール監督版(1931年製作)では研究室は古びた風車小屋にあったが、本作では古城の地下室という設定(…という事は、3作目の『フランケンシュタイン復活』の続編か?)で膨大なセットを作り上げた。美術監督デイル・ヘネシーが手掛けた実験室や城内の細部にまでこだわったセットの造形には目を見張るものがある。祖父をマッドサイエンティストと軽蔑していたフレデリックだったが、彼もまた実験室を間の前に人間を創造する野望に取り憑かれてしまう。ブルックス監督はお得意のスラップスティックなお笑いを封印して、抑制したモノクロ映像に登場人物たちの特異なキャラ設定でイギリス感覚のシニカルで上品な笑いを提供する。これが、日本人向きな笑いのツボを上手い具合に刺激していたのかも知れない。

主人公を演じたジーン・ワイルダーは、アメリカのコメディアンで最も好きな俳優で、それまでブルックス監督作品には2作出演している。元々イギリスの劇場でシリアス劇を志していたが、ブルックスとの出会いでコメディづいてしまったとパンフレットに紹介されている。それまで幾つかのブルックス作品には出演しているが、いずれも日本未公開で国内での知名度は殆ど無かった。唯一、記憶にあったのは『俺たちに明日はない』で、ボニーとクライドの逃避行中に出会ったヒッチハイカー役としてのコメディリリーフだった。本作以降は、同じく人気コメディアンのリチャード・プライヤーと組んだ『大陸横断超特急』や『スタークレイジー』が立て続けに公開されて、1970年代のコメディ映画シーンには欠かせない俳優として人気を博した。一見インテリジェンスな風貌で困った時に見せるすっとぼけた演技が最高で、これが全作品に共通するワイルダーの真骨頂だ。

今回も召使いのミスによって異常者の脳を移植してしまうのだが、この召使いを演じるのが飛び出た目玉が印象的な怪優マーティ・フェルドマン。本作では独特の怪しげな風貌を武器にワイルダーと見事な掛け合いを見せている。またピーター・ボイル演じるモンスターの扱いも面白く、学会で研究成果を発表する際に、ワイルダーと二人でタキシード姿で「リッツで踊ろう!」を披露するシーンで映画は最高潮を迎える。

最後にもうひとつ吹替の話し。ピーター・ボグダノヴィチ監督の『ラストショー』でアカデミー助演女優賞を受賞した名優クロリス・リーチマン演じる城を管理する老女が登場するのだが…何故か彼女の名前ブルッハーと口にすると馬が興奮して暴れて出すという描写がある。馬が騒ぐたびに唇を噛み締める表情を見せるクロリスが上手い!テレビ版の吹替では、どういうわけか馬が彼女を嫌っている理由を無理矢理こじ付けるために、彼女の名前を「バニククウ(馬肉食う)」と勝手に吹替えていたのが面白かった。視聴者に分かりやすくよう.という苦心がうかがえる。