1939年にヒトラー率いるナチスドイツがポーランドに侵攻した翌年の1940年にチャールズ・チャップリンは『独裁者』を作った。この映画を作った時のチャップリン覚悟。先日、再放送されたNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」においてチャップリンがヒトラーに対する思いと、ユダヤ人に対する偏見からの変化が紹介されていた。劇中でチャップリンが散々コケおろしたヒトラーは世界を席巻する勢いで、アメリカもナチスに対しておよび腰だった時代背景。もしドイツがアメリカにまで侵略の手を伸ばして占領されたとしたら、間違いなくチャップリンは処刑されていたであろう。その当時はそれだけの勢いがヒトラーにあった。それでもチャップリンはこの映画を作った。映画は大ヒットを記録しながらも、これにアメリカは慌てた。まだアメリカがヨーロッパの戦争に参戦していなかった時期に、ヒトラーを刺激する事を恐れたからだ。この映画によってチャップリンが反米思想を持つ危険分子というレッテルが貼られる決定打となった。

この映画を観たのは高校生の時。既にヒトラーも第二次世界大戦も遠い過去の出来事で、背景を知らないまま純粋にコメディとして楽しんだ。物語は二人の男を主役とするマーク・トウェインの名作「王子と乞食」をモチーフとするチャップリン初の全編トーキーだ。主人公の一人は町で理髪店を経営しているユダヤ人。もう一人はユダヤ人迫害政策を推進する独裁者ヒンケル。この対照的な立場の二人をチャップリンが演じる。舞台となるのはトメニアという架空の国家。誰がどう見てもナチス政権のドイツだ。同じ顔を持つ二人を主人公とする事で、純血のアーリア人を残してユダヤ人を排除する「優生思想」を推進するヒトラーを徹底して揶揄する。忘れてはならないのはこの映画がナチスが強大な力でヨーロッパに侵攻していた真只中で作られた事だ。

それまではトーキーを嫌って、頑なにサイレントを作り続けてきたチャップリンが、本作で初めてオールトーキーに挑んだ。チャップリンはヒトラーが演説で捲し立てるドイツ語に似せた独自の言葉で徹底的に茶化す。演説によりドイツ国民の人心を惹きつけたヒトラーを揶揄するにはパントマイムではなく言葉が必要だった。サイレントにこだわり続けたチャップリンが信念を曲げてでもトメニア語なる意味不明な言葉(勿論、言語はドイツ語を基盤としている)を繰り出してヒトラーとアーリア人を批判する。私が初めてこの映画を観たのはテレビの映画劇場で愛川欽也が吹き替えをしていた。残念ながらどんな芸達者でもヒトラーを愚かな道化師のように描いたセリフ回しは真似できない。3年後に映画館でオリジナルを観て改めてチャップリンの凄さを認識する。

このトメニア語が凄い。チャップリン演じるヒンケル総統はヘマばかりする側近のハーリング元帥を早口のトメニア語で叱るのだが、その時にハーリングの胸に付けている勲章を外していく。これが笑える。こんなシーンが何回も出てくる。怒られる度にハーリング勲章は外されていくのだが、シーンが繰り返される毎に勲章が増えているのも面白い。ハーリング元帥を演じるのはビリー・ギルバートという俳優。割腹ある体型を活かして笑わせてくれたが、コメディ俳優ではなく声優というから驚いた。

映画の中に言葉を待たなかったチャップリンの映画に出てくる人たちは皆、下層階級の弱者でありつましい生活の中にささやかな喜びを見つけていた。チャップリンは、そうした庶民をパントマイムや表情だけで描き出す事が出来た。この映画ではチャップリン演じる床屋がヒンケルに成り代わって演説するラストが高く評価されているが、私はどちらかというと、戦場で記憶喪失となった床屋が、自分が暮らしていた街に戻るとユダヤ人というだけで嫌がらせをされる前半パートを評価する。退院した床屋が今まで仲良く接していた街の住人の変貌を理解出来ずにいる。それを深刻に描くのではなく、嫌がらせに気づかない床屋のズレをコメディパートとして笑いに昇華するチャップリンが凄いと思った。床屋は意味なく差別される事を理解出来ずにいて、その素朴な疑問を率直に町の人たちに投げかける…ここに痛烈なメッセージを込めたのだ。

この映画が日本で公開されたのは製作から20年も経った1960年である。戦後間もない日本では、かつての同盟国だったドイツについて語る事は制限されており、そのため公開が遅れたのだと思われる。経済白書の中で「もはや戦後ではない」と記載されてから4年後の事だ。本作が、アメリカで公開されたのが1940年10月。その数週間前の9月27日に日本はドイツと三国軍事同盟がヒトラー官邸で締結された。「有楽座」のパンフレットには、戦時下の日本では『独裁者』を作ったチャップリンに対して軍国主義者たちから目の敵にされていたという。終戦から15年後に公開されて、この映画を観た当時の日本人がどんな思いだったのだろうか?公開された「有楽座」では封切り初回の週に6万人を超える動員数となり、各地でも興行記録を塗り替える結果となった。

第二次世界大戦が終結してから77年。この現代において東に新しい独裁者が出現した事を示唆する映像で番組は締め括られていた。もう少し人間は全体的に賢くなったと思っていたのだが、まさか東の大国から低レベルの知能を持つ大統領がいたとは…と驚きだ。間もなく80年も経とうとしている時に何たることか。ウクライナの状況を報道で見て、武力で他の国に侵略して市民を無差別に殺す独裁者の暴挙に憤りと怒りを禁じ得ない。こうした狂人が歴史上、繰り返し現れるのは何故なのか…疑問に思う。時代が変われば評価も変わる。現代社会を50年後の世界はどう評価するだろうか。